医療ガバナンス学会 (2023年12月12日 06:00)
日本医療法人協会常務理事・医療安全部会長
小田原良治
2023年12月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
はじめに
医師法第21条は、明治39年の旧医師法施行規則第9条に始まる。現在とほゞ同じ内容だが「異常」の文字が使われている。昭和17年、国民医療法施行規則第31条となった時に、「異常」の文字が、状態を表す「異状」に替わっている。その後、昭和23年に現在の医師法第21条となった。
厚労省も警察庁も旧内務省の一部であった。昭和13年に内務省衛生局、社会局などが内務省から分離独立し、旧厚生省となったのである。昭和22年日本国憲法が制定され、GHQの命令で旧内務省は解体された。戦後の混乱期で旧内務省解体という騒動の最中に制定された医師法第21条に異状死体等の届出義務が記されたのも納得のいく話である。当時は身元不明死体等が多かった時代であり、警察への協力が欠かせなかったのであろう。
I 医師法第21条(異状死体等の届出義務)
医師法第21条の条文は「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄の警察署に届け出なければならない。」となっている。この条文の通り、医師法第21条は、「異状死体等の届出義務」であり、「異状死の届出義務」ではない。「死体」(dead body)と「死」(death)は別物である。医師法第21条は、旧国民医療法の時代から一貫して「異状死体等の届出義務」であり、異状な状態の死体の届出義務である。また、旧法時代には、法解説にも、「屍」あるいは「死屍」と記載され、「死体」であることが明瞭に示されていた。「異状」の文字は旧国民医療法の時代から使われており、死体の「異状な状態」を示している。
「死」という人間の「経過」の異常ではなく、「死体」の「異状な状態」を示しているのである。医師法第21条の解釈は、司法的には東京都立広尾病院事件最高裁判決で確定しており、行政的にも平成31年4月24日付け厚生労働省医政局医事課事務連絡で確定している。広尾病院事件最高裁判決については後述するが、その要旨は「(1)医師法第21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することである。(2)これは当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かに関係はない。(1)(2)を前提とすれば、死体を検案して異状を認めた医師に課された、医師法第21条の届出義務は、『単に、異状死体があったということのみの届出であり、自己と死体との関連等を届け出る義務はない』のであるから、医師法第21条の規定は憲法に抵触しない」という意味である1)。異状の判断は「外表異状」によるということになる。行政的には、田原克志医事課長発言2)、大坪寛子医療安全推進室長発言3)、田村憲久厚労大臣答弁4)、平成31年4月24日付け厚労省医政局医事課事務連絡5)で「外表異状」が確定している。「外表異状」に関しては医事法判例百選第3版の小島崇宏氏の論文6)があり、専門家間に広く周知されていることである。
II 東京都立広尾病院事件判決
人の一生の経過の中の、あるいは病気の経過の中の終局が「死(死亡)」である。この「死(死亡)」を証明するものが死亡診断書である。一方、その場に存在する「死体」を見分して、既に死亡した「死体」であることを証明するものが死体検案書である。死体を見分するに際しては、その死体が犯罪等との関わりがある可能性もあるので、「死体」に異状を認めた場合には警察に協力するように定められたものが医師法第21条の規定であろう。従って、医師法第21条は「異常」ではなく、状態を現す「異状」の文字が使われているのである。即ち、医師法第21条の規定は、死体の状態に関する記述である。この死亡診断書と死体検案書の関係、検案の意義、異状とは何かが争われたのが広尾病院事件3裁判である。広尾病院事件の刑事事件3判決(東京地裁判決、東京高裁判決、最高裁判決)は医師法第21条の解釈に一体として重要な意味を持っている。
3判決とも「異状」の判断は客観的な「外表異状」であるとする点は共通しているが、東京地裁判決は死亡診断時点が検案時点であるとし、届出義務の開始時刻であるとした。東京高裁は、東京地裁判決を破棄、自判した。死亡診断時点での右腕の異常着色は、じっくり見て確認まではしておらず不十分であるとして、死亡時点で検案したとは言えないとして、届出義務の出発点は病理解剖時点であるとした。
東京高裁判決は、「死体を検案して異状があると認めたと認定できるかが問題である」と問題点を指摘した上で、事実認定に先立ち、争点となった、医師法第21条に定める「検案」の意義について裁判所の見解を示した。
東京高裁は「医師法第21条にいう死体の『検案』とは、医師が、死亡した者が診療中の患者であったか否かを問わず、死因を判定するためにその死体の外表を検査することをいい、医師が、死亡した者が診療中の患者であったことから、死亡診断書を交付すべき場合であると判断した場合であっても、死体を検案して異状があると認めたときは、医師法第21条に定める届出義務が生じる」と判示した。また「医師法第21条が要求しているのは、異状死体等があったことのみの届出であり、それ以上の報告を求めるものではないから、診療中の患者が死亡した場合であっても、何ら自己に不利益な供述を強要するものでなく、その届出義務を課することが憲法38条1項(自己負罪拒否特権)に違反することにはならない」とした。即ち、医師法第21条に定める検案を死体の外表を検査することに限定して違憲判決を避けたのである。合憲限定解釈による判決である。
上告審の最高裁判所は、東京高裁判決を容認した。
最高裁判決は、「【要旨1】医師法第21条にいう死体の「検案」とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することをいい、当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かを問わない。【要旨2】死体を検案して異状を認めた医師は、自己がその死因等につき診療行為における業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも、医師法第21条の届出義務を負うとすることは、憲法第38条1項に違反しない。」としている。【要旨1】前段は、「検案」の定義であり、異状の判断は、「外表異状」によることを示している。これを受けて【要旨1】後段では、検案の対象となる死体は、自己の診療していた患者のものか否かは問わないとした。東京高裁の判決をそのまま認めたものである。
【要旨2】は【要旨1】を前提としての考察であり、合憲限定解釈で医師法第21条の憲法違反を回避したものである。即ち【要旨1】を前提とし、医師法第21条にいう死体の「検案」とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することであるとすれば、【要旨2】医師法第21条の届出義務は、「医師が、死体を検案して死因等に異状があると認めたときは、そのことを警察署に届け出るものであって、これにより、届出人と死体とのかかわり等、犯罪行為を構成する事項の供述までも強制されるものではない」ので憲法38条1項(自己負罪拒否特権)に違反しないと結論付けた。
以上まとめると、前述した通り、「(1)医師法第21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することである。(2)これは当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かに関係はない。(1)(2)を前提とすれば、死体を検案して異状を認めた医師に課された、医師法第21条の届出義務は、『単に、異状死体があったということのみの届出であり、自己と死体との関連等を届け出る義務はない』のであるから、医師法第21条の規定は憲法に抵触しない」ということである。異状の判断は「外表異状」によるということになる。
III 平成31年4月24日付け厚生労働省医政局医事課事務連絡
平成31年2月8日、従来の厚労省見解と異なる通知が発出されたことに端を発し、大きな混乱が発生した。混乱の収束に向けて筆者らは厚労省医政局医事課と協力し、医師法第21条(異状死体等の届出義務)に関する懇談会を数回開催し、解決に努めた。この間、3月13日には衆議院厚労委員会で橋本岳議員が質問、3月14日には参議院厚労委員会で足立信也議員が核心を突く質問を行った。その後、3月19日には再度、衆議院厚労委員会で国光あやの議員の質問が続いた。多くの人々の努力の結果、平成31年4月24日付け厚労省医政局医事課事務連絡が出されることになった。厚労省の柔軟な対応により事態は収束した。これを受けて「平成31年度版死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」追補版が出されたのである。死亡診断書記入マニュアルについては次項で考察したい。
平成31年4月24日付け医事課事務連絡質疑応答集(Q&A)は、通知の発出の趣旨は、「医師が検案して異状を認めるか否かを判断する際に考慮すべき事項を示したものであり、医師法第21条の届出を義務付ける範囲を新たに拡大するものではない。」とし、「平成26年6月10日の参議院厚労委員会における田村厚労大臣の答弁及び平成24年10月26日の田原医事課長の発言と同趣旨であり、医師は、死体の検案の際に、様々な情報を知り得ることがあることから、それらの情報も考慮して死体の外表を検査し、異状の判断をすることになることを明記したものにすぎない。
また、届出の要否の判断は、個々の状況に応じて死体を検案した医師が個別に判断するものであるとの従来からの解釈を変えるものではない。」と答えている。また、広尾病院事件最高裁判決及び東京高裁判決との関係について、「判決により示された医師法第21条の死体の『検案』及び届出義務が発生する時点の解釈を含め、判決で示された内容を変更するものではない。」「医師法第21条は医師が検案をした場合を規定したものであり、『検案』の解釈は最高裁判決が示すとおり、『死因等を判定するために死体の外表を検査すること』を意味するものである。本通知は『検案』の従来の解釈を変えるものではなく、死体の外表の検査のほかに、新たに『死体が発見されるに至ったいきさつ、死体発見場所、状況等諸般の事情』を積極的に自ら把握することを含ませようとしたものではない。」と明示した。
また、「この通知は、医師法第21条の届出義務の範囲を拡大するものではなく、医療事故等の事案についての届出についても、従来どおり、死体を検案した医師が個々の状況に応じて個別に判断して異状があると認めるときに届出義務が発生することに変わりない。」と従来の解釈通り「外表異状」であることを明示した。医師法第21条の混乱は無事終息し、行政的にも完全に解決したと言えよう。令和4年7月には、前述した通り医事法判例百選第3版が出され、医師法第21条の解釈は「外表異状」でコンセンサスが得られるに至っているのである。
つづく