最新記事一覧

Vol.23178 臨床医は足の裏の米粒を取るべきか

医療ガバナンス学会 (2023年10月11日 06:00)


■ 関連タグ

北海道大学医学部
金田侑大

2023年10月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

足の裏の米粒。

博士号(PhD)のことだ。人生の先輩医師方に聞くと、このように返ってくる。取らなくても大丈夫だけど、取らないと気持ち悪いから、取っておけ、と。

ただ、二重の意味で、取っても食えない。そんなニュースが駆け巡る今の日本で、わざわざ何のために時間とお金をかけてまでPhDを取る必要があるんだ、と、「それってあなたの確証バイアス(≒自分の経験や信念を裏付ける情報だけを重視し、反対する情報を無視する心理傾向)なんじゃないですか?」と、ツッコミを入れながら上のような話は聞いている。

実際、PhDは研究者の象徴としての価値を持つ一方で、医学の領域では、医師の役割や専門性を示すためのPhD取得の必要性について議論もあるにはある。専門医とPhDどちらを取るのがいいですか、といった質問に代表されるように、医師としてのキャリア形成におけるアイデンティティの危機が見て取れる。

確かに、アメリカなどの国では、高い学費を払っていい大学で学位を取ることが社会的成功の証となっており、その価値観も変わっていない現実は一部あるだろう。しかし、いくら有名な先生の下に就いたとしても、それは自身の能力の何の保証にもならない。東大やハーバードの院を卒業した!と言っている人が、本当にイケているかどうかの判断には、むしろ、その人が“今”、輝いているかどうかが重要だからだ。

それに、今はインターネットの時代だ。大学に行かなくても、無料で多くの情報や知識を得ることができる。zoomやmessengerで簡単に世界中の研究者たちと繋がれるため、所属先である北海道大学以外のところで、福島や東京、アフガニスタンやネパールの先生たちと一緒に、論文も今年度の4月から8月の5か月で、25本(筆頭17/共著8)発表させてもらっている。そして、ここで指導してくださる先生方は、“現場を押さえている“先生方だ。本当にいつもご指導くださっている先生方には感謝しかないが、そういった時代の変化の中、既存の価値観に何のシフトもなく、高額な学費を支払ってまで大学院に所属する意味とは何なのか、改めて見つめ直す必要があると感じている。

西欧の古典時代を探ると、ギリシャ・ローマ文化において「ドクター」は「教える」という意味のラテン語 「docere」 から派生していることがわかる。特定の学位や資格を示すものではなく、知識を持つ者や教育者を意味していた。そのころのドクターの意味を理解すると、医師としてのプロフェッショナリズムは、PhDを持つこととは関係なく形成されてきたことが理解できる。

さらに、「プロフェッショナル」は「profess」から派生しており、これは「前」を意味する「pro」と「話す」を意味する「fess」から成り立っている。この言葉は中世ヨーロッパでの宣誓の概念を表しており、医学・法学・神学という3つの学問を究めたものは、自らの専門的な技能を用い、社会のためにベストを尽くすという誓いを立てていたのだ。国や権力に影響されず、患者に貢献するためにはどうすればよいか。すべての議論はここから始めなければならない。

したがって、日本の状況を考えると、医師の多くが勤務医として大学の医局に所属していることが、彼らのプロフェッショナルとしての自立を阻害していると言えるのではないだろうか。このような組織の中で、医師は、誰の下で学ぶか、どうすればキャリアにプラスになるかを考えて、半ば医局に依存する。精神的、経済的自立が難しく、上司や組織の意向を優先しやすくなっていることは、医学生の自分が実習を回りながらちょっと観察するだけでもよくわかる。このような組織文化の中で、真に独立したプロフェッショナルとしての医師の役割が、曖昧になってしまっているのではないだろうか。

今の医者のプロフェッショナリズムの定義が崩れつつあることは、医学生の例を1つとっても明らかだ。昨年の杉浦蒼大さんの東大コロナ留年の件を思い出してほしい。彼が声をあげたとき、なぜ東大医学部の教員が一人も彼の側に立たなかったのだ。

厳密には彼は東京大学「教養学部」理科三類の学生なので、医学部ではないかもしれない。しかし、医学部全入と言われる今の理三で、彼の側に立つ同級生も教員もいないのは悲しいことだ。彼がその一年で、何人の患者のために、働くことができただろうか。そこまでの想像が回らなくとも、留年となれば、学生はその分多くの学費や生活費の負担を強いられ、キャリア面での不利益も出かねないことは、誰にでも明らかなことだろう。

この件に関しては、日本のどこの学会も機関もだんまりだったため、医学生の有志で集まり、群馬大学の演劇大量留年の問題とともに論文にし、International Journal of Medical Education (IF=2.2) から発表した ( https://www.researchgate.net/publication/374554630_COVID-19_and_medical_education_in_Japan_a_struggle_for_fairness_and_transparency )。この件が世界から見ても“異例”で“新規性がある”とみなされたのだ。日本の医学教育を見直し、医師としてあるべき姿を、医系教員自身が考え直すべきフェーズまで来ているのではないだろうか。

医師として大切な要素は「ヒポクラテスの誓い」の時代から、何も変わらない。患者に尽くすことだ。PhDを持っていることが臨床医としてプロであることの証明になることはないし、変革する現代の中で、必ずしも臨床医がPhDを取る必要はないんじゃないかな、と私は思う。

【金田侑大 略歴】
北海道大学の歩くグローバル。臨床実習はわからないことだらけで、毎日脳みそにいっぱい汗をかいております。体温も謎の高め設定。私の熱意が計測されたのだと信じています。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ