医療ガバナンス学会 (2010年12月29日 06:00)
東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム
上 昌広
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail MediaJMMで配信した文面を加筆修正しました。
2010年12月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
【如何に伝えるか?】
今年は「如何に伝えるか」がテーマでした。医療は専門性が高いと言われています。医療事故、救急車たらい回し、臨床試験と治験など、兎角、国民に誤解を 与えがちです。最近話題になった、がんワクチンの「有害事象」と「副作用」など、両者の違いを認識している国民は殆どいないでしょう。
従来、国民に広く医療情報を提供してきたのはマス・メディアです。新聞・週刊誌・テレビが中心的役割を果たしてきました。最近はインターネットが加わっています。一方、医療従事者は取材・投稿・シンポジウムなどを通じ、ソフトウェアを提供してきました。
新聞・週刊誌などの活字メディアの影響力が大きいことは言うまでもありません。近年、記者たちの知識は飛躍的に向上し、報道は正確、かつ詳細になってい ると感じます。編集部も医療は読者の関心を引くと感じているようで、記事数も増加傾向です。例えば、週刊現代で編集長が交代し、売り上げがV字回復したと 言います。売りの一つは、がんを初めとした医療特集です。毎号のように癌に関する記事が掲載されています。また、週刊新潮では東大放射線科の中川恵一先生 ががんのコラムを連載中ですし、週刊文春では恵原真知子氏の医療技術に関する連載が好評です。このようにメディアが医療を真剣に取り上げるようになってい ることは喜ばしいことです。
ただ、活字には限界があります。活字を読む人にバイアスがあり、活字では感性に訴えにくいことです。これでは、国民の多くにリーチしません。
【デザイン】
この問題をデザインの観点から解決しようとしているのが、『ロハスメディカル』です。関東圏の病院の待合に置いているフリーペーパーで、毎月20万部程度発行しています。
『ロハスメディカル』の売りはデザインです。病気や医療制度を説明するため、文章とプレーモービル(ドイツ生まれのおもちゃ、統一されたスケールと世界観 で箱庭作りに用いられます)による挿絵が用いられています。洗練された紙面は、多くの患者・医師から高い評価を得ています。
今回のシンポには、デザインを担当する細山田光宣氏(細山田デザイン事務所社長)が登壇しました。細山田氏は『POPEYE』や『山と渓谷』のデザイン に携わり、雑誌におけるデザインの重要性を痛感したそうです。確かに、1976年に『POPEYE』が登場して以降、雑誌のあり方は大きく変わりました。 このあたり、マガジンハウスが2009年に出版した『編集者の時代 雑誌作りはスポーツだ』に詳しく書かれています。
細山田氏とロハスメディカル発行人である川口恭氏は、2001年に朝日新聞が創刊した『SEVEN』のスタッフでした。『SEVEN』はオールカラーで テーマ毎のセクション折り仕様という試みと、図解を使ってニュースを解説するインフォーメーショングラフィックスが話題となりました。スターバックスやコ ンビニ置かれたため、ご記憶の方も多いでしょう。広告収入不足で、8号で廃刊となっていますが、関係者からは意欲的な試みと評価されたようです。
細山田氏が『ロハスメディカル』のデザインで注意していることは、「読む前に内容が伝わる」ことだと言います。確かに、免疫では闘士、心臓病では赤い管 が詰まったフィギュアを用いて、一般人に病気のイメージが伝わっています。わかりやすいことは間違いありません。患者さんに分かってもらうためには、文字 と絵の絶妙なバランスが重要なようです。
川口氏、細山田氏の試行錯誤を繰り返しながら、新しい価値を築き上げています。
【芸術】
デザインと並んで、国民に影響力があるのは芸術です。戦争の恐ろしさは、百万言を費やすより、「ゲルニカ」一枚のほうが訴えます。
今回のシンポジウムには、森美術館シニアコンサルタントで、浅野研究所代表取締役である広瀬麻美氏が登壇しました。広瀬氏は、2009年に六本木ヒルズ 森美術館で開催された「医学と芸術展」を企画しています。この企画は、93日間の開催期間に約34万人が来場し、800件のメディア取材がありました。 通常の展示企画より、反響は遙かに大きかったようです。
この企画の特徴は、中世からの解剖図や実際に使用された各国の医療機器に、現代美術や日本の古美術を融合させて展示したことです。確かに、外来化学療法 センターにあるリクライニング・シートにアメコミのスターたちが座っている展示には、思わず感心しました。年老いたスーパーマンの姿をみれば、老いと病を 考えるきっかけになります。
医学と芸術の融合は、今に始まったことではありません。イタリア・ルネサンスを代表する芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図は有名です。当時 の最先端の科学を芸術が伝えていたのでしょう。そもそも、当時は芸術と科学は今のように細分化されていなかったのかもしれません。
ちなみに、ダ・ヴィンチの解剖図は英国ロイヤルコレクションから出展されたものです。そもそも、森美術館の企画には英国のウェルカム財団が協力しまし た。ウェルカム財団は約2兆円の資産を運用し、世界で幅広く医学研究を助成しています。その一環として、芸術を通じ、恒常的に医学知識の啓発活動を行って いるようです。このような幅広い活動が英国医学の底力になっているのでしょう。改めて、凄さを感じました。
一連のプレゼンテーションのあと、会場から意見が出ました。その主は、東京国立博物館の島谷弘幸氏です。書道の大家で、当研究室の村重直子の紹介でシン ポに初参加しました。彼は「東京国立博物館にも医学関係の展示があるが、発信力が弱いため、世間には知られていない」と現状を紹介しました。個々は良いの だが、有機的に繋がっていない。「縦割り」と言われる、我が国の欠点を垣間見ました。現場からの医療改革推進協議会シンポジウムには、黒岩祐治氏をはじ め、強力な発信力を有する人たちが参加しています。この発言をきっかけに、有機的なネットワークができることを期待したいと考えています。
【論壇】
国民への影響を考える場合、論壇が大きな役割を果たします。「生と死」「病と健康」など抽象的な概念論を伝えるのは、論壇の力が必須です。
今回のシンポには、作家の平野啓一郎氏、宮崎学氏、社会学者の宮台真司氏、ヤメ検の郷原信郎氏らが登場しました。彼らの主張は示唆に富んでいました。 「分人主義」の平野氏、「法と掟」の宮崎氏、「共同体から幸福を問い直す」宮台氏、「法令遵守が日本を亡ぼす」郷原氏など、視点は違うものの、国際化・情 報化した21世紀において、新しい共同体のあり方を提唱しています。
医療界が抱える問題は過剰な国家統制。その結果、自律する共同体が崩壊しています。国民は、がん検診の受診率の向上も臨床研究の副作用の取り扱いも、す べて国の責任だと主張し、政府は「何とかするから、細かいことは言うな」と居直ります。医師も患者も当事者意識が希薄で、民主主義国家の体をなしていませ ん。来場の患者・医療従事者には、シンポジストたちの発言はどのように映ったでしょうか。
さらに、私にとって印象深かったのは、シンポジウム終了後の意見交換です。シンポジストから「医療が、ここまで酷いとは思わなかった」、「ワクチンラ グ、ポリオ生ワクチン問題など、論外だ」との声が相次ぎました。これだけ、医療崩壊が報道されても、論壇の人々には具体的イメージとして届いていなかった ようです。
これも一種の縦割り。医療界と論壇という「部分社会」が交流できていなかったことを示します。今回のシンポジウムが両者の交流のきっかけになれば嬉しいです。
【患者の発言】
最後に、「誰が言うと説得力があるか」について考えます。今回のシンポジウムには医師、ビジネスマン、国会議員、研究者、官僚など多彩な職種が登壇しました。いずれも、プレゼンテーションに慣れた人ばかりです。
しかしながら、聴衆の心を打ったのは、彼らではありませんでした。ストレッチャーで登場した慢性疲労症候群の患者 篠原美恵子さん、ポスト・ポリオ症候 群で苦しむ小山万里子さん、薬害肝炎被害者の坂田和恵さん、お子さんが脳腫瘍で悩む馬上祐子さん、超低体重児を出産した経験のある鈴井直子さんたちです。
同じ病気が患者と医師では全く違って見えるようです。当然のことですが、患者視点が国民の共感を呼びます。例えば、坂田さんは出産後、だるくて動けな かったそうです。本人は怠惰な母親として自分を責めました。しかしながら、後日、C型肝炎感染が判明します。坂田さんは、紆余曲折の末、薬害肝炎訴訟に参 加するのですが、訴訟を通じて知り合った患者さんたちから、更に悲惨は話を聞きます。肝炎のため、「働かない、ダメな嫁」として離婚された人も多いようで す。この話を聞けば、誰でも何とかしなければと「共感」するでしょう。やがて、国民運動へと発展します。
ところが、これがカルテに記載されると、「全身倦怠感あり、血液検査でAST 200」になります。これでは、深刻さは伝わりません。
医療は社会の営みの一つです。医療が良くなるには、社会が合意しなければなりません。坂田さんのケースが物語るのは、「共感」の重要性です。確かに、医 師が説明すれば、多くの患者・国民は「納得」します。しかし、「共感」と「納得」では大違いです。おそらく、「共感」は「当事者」の間で醸成されやすいの でしょう。「共感」をもった人どうしの関係は、共同体へと発展する可能性もあります。その典型例が薬害肝炎訴訟です。
社会を変えるのは、地に足のついた共同体であり、構成員を繋ぐのは「共感」である。今回のシンポジウムを通じて痛感しました。「現場」からの改革が必要です。