医療ガバナンス学会 (2024年1月12日 12:00)
カレル大学 第一医学部医学科
村澤玖宣
2024年1月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
世界的にみても平和な国の一つと思われていたチェコでこのような事件が起きることを想像できた人はいただろうか。
世界中が悲しみに包まれる中、疑問が投げかけられた:どのようにして犯人は大学で銃を乱射したのか?動機はなんだったのか?
犯人の人物像とは?
私が調べた情報をもとに、詳細に触れていく。
チェコ警察署長、Martin Vondrášekは、「当局は大学での殺人事件の前に犯人の情報を掴んでいた」と述べ、「警察は犯人が自ら命を絶つつもりで故郷のホストゥニ村 (プラハから北西に20km) からプラハに移動しているとの情報を得た」と語った。それからしばらくして、犯人の父親と思われる男性がホストゥニで遺体で発見されたという情報が警察に入った。また、Vondrášek氏によると、警察は犯人が事件当日午後2時に講演会を持っていたことを知っており、講演会が行われる予定だった建物から避難させた。しかしその後、当局は別の建物で銃撃があったとの通報を受けたと警察署長は述べた。
チェコ警察は翌日金曜日、この銃乱射事件への対応中に撮影されたボディーカメラの映像を公開し、警官が廊下を捜索し、建物から人々を避難させる様子を映した。また、多くの犠牲者が発見された教室の中も映っている。
チェコ当局はまた、12月15日にクラノヴィツェの森で父親と赤ん坊を殺害するのに使われた銃が、”カレル大学で銃を乱射した犯人が住んでいた家から発見された”と同日発表した。警察は、プライバシー保護のため、名と姓のイニシャルのみを名乗るというヨーロッパの警察の慣例に従い、犯人をDavid K.と名乗った。彼はカレル大学の世界史を専攻している大学院生で、銃乱射後自殺したという。
警察は、犯人がDavidKozakという名でメッセージアプリ”Telegram”にロシア語で投稿された、大量殺人を予告する暴言を含んだ一連のメッセージと関連があるかどうかを調査していると述べていた。
この発表を元にソーシャルメディア上では、犯人の家族はロシア系であるとの報道が相次いだが、最終的にチェコ内務省は、David K.はチェコ人であり、チェコの家庭で育った、と結論づけた。
しかし、ニューヨーク・タイムズ紙が当メッセージを閲覧したところによると、メッセージはロシア語で書かれており、どうやらスラングに精通したネイティブ・スピーカーによるものらしい。
もし、今回の事件の犯人とメッセージを書いた人物が同一人物だとすれば、中央ボヘミアの小さな村で育ったチェコ市民が、どのようにしてこのようなロシア語を習得したのかは謎のままである。
私は今回の事件が起きるまでチェコは、重大な犯罪行為とは無縁な国の一つであると認識していたため、改めてチェコの銃規制法について調べた。ここで、私が得た情報を共有させていただきたい。
チェコ国内における銃撃事件のなかで今回の事件以前に、最も死者が多かった大量殺人事件は2015年に起きたもので、犯人は8人の命を奪った後、自ら射殺した。ロイター通信によると、それ以降も少なくとも1件の大量殺人が起きており、2019年には病院の待合室で6人が殺害された。
以前にも銃による重大な犯罪行為が起きているにも関わらず、なぜ今回のような史上最悪な事件が起きてしまったのだろうか。
ここで、チェコの銃規制についてみていこう。
チェコは他EU諸国と比べると比較的自由な銃規制であり、銃による事件はわずかに起きていたものの、他国に比べるとまれであった。現在、合法的に銃を手に入れるには、公的な銃器免許が必要であり、それには健康診断、武器の技能試験、前科がないことが条件となる。警察の統計によれば、1000万人の国民のうち約30万人が銃器免許を所有していて、100万丁近くが公式に登録されている。
銃のライセンスを取得するための基準はさまざまであり、誰もが身元調査と健康チェックを受けなければならなく、精神衛生上の問題があると思われる場合は、警察がその人の武器を取り上げることもできる。(この法律は2015年の銃乱射事件の後に成立。)。
チェコ内務省によれば、銃刀法の厳格化を求める改正案はすでに議会で議論されており、その立法審査が今回の銃乱射事件の前に始まった矢先のことであった。改正された法律では、潜在的な危険に関する情報に基づいて警察が銃を没収することが容易になる。また、大量の弾薬の購入を含め、異常な武器の購入を報告することが、銃の販売業者にとって法的要件となる。
今後、今回のような無慈悲で残虐な行為が二度と起きることがないよう、厳格な法改正を強く求める。
チェコ史上最悪の事件となってしまった今回の事件だが、国内の救助システムと警察との連携、そして病院で負傷者の治療に当たったすべての医療従事者により、犠牲者がさらに出ることはなかった。
このような不測の事態に事前に備えることは困難であるが、今回の出来事を機に、カレル大学に通う医学生の一人として、「目の前の負傷者を一人でも多く助ける医者になる。」と改めて、強く心に刻んだ。
仲間であり、カレル大学に通っていた学生の尊い命が失われたことを悼み、ご遺族の皆様に深い哀悼の意を表します。また、愛する人を失い、心を痛められているすべての方々に、あらためて哀悼の意を表します。
《著者経歴》
高校卒業後、Institute for Language and Preparatory Studies, Charles Universityを経て、カレル大学 第一医学部医学科 (The first faculty of medicine, General medicine, Charles University)に入学し、現在に至る。