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Vol. 357 『ボストン便り』(19回目) 「中間選挙とヘルスケア改革」

医療ガバナンス学会 (2010年11月17日 06:00)


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細田 満和子(ほそだ みわこ)
2010年11月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


オバマの民主党敗退とヘルスケア改革への暗雲

11月2日に行われたアメリカの中間選挙では共和党が大躍進し、定数435の下院では民主党から共和党に61議席が移り、共和党が多数党になりました (民主党188議席、共和党239議席)。上院の方は民主党が半数を死守したとはいえ(民主党53議席、共和党46議席)、この結果は民主党オバマ大統領 の敗北と評価されています。
そしてこの結果は、オバマ政権の目玉であったヘルスケア改革にも大きな影響を与えるだろうといわれています。選挙の始まる前からも、2010年3月に劇 的に成立した皆保険を謳ったヘルスケア改革法(正式名:The Patient Protection and Affordable Care Act)の撤廃を求める裁判が次々に起こされ、まさしく暗雲が立ち込めている様子でした。
どうしてこんなにまでアメリカでは国民皆保険が嫌われるのでしょうか。自由の侵害、法律上の問題、医療費高騰への懸念という3つの理由が挙げられると思います。

自由の侵害

アメリカの人々はヘルスケア改革法が健康保険への加入を「個人の義務」と定めている点について反対しています。国に何かを強制されるなどということは、 自己決定や自己選択を重んじるアメリカ人の心情には全くそぐわないのです。4700万人の無保保険者のうち900万人余りは、7万5000ドル(約600 万円)以上の年収がありながらも無保険でいることを選んでいます。無保険者をなくすことが目標であったヘルスケア改革法の要、加入の義務化こそ、アメリカ 人の絶対に譲れない信条である「個人の自由」と抵触してしまうのです。
ところで自動車のナンバー・プレートは州ごとに異なり、好きなデザインや番号を選ぶこともできます。また何か言葉を入れることも多く、マサチューセッツ 州は「アメリカ精神 The Spirit of America」が一般的なのですが、お隣の州ニュー・ハンプシャー州のナンバー・プレートには、「自由に生きるか、さもなければ死ぬか LIVE FREE OR DIE」と書かれています。それほどまでに人々は強烈に「自由」を重んじています。

法律上の問題

マサチューセッツ州ではすでに2006年に健康保険加入は州民の義務と決められており、ヘルスケア改革の際にもマサチューセッツ州の例はお手本になるは ずとしばしば言及されました。ただし法律的解釈では、州に個人に対する義務を課す権限はあっても、連邦の権限は州間の商業取引の規制や福祉税に関するもの に限られているという議論もあります。
実際、様々な領域において州で定められていることが多く、自動車に関して言えば運転免許は州が管轄していて州ごとに規則があります。たとえば飲酒や未成 年の運転できる範囲や禁止事項など、州によって異なります。また、州をまたいで引越しする時には、アメリカ市民は免許も書き換える必要があり、外国人は新 しく取り直さなくてはなりません。ちなみに医師免許や看護師免許も州の管轄です。
雇用と連動する健康保険の創設案に対しては、常に1974年に成立したERISA (Employee Retirement Income Security Act)という連邦法が引き合いに出され、すでに連邦法があるのだから、その上にさらに法律ができるのはおかしいということがずっと言われてきました。

医療費高騰への懸念

その他に、皆保険になれば医療にかかる人が多くなり、医療費がさらに高騰するという懸念も表明されています。現在でさえアメリカの医療費は諸外国と比べてとびぬけて高く、GDPの17パーセントに上っています。(ちなみに日本は8パーセントと先進国中最下位です。)
そこで、どのようにしたら医療費を安くできるかということも問題の焦点でした。しかもただ安いだけでは意味がなく、いかに人々の健康に資するための費用かを図る費用対効果(cost-effectiveness)の計算がいろいろなところでされてきました。
たとえばハーバード公衆衛生の健康政策管理学部教授ミルトン・ウェンスタインらは、生活の質調整生存年数(Quality Adjust Life Year: QALY)なる概念を開発し、どういった医療的介入をすると、どのくらい質の高い生活を患者は送ることができるかを研究してきました。つまり、いったいい くら医療にお金をつぎ込んだら、それは費用対効果が高いと言えるのか、お買い得(good value)と言えるのかという研究です。
こうした研究者らとの協力でWHO(世界保健機関)では指標を出しています。それは、かかった医療費が収入の3倍を超えなければ費用対効果がある、とい うものです。例えば年収400万円の人だったら、治療費が1200万円以内に収まれば費用対効果があるということになります。
このような研究では、さまざまな病気とその治療費についてのデータが示されていますが、もし費用対効果が低いと評価された病気を持つ人にとっては危険な 指標になりうるでしょう。ただ、それほど医療費の高騰は深刻な問題で、多くの人々が手を変え、品を変えて取り組んでいます。

マサチューセッツの中間選挙―人々の良識の勝利

中間選挙では、州知事の選挙も同時に行われました。連邦議会における共和党の躍進、民主党の行きづまりをよそに、マサチューセッツではこの不景気のただ なかにあって増税を続けてきた民主党の現職デュバル・パトリックが、共和党による連日のネガティブ・キャンペーンにも負けずに再選されました。
一般に政治家は、選挙に勝つためにめったに増税はしません。選挙前だったらなおさらです。ところがパトリックは現職で増税し、さらに今後も増税しようとしながらも選挙に勝ちました。
4年前の彼の公約は、交通、年金、教育を手厚いものにするというものでした。それを実現するために彼は、不況にもかかわらず増税をしてきました。そして 今回も州民は、公教育の向上、クリーン・エネルギー化の促進、そしてすべての州民への医療ケアの充実を掲げるパトリックを再度支持しました。ボストン・グ ローブの社説では、「デュバル・パトリックの勝利は、彼の主義主張の勝利であるとともに、州民が彼の良識(common-sense)を認めた結果であっ た」とまとめられていました。
2010年の1月には、前年に急逝した民主党の大物にして、オバマ大統領の政治における師、エドワード・ケネディ上院議員の補欠選挙で、民主党はまさか の敗北を期しました。しかし今回は、教育、医療、福祉を充実させるためにみんなで負担することをマサチューセッツの州民は選びました。

ヘルスケアの費用コントロール

しかし医療福祉を充実するためには税を上げればいい、というほど問題は単純ではありません。デュバル・パトリックも、選挙前のテレビ討論会において、費用のコントロール、すなわち保険料の引き下げと医療費削減が重要であることを述べてきました。
そもそも皆保険導入以前からもマサチューセッツ州の一人あたりの医療費は他州と比べて高額でした。その理由としては、人口当たりの医師数が多いこと、全 米でも有数の高度先進治療を行う病院が多くあること、処方薬や精神保健なども適宜保険でカバーする新しい州法が定められたことなどが挙げられています。近 年ではマサチューセッツ州の一人あたりの医療費は、30パーセントも他州と比べて高額になっています。
保険料は年々上がり医療費も高騰していますが、しかし、中・低所得者への州の補助と未加入者への罰金が功を奏して、無保険だった40万人が新たに保険に 加入し、今やマサチューセッツ州の健康保険加入率は97.5パーセントに上っています。この点を見れば、マサチューセッツ州のヘルスケア改革は成功であっ たと評価できると思います。
今後、医療費の問題をどのように解消し、コントロールしてゆくのか、人々の期待に応える政策が試されています。

オバマのヘルスケア改革法の支持者たち

今年3月に成立したオバマのヘルスケア改革は、多くの批判にさらされていますが、その恩恵を受けている人たちもたくさんいます。
たとえば、心臓に持病を持つ51歳の男性は、既往歴ある者への保険加入拒否を禁じたこの法律によって、健康保険を奪われなくて済んだと感謝しています。 そして「こうしたいい話を、友達、家族、同僚にして欲しい」と訴えていました。「この法律がなかった頃には絶対に戻りたくない」とも言っていました。
アメリカ家族会(Families USA)やアメリカ会(Enroll America)といったアドボカシー団体も、ヘルスケア改革法の患者側からの利点を説明したレポートを、アメリカ50州に向けて発行したり、医療者にど んなところが良い点か伝えてもらうよう促したりしています。
共和党やティー・パーティ(近年支持を広げている保守層の草の根運動体)など、ヘルスケア改革法に対する反対者の声ばかり大きく聞こえてきていますが、それによる恩恵を受けている人たちも声を上げて、改革法を守っていこうとしているのです。

日本へのレッスン

日本も急速な高齢化社会に伴う医療費の高騰が心配されています。医療費の負担を抑えて、サービスの低下をやむなしとするか、増税でも医療の充実を目指すか、大きな選択を迫られています。しかし、その答えは実は見えてきているのではないでしょうか。
内閣府が2010年9月に行った高齢者医療制度に関する世論調査では、将来の高齢者の医療費増加を支える手段として、「税金による負担の割合を増やして いく」と答えた割合が43.4%と最も多くありました。つづいて、「現在の仕組みと同じぐらいの負担割合」が32.9%、「高齢者の保険料の負担割合を増 やす」が12.0%の順でした(複数回答、上位3項目)。
これは5年前(2005年10月)に内閣府の行った「高齢社会対策に関する特別世論調査」で、66.4パーセントの人がたとえ税や保険料の負担が増した としても社会保障を充実または維持すべきと答えていたことと合わせ、日本人のcommon- sense(常識/良識)だと思います。あとは増税を訴える勇気のある政治家が出て、国民がその人に本当に投票するかどうかです。
そのためには、例えば日本のアドボカシー団体も、保健医療サービスが足りない、福祉が足りないと訴えるだけではなく、こんな保健医療サービスがあったか ら良かった、福祉があったから生活を送れている、というようなストーリーを社会に伝えるというのはどうでしょうか。医療者もこんな所に日本の医療はよさが あるから、それを守っていこうと訴えるのはどうでしょうか。かなり甘い考えだとお叱りを受けるかもしれませんが、一つの方法になるのではないでしょうか。

参考文献

・Lawrence O. Gostin, 2010, The National Individual, Health Insurance Mandate, HASTINGS CENTER REPORT Vol.40, Issue 5, p.8-9.
・Can Cost-Effect Health Care=Better Health Care?, Harvard Public Health Review, Winter 2010, p.7-10

参考ウェブサイト

・中間選挙に関するニューヨーク・タイムズの記事 2010年11月4日

http://topics.nytimes.com/top/news/health/diseasesconditionsandhealthtopics/health_insurance_and_managed_care/health_care_reform/index.html

・知事選に関するボストン・グローブの記事 2010年11月3日

http://www.boston.com/news/politics/articles/2010/11/03/for_patrick_a_personal_triumph_and_mandate_for_common_sense/

・マサチューセッツ州知事選のテレビ討論会

http://commonhealth.wbur.org/2010/10/debate-health-care/

・中間選挙前のヘルスケア改革に関する記事

http://www.bloomberg.com/news/2010-09-23/obama-makes-retail-sales-pitch-to-defend-health-law-flouted-by-republicans.html

・State-mandated employee benefits: conflict with federal law? Monthly Labor Review, April, 1992 by Jason Ford

http://findarticles.com/p/articles/mi_m1153/is_n4_v115/ai_12247209/pg_5/?tag=content;col1

・ERIZAに関する連邦労働省のサイト

http://www.dol.gov/dol/topic/health-plans/erisa.htm

・内閣府の2010年9月に行った高齢者医療制度に関する世論調査(2010年9月)

http://www8.cao.go.jp/survey/h22/h22-koureisyairyou/2-2.html

・内閣府の高齢社会対策に関する特別世論調査(2005年10月)

http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h17/h17-kourei.pdf

紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から 05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医 療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

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