医療ガバナンス学会 (2011年1月4日 06:00)
東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム
上 昌広
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail MediaJMMで配信した文面を加筆修正しました。
2011年1月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_2270.html
例えば、茨城県出身の編集者の感想は以下です。
「天狗党、血盟団、茨城県医師会・・・・ 茨城県勢は改革のきっかけを作って、そこでお役御免という歴史を繰り返しています。これは県民性を表す「水戸っ ぽ気質」(怒りっぽい、骨っぽい、理屈っぽい。これに飽きっぽいが加わることも)の飽きっぽいに関係しているかもしれません。改革の先陣を切るにとどま り、天下を取ろうという指向性に欠けているのでしょう。」
これだけ、交通機関が発達し、人の交流が盛んになっても、地域気質というものは存在しつづけるようです。
茨城県在住の医師からも沢山の感想を頂きました。筑波大学の医学部定員を増員しているので、地元に医学部を新設する必要はないとの意見が大半でした。ま た、医学部を新設すれば、地元の医療機関から医師を引き抜かれるため、茨城の医療崩壊は加速すると危惧していました。確かに、一理あります。
しかしながら、これでは座して医療崩壊を待つようなものです。おそらく、村上龍さんが『歌うクジラ』で描いたような世界が待ち構えているでしょう。茨城 県の医師数は人口1000人当たり1.55人(2006年現在)で、埼玉県に次いで下から二番目です。一方、人口は296万人、地元の筑波大学医学専門学 群の卒業生約100人が全員地元に残っても、20年後に人口1000人当たりの医師数は2.23人にしかなりません。その頃には、筑波大学の一期生が引退 し始めますから、それ以降は全く増加が見込めません。
ちなみに、2050年の日本の人口は約1億人に減少していると予想されていますが、65歳以上の人口は3245万人で、2010年より15%増加します。茨城県は団塊の世代が流入しているため、高齢化の影響は切実です。
茨城県に代表される都市部では、地元の医療機関の医師を引き抜くことなく、医師の養成数を増やす工夫が必要です。これについての、私の考えは、また、別の機会に紹介させていただきます。
【兵庫県の医師不足】
今回は兵庫県の医師不足について考えてみましょう。私は兵庫県出身です。神戸市の舞子で生まれ、2-10歳までを播州の加古川市で育ちました。その後、 摂津の尼崎市に移り、中高は神戸市の灘中・高に通いました。大学に入学して上京するまで、私はもっぱら兵庫県で育ちました。
兵庫県が置かれた状況も茨城と酷似しています。同県の人口は559万人で、人口1000人当たりの医師数は2.0人です。全国平均を下回り、近畿以西では滋賀県・奈良県に次いで下から3番目です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/06/kekka1-2-4.html
県内には神戸大学と兵庫医大の二つの医学部があります。
神戸大学は1902年(明治35年)に、日本で二番目に設立された官立高等商業学校の流れを汲みます。1929年(昭和4年)に神戸商業大学に昇格し、戦後の学制改革で、近隣の神戸工業専門学校、姫路高校、兵庫師範学校などを統合し、神戸大学となりました。
医学部は、1964年(昭和39年)に兵庫県立神戸医科大学が移管されて、設置されました。兵庫県立神戸医科大学は、太平洋戦争中に、神戸病院を中心に設立された兵庫県立医学専門学校に由来します。
兵庫医大は、西宮市に本拠を置く私立大学です。1972年(昭和47年)に、森村茂樹氏が、自らが経営する武庫川病院を中心に設立したものです。
【兵庫県内の医師の偏在】
兵庫県の問題は医師の絶対数の不足と偏在です。特に後者は深刻です。
神戸市内の医師数は1000人当たり2.6人、西宮・芦屋・尼崎・宝塚などの阪神地区は2.1人です。この地域には、約150万人、170万人が住んでいます。
一方、明石・姫路・赤穂などの播磨地区は悲惨です。この地域には190万人が住みますが、医師数は1.6人です。茨城県の水戸周辺と似ています。
兵庫県は、摂津、播磨、丹波、淡路、但馬が一緒になった県です。このうち、90%以上の県民が播磨・神戸・阪神地区に住みますが、医学部がないのは播磨 地区だけです。このため、西播磨は岡山大学、東播磨は神戸大・阪大などからの派遣に頼らざるを得ません。専門医への搬送遅れが問題となった加古川心筋梗塞 事件、姫路での救急車たらい回しなどの大事件が多発しています。
【何故、播磨地区は医師不足なのか?】
なぜ、播磨地区は医師不足なのでしょうか。これも、地元に医師養成機関がないからです。医師の供給を周辺地域に依存せざるを得ません。
ところが、兵庫県には医師が充足している地域はありません。県庁所在地の神戸にしても、西日本の政令指定都市である福岡市(人口1000人あたり3.3 人)、大阪市(同3.1人)、京都市(3.6人)と比べれば、かなり貧弱です。このため、神戸市から地域への医師派遣には限界があり、伝統ある医学部が存 在し、医師供給能力が高い大阪市、京都市、岡山市(人口1000人当たり2.9人)からの供給に依存せざるを得ません。
余談ですが、兵庫医大の卒業生が引退する20年後まで、兵庫県内の医師は毎年100人程度増加します(神戸大学は昭和43年以降、定員は100人程度 で、引退する医師と新卒の医師の数が釣り合っています)。事実、兵庫医大が卒業生を送り出し始めた1980年から2008年の間に、兵庫県の人口1000 人当たりの医師数は1.3人から2.1人に増加しています。おそらく、兵庫医大の卒業生の多くは神戸・阪神間に定住するでしょう。そして、20年後には阪 神間や神戸の医師数は、人口1000人当たり3.0人程度に達するでしょう。しかしながら、この程度の人数は県庁所在地には必要です。特に、大阪のベッド タウンである阪神間は団塊の世代の高齢化問題が直撃します。播磨地域に医師を回す余裕はなさそうです。
http://web.pref.hyogo.jp/ac06/ac06_000000528.html#h02
【何故、播磨には医師養成機関がないのか?】
なぜ、播磨地区には医師養成機関がなかったのでしょうか。ここに、兵庫県が抱える悲劇があります。
実は、江戸時代まで兵庫県の中心は姫路でした。室町時代、姫路は播磨の守護大名 赤松氏の地盤でしたし、戦国時代には黒田官兵衛が姫路城を居城としまし た。また、関ヶ原の戦い以降は池田輝政が52万石を与えられて入城し、現在の姫路城を築城しました。その後、外様の池田氏は鳥取藩に転封され、譜代の本多 家、榊原家が入城します。歴代の姫路藩主は老中、大老など藩政の中核を担いました。
さまざまな経緯の末、幕末の姫路藩主は三河以来の名門 酒井家の宗家が務めました。1865年(元治2年)に大老に就任した酒井忠績は勤王派を弾圧。また、1867年(慶応3年)に忠績を継いだ忠惇は老中とし て、徳川慶喜を補佐しました。姫路藩にとっての悲劇は、鳥羽・伏見の戦いの際に徳川慶喜とともに大阪城を退去し、江戸に下ったことです。戊辰戦争では朝敵 とされ、姫路城は官軍の攻撃の対象となりました。
その後、姫路は新政府から干されます。廃藩置県後、姫路藩は姫路県となりましたが、まもなく周辺を合わせて飾磨県となり、1876年(明治9年)には神 戸を中心とした兵庫県に編入されました。いまでこそ神戸は大都市ですが、1868年(慶応3年)の兵庫開港まで、神戸村は一介の漁村に過ぎませんでした。 江戸時代は、姫路はもちろん、明石や西宮の足元にも及ばなかったのです。このあたり、新政府のやることは凄まじいです。
その後、現在に至るまで姫路を本拠とする総合大学は存在しません。古来、姫路藩は教育熱心でした。新田開発、飾磨港での米の流通、木綿の専売による収入 で藩校の好古堂を整備しました。さらに、家老河合道臣は私財を投じて仁寿山校を設立しました。このような学校で漢学・国学は勿論、医学・儒学が研究・教育 されたと言います。
しかしながら、好古堂の伝統は維新で断絶します。この地に高等教育機関が出来るのは、1923年(大正12年)の旧制姫路高校まで待たなければなりませ ん。全国24番目、最後の官立高校です。これは、神戸に存在した神戸高等商業学校が神戸商業大学に昇格するため、兵庫県が誘致を進めたためです。当初、神 戸への誘致を考えていたといいます。姫路高校の入学者の3-4割は地元出身だったようで、関西風の現実主義と蛮カラが交じった気質だったようです。昭和5 年には反軍的言動で河本敏夫(後、政治家)が退校処分となったのをきっかけに全校ストがおき、宮崎辰雄(後、神戸市長)が放校されています。姫路高校は、 戦後の学制改革で神戸大学姫路分校となったのち、昭和25年に閉校となりました(秦 郁彦、「旧制高校物語」)。
兵庫県は戊辰戦争の負け組や傍観した藩の寄せ集めです。状況は茨城県と酷似します。官軍に反攻した雄藩が徹底的に干され、その影響が今も残っています。
【播磨地区は、もう手遅れかも知れない】
兵庫県、特に播磨地域の医師不足は、神戸大学・兵庫医大の定員を増やしたくらいでは解決しないでしょう。元来、独立した歴史・文化を有する播磨地区に医 師養成機関を創設する必要があると考えます。ただ、茨城県と違うのは、財政状態が良好な自治体や勢いのある地場産業がないことです。その意味では事態は深 刻です。既に回復不能かも知れません。資金調達の仕組みについて、広く知恵を集めるしかなさそうです。