医療ガバナンス学会 (2023年12月12日 15:00)
日本医療法人協会常務理事・医療安全部会長
小田原良治
2023年12月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
IV 厚労省死亡診断書記入マニュアル
厚労省は毎年、死亡診断書記入マニュアルを発行している。医師法第21条の混乱の原因がこの死亡診断書記入マニュアルの不用意な記載にあるので、若干の考察を加えておきたい。医師法第21条の混乱の原因は平成7年度死亡診断書記入マニュアルである。平成7年度死亡診断書記入マニュアルの質疑応答集に「医師法第21条に『死体を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄の警察署に届け出なければならない』と規定されているが、この『異状』の基準は何か」との質問があり、回答に「『異状』の定義については医師法上定められていないが、病理学的意味での異状ではなく、法医学的な異状を指すものと考えられる。すべての死亡例に適合する異状の基準を一律に規定することはできないが、日本法医学会が定めている『異状死ガイドライン』等を参考にされたい。」と記載された。この法医学会異状死ガイドライン参考の記載が毎年受け継がれて来た。
平成25年度版でも、「『異状』とは『病理学的異状』でなく、『法医学的異状』を指します。『法医学的異状』については、日本法医学会が定めている『異状死ガイドライン』等も参考にしてください。」との記載が見られる。この『異状死ガイドライン』参考の一文が独り歩きしてバイブルと誤解されたところに医師法第21条解釈の混乱の原因がある。もっとも、平成7年度死亡診断書記入マニュアルが法医学会『異状死ガイドライン』を絶対視したわけではないようである。「すべての死亡例に適合する異状の基準を一律に規定することはできない」とも述べており、この考えは一貫していたようである。一方、医師法第21条については、「異状死体等の届出義務」と記載されており、この記載は正しく踏襲されている。
平成27年3月20日、医療事故調査制度の施行に係る検討会とりまとめが公表された。これを受けて、平成27年度版死亡診断書記入マニュアルでは、「『異状死ガイドライン』等も参考にしてください。」の記載が削除された。永年の問題点が解消されたのである。厚労省の英断であった。平成31年3月13日衆議院厚労委員会で橋本岳議員の質問に対し、吉田学厚労省医政局長は、「異状死ガイドライン」は日本法医学会という一学会の見解であるとした上で、「厚労省としては、医師法第21条に基づく届出の基準については、すべての場合に適用し得る一律の基準を示すことが難しいことから、個々の状況に応じて死体を検案した医師が届出の要否を個別に判断するものと考えている」と答弁している。法医学会『異状死ガイドライン』は元来、臓器移植推進のためのガイドラインであり、医師法21条のガイドラインではない。
この評価に値する平成27年度版死亡診断書記入マニュアルの記載は28年度版でも踏襲されているが、平成29年度版で変化する。平成29年度版から平成31年度版までの死亡診断書記入マニュアルは功罪半ばしているが、平成31年度版で問題点が露出し大騒動を巻き起こすこととなった。平成29年度版時点では、医師が死亡に立ち会えなかった場合についての具体的記載がなされており、医師法20条ただし書きの運用を明示し、在宅医療を念頭においた貴重な記載となっていた。一方、医師法第21条を「異状死体の届出」と誤って記載しており、この変更には疑念を感じていた。従来から医師法第21条は「異状死体等の届出義務」とされて来た。条文上、医師法21条の届出義務には、死体のみでなく死産児を含んでいるので、「異状死体等の届出義務」が正しい。
死亡診断書記入マニュアルは平成31年度版で大混乱を来す。その結果、平成31年度版死亡診断書記入マニュアルは2つ存在することとなった。追補版が出されたのである。平成31年度版には、平成31年2月8日医政医発0208第3号通知が掲載されていたのである。この通知は、「外表異状」を否定するかのように読める通知であったため、筆者らは厚労省に抗議を行っていた最中である。
この時起きた混乱の収束を図るため厚労省と筆者らは合同の講演会を開き誤解の解消に努めた。その結果として、平成31年4月24日付け厚労省医政局医事課事務連絡が出され、平成31年度版死亡診断書記入マニュアル追補版が出されることになった。追補版には、追加のページ24-2から24-4が挿入された。この時、筆者らが医師法第21条の記載も間違っていることを指摘したことにより、追補版の記載は、「医師法第21条」とのみ記載され、(異状死体の届出)との記載は削除された。その後は、ページ番号は異なるが、医師法第21条については現在まで同じ記載が踏襲されている。
V 医師法第21条(異状死体等の届出義務)の意味するもの
以上述べて来たように、医師法第21は、「異状死体等の届出義務」であり、「異状死」の届出義務ではない。「異状死体」と「異状死」は異なる。法医学会「異状死ガイドライン」はそもそも臓器移植を念頭に作られたものであり、医師法第21条を解説するものではない。法医学会という一学会の意見に過ぎないのである。医師法第21条の条文は明治以来の条文である。永年何ら問題とならなかった医師法第21条がこれほどの大事件になったのは「異状死ガイドライン」という紛らわしいタイトルが医師法第21条と結びついてしまったことである。また、これを厚労省が不用意に死亡診断書記入マニュアルに掲載してしまったことである。厚労省は既にこのことに気づき平成27年度版死亡診断書記入マニュアルで修正を行った。吉田学医政局長も、「異状死ガイドライン」は、法医学会の一見解に過ぎないことを明言したので、医師法第21条問題は司法的にも行政的にも既に解決しているのである。何故に医療界のみが未だに「異状死ガイドライン」に囚われているのか。この固定観念の解消を図ることこそが日医の使命であろう。
医師法第21条(異状死体等の届出義務)は「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄の警察署に届け出なければならない。」というものである。この意味するものは、広尾病院事件最高裁判決に示されている。即ち、「医師法第21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することであり、この法の及ぶ対象には、自己の診療していた患者の死体も含まれる。」これが広尾病院事件判決の主たる判旨である。我々医療者に必要なのは、この「検案」の定義であり、異状の基準とは、死体の「外表異状」であるということである。
付記すれば、最高裁は【要旨2】で医師法第21条は憲法違反規定ではないと判示したのである。ただし、それは「検案」の定義を「死体の外表を検査すること」であると限定し、「異状の基準」を「外表異状」と限定するという前提があってのことである。医師法第21条の規定が自己負罪拒否特権に違反しないとする憲法判断は、逆に言えば、医師法第21条にいう「検案」を拡大解釈し、「外表異状」以外の異常(経過の異常等)を取り込めば、自己に不利な供述を強要することとなり医師法第21条そのものが憲法違反規定になるということでもある。
おわりに
医療界に激震をもたらした医師法第21条問題は、医療事故調査制度と並行して解決に至った。司法的にも行政的にも、さらに関係専門家のコンセンサスとしても解決したのである。しかし、未だに「異状死体の届出義務」を「異状死」と混同した論説が出されているようである。甚だ遺憾なことである。さらなる問題点は、医師国家試験の医師法第21条に関する問題が間違っているらしいことである。関係者の適切な対応が求められている。
日医もいつまでも「異状死ガイドライン」に囚われていてはならない。医師法第21条問題は既に解決したことを会員に周知すべきであろう。当時の状況から妥協案として記載した平成31年度追補版死亡診断書記入マニュアルの「医師法第21条」とのみの記載も「医師法21条(異状死体等の届出義務)」と本来の正確な表記に戻すべき時期に来ているのではないだろうか。
(1)小田原良治、井上清成、山崎祥光
新版医療事故調査制度運用ガイドライン、幻冬舎、東京、2021年、P23
(2)平成24年10月26日第8回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会議事録
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002pfog.html
(3)小田原良治
未来の医師を救う医療事故調査制度とは何か 幻冬舎 東京2018年 P361
(4)平成26年6月10日参議院厚生労働委員会議事録
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=118614260X01920140610&page=14&spkNum=97¤t=1
(5)平成31年4月24日付け厚生労働省医政局医事課事務連絡
https://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/dl/manual_h310424.pdf
(6)小島崇宏
医事法判例百選第3版 有斐閣 東京
2022年 P6-7
(7)小田原良治
死体検案と届出義務―医師法第21条問題のすべて― 幻冬舎 東京 2020年
P167-186