医療ガバナンス学会 (2010年12月30日 06:00)
日本医事新報2010年12月18日号14頁の記事によると、「癌ペプチドワクチンの臨床試験を巡る朝日新聞の記事によって名誉を傷つけられたとして、 東大医科研の中村祐輔教授と医薬品ベンチャー『オンコセラピー・サイエンス社』は、8日、朝日新聞社と、記事を執筆した野呂雅之論説委員、出河雅彦編集委 員を相手取り、計2億円の損害賠償と謝罪広告を求める裁判を東京地方裁判所に起こした」という。
訴訟提起とともに「記者会見を行った中村教授は『記事は私に対する誹謗・中傷に満ちたものだ。癌の進行によって、食道に静脈瘤ができ出血することは内科 の教科書にも書いてある。それを説明したにもかかわらず、記事では一切触れていない』と強調。『ペプチドワクチンと消化管出血との因果関係を否定できな い』とした朝日新聞の記事に強い憤りを示した」らしい。
日本医事新報の同記事では、朝日新聞社のコメントも同時に報道されている。「一方、朝日新聞社広報部は同日、『当該記事は臨床試験制度の問題点を被験者保護の観点から医科研病院の事例を通じて指摘したもので、確かな取材に基づいている』とコメントしている」らしい。
この裁判の行方は、今後の医療報道に大きな影響を与えるであろう。注視して行くべき重要な裁判である。
2.憲法第21条「表現の自由」
憲法第21条第1項は、表現の自由につき、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めた。報道の自由は明文では定め られていないが、表現の自由の一つとして認められることに異論はない。ただし、報道の自由とは「事実」の報道の自由であるという点は、注意を要する。
憲法学者の芦部信喜・東大名誉教授(故人)の憲法学Ⅲ人権各論(1)〔有斐閣〕282頁によれば、「報道の自由とは、一般に、報道機関が印刷メディア (新聞・雑誌)ないし電波メディア(放送)を通じて、国民に『事実』を伝達する自由だと解されている。もともと表現の自由(言論・出版の自由)は、『思 想』の発表ないし『意見』の表明の自由を言い、単なる『事実』の報道を含まない、という見解も有力だった。それを示す典型的な例として、ワイマール憲法下 のドイツで、意見の発表(表明)と事実の報道とを区別するのが通説であったこと、それを受けて戦後の現行基本法が、意見表明の自由と出版の自由・報道の自 由とを並べて明文で保障する規定を置いていることを挙げることができよう。しかし、表現の自由に言う『表現』の意味が広義に解されるようになるに伴って、 報道の自由は、それに関する明文の規定がなくても、当然に表現の自由の保障の中に含まれていると考えられるようになった。」
最高裁判所も1969年11月26日大法廷決定で、このことを認めている。「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重 要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した 憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。」
3.一般紙第1面で報道すべき「事実」
芦部教授や最高裁決定が述べたように、「事実」の報道の自由は国民の知る権利に奉仕するものとして、憲法第21条の表現の自由に含まれ尊重される。しか し、逆に言えば、意見の発表や思想の表明のために、報道する事実を恣意的に取捨選択してはならない。国民が意見や思想を形成する素材となる前提事実の認識 に誤認混同があったならば、国民の知る権利に奉仕するという報道の自由の本旨に反してしまう。
朝日新聞は、例えば日本医事新報のような専門紙ではない。通常一般の国民が読む一般紙である。そして、その第1面は、意見や思想よりも、まずもって重大 な事実を報道するものと一般に思われている。意見や思想にリードされて事実を取捨選択することが否定されるわけではない。とはいえ、事実は適切に報道しな ければならない使命を報道機関は負っている。そして、その適切な報道事実の上に、意見や思想が発表され表明されるべきものであろう。
一般紙という朝日新聞の性格、および、重大な事実の報道が前提となる第1面の性格からすると、10年10月15日付朝刊第1面の「事実」の報道は、「意見」の発表との混同があると評せざるを得ない。一般読者たる通常一般人に誤認混同を与え得る「事実」報道であると思う。
4.「重篤な有害事象」は日常用語でない
一般読者は、「重篤な有害事象」とあるので、死亡もしくは重大な後遺障害があり、かつ、その結果はがんペプチドワクチンとの日常用語的な因果関係があった、と思ったのではあるまいか。
実際は、患者は血圧も下がらず1週間入院期間が延びた後に軽快して退院したらしい。朝日新聞の記事では、このことにまったく言及がなかった。
また、有害事象というのは、医療上の専門用語である。副作用や併発症、偶発症も含む。日常用語的因果関係も科学的因果関係(統計学的に有意なこと)もあ るのが副作用であろうし、日常用語的因果関係はないが科学的「因果関係を否定できない」のが併発症であろうし、日常的因果関係も科学的因果関係もないのが 偶発症であろう。そうすると、通常一般人たる一般読者に、併発症を副作用と誤認混同させてしまったと思わざるを得ない。少なくとも、東大医科研の副作用で はないとの説明を、記事では言及しなかった。
重要な問題は、朝日新聞の記事が意見もしくは思想の表明をよりインパクトあるものとするために、意図的に、「事実」の報道の表現を巧妙に言い回してし まったのではないか、という疑念を抱かざるを得ないことである。この点、朝日新聞社は、中村教授らとの裁判は裁判でやればよく、むしろ裁判とは別個独立 に、社内監査を実施して記事作成に至るプロセスを明らかにし、早急に記事を撤回すべきであろう。その後に、別個に意見や思想を表明して、臨床試験制度の議 論を展開すればよい。
「事実」の報道と「意見」の発表の混同はすべきではないし、また、この点こそがきちんと検証すべき重要事項であろう。
(月刊『集中』2011年1月号所載「経営に活かす法律の知恵袋」第17回を転載)