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Vol. 358 一般人に誤認混同を与える朝日新聞報道

医療ガバナンス学会 (2010年11月18日 06:00)


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井上法律事務所 弁護士 井上清成
2010年11月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1. 朝日新聞の東大医科研報道

10月15日付朝日新聞朝刊1面のトップに、「臨床試験中のがん治療ワクチン『患者が出血』伝えず東大医科研、提供先に医科研『報告義務ない』法規制なし対応限界」という見出しの記事が掲載された。
「東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研附属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が 『重篤な有害事象』と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことが分かった。医科研病院は消化管出血の恐 れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らせれていなかった。」
とのことである。

記事中には、「医科研病院はペプチドと出血との因果関係は否定できないとし」たとの記述がある。
「厚労省は朝日新聞の取材に対し『早急に伝えるべきだ』と調査を始め、9月17日に中村教授らに事情を聴いた」
ともあった。

2. 通常一般人の誤認混同

それらの見出しと記事を読んだ通常一般人、つまり一般読者は誰でも次のように思うのではないか。
「東大医科研はなぜ知らせなかったのか?」
「東大医科研の良心が問われるべきだ!」 そして、東大医科研を非難するに違いあるまい。
理由は、通常一般人はその判断の前提として、起こった結果と、その結果との因果関係に対する事実認識をベースとしているからである。

日本を代表するマスコミである朝日新聞が報道した事実について、その基礎に通常一般人を誤認混同させるような表現が紛れ込んでいるなどとは、普通は思わない。
そこで、通常一般人は、起こった結果は「死亡または重篤な後遺症」であると思うだろう。あるいは、その結果との因果関係は「がんペプチドワクチンの副作用との間にある」と考えるかもしれない。
起こった結果については何も書かれていないが、第1面トップに載るほどの重大な医療事故なのだろうから、「死亡または重大な後遺症」と推測しうる。ま た、因果関係についても、東大医科研はこれを否定していないらしいし、現に厚労省も「早急に伝えるべきだ」と判断しているのだから当然、「因果関係があ る」と断ぜざるをえない。
以上が、通常一般人の理解であろう。しかしながら、それは誤認混同である。

3. 一般用語での因果関係は無い

真実は、がんペプチドワクチンと消化管出血との因果関係は、一般用語上の意味でも法律用語上の意味でも、なかった。
少なくとも、東大医科研は、10年6月時点で朝日新聞社に対して、明瞭に「発生原因としては、原疾患の進行(腫瘍の増悪・圧迫による静脈瘤形成)に伴う出血と判断されました」と説明している。
ところが、朝日新聞の記事では、この東大医科研の説明部分が紹介されていない。朝日新聞は、意図的にこの説明部分をカットしたものと推測されよう。
逆に、記事中では「医科研病院はペプチドと出血との因果関係を否定できないとして」と述べている。
おそらく、東大医科研の6月30日付説明の「ワクチン投与による可能性を完全に否定することは科学的に見て困難と結論されました。今回の事象を治験審査 委員会に報告するに際し、入院期間が延長したことを反映して『重篤な有害事象』に相当する分類となり、因果関係については不明とされました。」という部分 のみをピックアップして、曲解したものであると考えられる。
しかし、それらのカットとピックアップは恣意的であり、公正なものではない。マスコミ報道の記事としては、不当な表現であると評し得よう。

4. 一般用語と科学用語は異なる

東大医科研の説明は、一般用語に基づくものでなく、科学用語に基づくものであった。厳密に医学的・科学的に見たら、ワクチン投与による消化管出血の可能 性を、それこそ「医学的・科学的に完全に否定する」ことはほとんどの場合で困難であるに決まっている。東大医科研は、医学的・科学的用語としての因果関係 は完全には否定することができない、としたにすぎない。

ところが、記事の中では、「医学的・科学的用語としての因果関係」が「一般的・法律的用語としての因果関係」にすり替えられてしまっている。
通常一般人は、「一般的・法律的用語としての因果関係」と誤認混同して理解してしまったものと思われる。
ちなみに、被験者は死亡したものでも重大な後遺症を残したのでもない。その後の処置で軽快し、入院期間が1週間延びただけであった。この点も記事中で何ら触れられていない。そのため、通常一般人は誤認混同したであろう。

5. 誤認混同を与える報道

厚労省が調査を始めたのは、「もしも因果関係があるとしたならば」「早急に伝えるべき」なので、まずは「因果関係がるのかどうか」の調査を始めたにすぎない。
ところが、記事では無留保に、「厚労省は朝日新聞の取材に対し『早急に伝えるべきだ』と調査を始め」たとある。これでは、誤認混同を招く。

以上のところからすると、通常一般人の理解では、東大医科研が「報告義務ない」としたのは、「医療者の良心からしたら報告する必要があったけれども、た またま法規制がなくて報告義務が課せられていなかったので、法の不備に乗じて報告しなかった」ものとされてしまうであろう。
真実は、医療的に見て報告する必要がなかったからこそ報告しなかったにもかかわらず、通常一般人に誤認混同されてしまうという事態を招いてしまったかもしれない。

朝日新聞社においては早急に社内での内部監査を行い、記事を速やかに撤回し、通常一般人の誤認混同を解くことが望まれよう。

(月刊『集中』2010年11月号所載「経営に活かす法律の知恵袋」第15回を転載)

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