医療ガバナンス学会 (2023年10月19日 06:00)
京都大学
齋藤良佳
2023年10月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
初日に驚いたのは、16時にはほとんどの医師が退勤している姿であった。救急外来では、日中のシフトは8時から15時。遅くても15時半には切り上げる。日本とは違い、シフト後もカルテを書いて気づけば1時間…ということもない。ボイスレコーダーに録音しておけば秘書がカルテを書いてくれるからだ。ちょうど日本では研修医の自殺が話題になっていたので、上級医に話してみたが、まるで別世界の話という感じだった。
このような働き方で、給料は日本の同世代の医師の2倍弱。また、当直も月に2回ほどあるが、「結構お金出るんだよ!ちゃんと寝られるし!」と笑顔だったので割がいいようだ。このような豊富な人手と高い給料は、国力の高さと税金の高さで支えられている。フィンランドの国民一人当たりのGDPは5万537ドル(2022年、日本は3万3911ドル)、世界トップクラスだ。年間の医療費は一人当たり4726ドル(日本は4388ドル)であるが、自己負担の上限は年間600ドル(約9.6万円)と日本と比べて遥かに安い。これはやはりフィンランドが「高負担の国」だからで、実際国民所得に占める税金+社会保障費の割合が59.7%(2020年度、日本は48.9%)である。
また、医局制度がなく、診療科内の風通しが良さそうだと感じた。厳しい上下関係もなく、皆名前で呼び合っていたのでカンファでは誰が教授かわからなかった。研究も義務ではないため、大学病院よりは三次救急の市中病院のようなイメージを受けた。もちろん系列病院という制度もないため、勤務先も自由。決まったキャリアもなさそうであった。また、女性医師が非常に多いのにも驚いた。外科のカンファレンスでは出席者の半分弱が女性で、最初は内科かと勘違いして部屋を出そうになった。(ちなみに内科は女性比率が更に高かった。) 「日本では結婚するときに仕事を辞める女性が多い」と話すと、さらっと「ひと昔前の話だね」と言われてしまった。
だが、このような働き方で、弊害はないのか?
医療の質については、救急外来は日本と遜色ないと感じた。医師の問診は極めて丁寧で、一人に20-30分かけて診察をする。パソコンの方を向いて話す医師は一人もいなかった。診断やコンサルテーションも的確だったように思う。なぜだろうか?3つの要因が挙げられる。第一には、早期からの実践的な教育である。オウル大学では3年生から病院実習を行い、最初の一年で採血、静脈路確保など様々な手技を経験することが必須らしい。上級医たちも教育熱心で、最低でも一日一回は問診のチャンスを与えていた。曰く、「患者の待ち列ができてもしっかり問診しなさい。それがあなたたちの仕事」。
その効果は顕著だった。現地の医学生(4年)と私が二人で問診をする機会があったのだが、突然の機会にも関わらず彼女は診察から上級医へのプレゼンまで一寸の迷いなくこなしていた(ただ口をパクパクさせていた私とは対照的)。なんと5,6年生になると病院から給料が出るらしく、私の上級医は6年次に虫垂炎の手術を執刀したらしい。また、医療職の分業が確立しているのも要因の一つだろう。採血は事前に検査技師が行い、データが揃った状態で医師が診察する。看護師の裁量も大きい。医師の事務作業もほとんどなく、診察と治療に専念できる環境が整っていた。さらに、電子カルテをはじめとした情報システムも整備されていた。カルテ操作もスムーズで、患者の同意があれば他院のカルテも見られるらしい。投薬情報もワンクリックで確認できる。非常に合理的だと感じた。
ただ、どうなのかと思うことも多々あった。例えば、受診までの待ち時間がとにかく長い。国民全員にかかりつけ医が割り当てられており、病院に行きたい時はまず電話で問診を受けるのだが、軽症なら受診まで半年かかることもある。そのためプライベートクリニックを利用する市民も多いらしい。また、医療者の分業のせいか、採血やCTの結果待ちで時間を浪費することもあった。そのため病院での待ち時間も長く、患者は3,4時間待たされることもザラにあるようだ。午前中ガラガラだった待合室が、午後は満員という光景を何度も目にした。
ただ、患者はその現実を受け入れているようだった。医療者に過度な期待を抱かず、他の職業と同じように働いていることを当然だと思っている。また、医師も患者を待たせた分、丁寧に診察し、対話しているのかもしれない。お互いに対する思いやりと適度な距離感が、皆の幸せを重視するフィンランドの土台にあるのかもしれないと感じた。