医療ガバナンス学会 (2011年2月2日 06:00)
「医学教育モデル・コア・カリキュラムの改訂に向けて(中間とりまとめ案)」
に対するパブリック・コメント
木村 知
2011年2月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
当時、この発言に対して医師をはじめとした多くのひとから批判が噴出、大いに顰蹙を買ってしまった発言であったと記憶しているが、はたしてこの発言を「見当違いの的外れ」という一言で片づけてしまうことはできるのだろうか?
大学医学部入試では、「社会の仕組み」などといった、いわゆる「一般社会常識」といわれる事柄を敢えて問われることはほとんどないため、それらに関する知識が高校卒業レベルか、極端な話、仮にまったくなくても、医学部合格すること自体は可能である。
そしてそのような状態のまま医学部に入学してしまった学生は、その後、医学専門領域を学ぶ前のいわゆる「教養課程」において、法学や経済学、倫理、哲学など一通り学ぶ機会を持つが、それは一社会人として世間で活動していくうえで、およそ十分なレベルの内容とは言えまい。
病気を診るのではなく、人間を診る「医師」という職業に就くからには、「一般社会常識」はもちろん不可欠であるし、むしろ、多様な生活背景を持った生身 の人間を扱うわけであるから、プロフェッショナルとして、他の職種以上に自らの専門領域以上の幅広い知識が必要とさえ言えるかもしれない。
しかし多くの医学生は、それらを十分学ぶことなく、むしろその後の専門課程での膨大な履修事項の学習や臨床実習にエネルギーを注ぐことが主となり、その まま国家試験、そして合格すれば、その状態のまま医師としてすぐさま実際の臨床現場に飛び込んでいくことになってしまう。
そしてその医療現場で初期研修医として働くことになったならば、早朝起床し、そのまま病棟に駆けつけ、入院患者さんの容体をチェックし、外科系であれば、手術前の準備やら手術がなければカンファレンスや教授回診の用意のために走り回ることになる。
検査や手術、外来診療などをこなせば、瞬く間に午後、夕方となり、翌日以降の指示出しや、検査結果の整理、カルテ記載などで、あっという間に夜になる。
ただでさえ、過密スケジュールのなか、急患や緊急オペなど入れば、何時に仕事が終了するかすら予測不能だ。このような激務ののちには、帰宅してからの勉 強時間などはほとんどないに等しいし、出来たとしても、医療に関するもの以外の「一般社会常識」を勉強する時間的、肉体的余裕など、まずない。
もっとも大切である、自らに直接関係することー すなわち自分自身が置かれている、そのような過酷な労働環境が、仮に「労働基準法」に違反している環境であったとしても、それに気づかずに働いている若い医師が多いというのが実情だ。
宿日直勤務と時間外勤務の違いや、「36協定」が実際自分の勤務している病院の労使間で締結されているのかどうか、そもそも、「36協定とはなにか」すら知らない医師は、卒後10年目の中堅医師のなかでさえ、さほど珍しい存在とは言えないかもしれない。
しかし昨今やっと、「故中原利郎先生の過労死事件裁判」などへの関心の高まりから、医師の過重労働、過労死問題と、それらを引き起こした原因である医師 削減、医療費抑制政策、それらが医療供給体制に及ぼす影響についてが、医療関係者や一部の専門家のみならず、一般のひとたちにも少しずつではあるが認知さ れ始めてきている。
それはすなわち、医療費抑制政策、医師不足対策の放置がもたらした、医療現場の過酷な労働環境と杜撰な労務管理が、医療従事者自身の健康被害発生はもと より、それが医療の受益者たる患者さん自身に対して、注意力不足に起因した医療過誤の発生などとして、直接影響しかねない、という認識としてようやく理解 され始めてきた、ということであろう。
現在は、当直明け(夜勤明け)でほぼ完全徹夜状態のまま、外科医が予定外科手術を行うことも、けっして珍しいこととは言えない現場の状況であるが、これ は患者さんの安全を大いに脅かす非常に危険な行為である。こうした状況を放置してはならないことは当然だが、このような場合は患者さんに説明したうえで手 術を避けるべきとする論文もあり[1]、今後は患者さんに術前の執刀医の健康状態や睡眠時間などを情報開示しなければならない時代が来るかもしれない。
言うまでもなく、過重労働は医師本人の安全も大いに脅かす。そして、医師本人の労働問題についての認識と知識の欠如は、さらに本人もしくはその家族を窮 地に追い込むことになる。もしも過重労働から健康を損ねた場合、労災申請できる状況であっても、それらに関する知識がなければ、労災認定されない事態と なってしまうからだ。
また、病院で診療行為を行うにあたっては、その病院と勤務医との間で「雇用契約」が締結されていることが前提であるにもかかわらず、医科大学院生が、大 学病院と雇用契約を締結することなく、学生の身分のまま、患者さんの診療を行っている大学病院もあるという(2)。その大学病院で学生の身分のまま就労し ている医師に、ひとたびその医療現場で労災事故に相当する事態が発生しても、雇用契約が締結されていないがために労災認定されない事態も起こり得るだろ う。
さらにこのような場合、患者さんは、その「大学病院に勤務している医師」の診療を受けるという「診療契約」をその病院と結んでいるはずであるのに、実際 は「大学病院と直接雇用契約していない医師」の診療を受けていることになる。その事実を、仮に患者さんに伝えず、あたかもその大学病院勤務医の診療である かのごとく、患者さんに診療行為をさせていたというなら、たとえ医療過誤などがない場合でも、患者さんに対してなされたこの大学病院の行いは、「債務不履 行」責任に問われることとなるのではなかろうか。
さてこのように、現在多くの複雑に絡みあった問題を、実際の医療現場はかかえている。
将来「患者さんの健康を守るために」医療現場で実際に患者さんに接することになる医学生が、このような問題を知らず、ただ「医学知識」のみを習得しただけで「社会」に出て行ってよいものであろうか。
医学生に、労働基準法遵守のもとで働く医師の権利をはじめ、医療現場における医療従事者の労働問題について、学び、議論する機会を与えなくともよいのだろうか。
それとも、「医師も『労働者』であり労働基準法遵守の環境で働く権利があるのだ」という認識を、医学生の時点で教えることは、 将来「患者さんの健康を守るために」医療現場で実際に患者さんに接するうえでの、「障害」となり得るのだろうか。
「医師の労働環境が改善される見通しもつかない現況で、医学生に労働基準法を教えたところで、彼らをただ混乱させるだけだ」という意見や、「医学生に労 働基準法を教えることは、医師としての責任感や使命感を希薄化させることに繋がりかねない」、「研修医などの若い医師は『労働者』であるという権利を主張 する前に、まだ発展途上の技術や知識を習得するのが先ではないか」という意見をもつ医師もいる。
患者さんの「安全確保」という意味での労働基準法遵守は、もちろん理解できるが、あまりに「労働基準法」のみを就業前から医学生たちに強調して教えてし まうと、とくに研修医といった、未だ医療技術が未熟であったり、患者さんとのコミュニケーション・スキルや経験を積んでおかねばならない「若い医師」たち が、「労働時間厳守」のみを優先させ、患者さんに対する責任感や医療に対する使命感、診療技術や研究に対する向上心を、蔑ろにしてしまいかねない、という 意見である。
こういう考えをもつ医師のなかでも、とくに現場で働く医師を「管理する」医療機関の管理者の立場としては、勤務医の労働基準法についての認識や知識が不 十分であったほうが、研修医など若い医師を「修業中の分際」としてタダ同然の待遇で酷使する労働環境が今後も続けていけるため、確かに「管理」しやすいと 言えるかもしれない。
そして、そういう環境で育った医師たちは、さらにその部下たちに同様の待遇を課すと思われ、この連鎖をさらに延々と続けることが期待できるからだ。
確かに、現状でもし仮に、多くの勤務医が次から次へと、自分の置かれている労働環境に疑問を持ちはじめ、時間外勤務手当の請求や、労災認定申請などしは じめたら、「労働基準法違反」が常態化し、根本的解決不能状態で放置されたままの、全国の医療機関は一斉にマヒしてしまうだろうし、経営難に陥る医療機関 も相次ぐことになるだろう。
しかし一方、異なった視点から考えると、すべての「医学生」が「勤務医」になるわけではない。初めのうちは、「勤務医」として数年過ごしても、以後開業医もしくは個人病院の管理者として、「勤務医」を雇用する立場になるかもしれないのである。
労働基準法をはじめとした「医療従事者の労務管理」の知識に疎い「管理者」が、職員の労災事故に遭遇してしまったり、杜撰な労務管理による賃金不払いなどを起こしてしまった場合、訴訟や多額の賠償金を請求される事態に陥ってしまうことにもなりかねない。
つまり、将来どのような就労環境に身を置くことになろうとも、医師である以上、労働基準法をはじめとした労働問題についての認識を高め、労務管理に関する知識を持っておくことは必須と言えるのである。
かつて文科省は国立大学法人に対して、労働基準法の遵守を求めたということであるが、それにもかかわらず、実際、労働基準監督署からの是正勧告により労 働基準法違反が指摘された大学病院は、報道されているだけで2007年以降4件もあるという。また、文科省の調査によれば、2008年時点でも、5割弱の 臨床系大学院生が大学病院との雇用契約が締結されていないとのことだ[2]。
その文科省より今回公表された「医学教育のモデル・コア・カリキュラムの改訂に向けて(中間とりまとめ案)」には、「医療現場における医療従事者の労働問題」についての内容は盛り込まれていないようだ。
しかし、これまで述べてきた医療現場における諸問題を踏まえれば、他者の健康管理を任されている医師本人が、肉体的、精神的に不健康となりかねない労働 環境で就労せざるを得ない現況について、そしてその原因、その解決策等について、すべての医学部の医学教育のなかで、医学生に学ばせ、議論させる機会を作 ることは当然のことではないだろうか。
現在までそういう教育がなされていなかったとすれば、そして、もし今後もそういう教育は必要ないというのであれば、それはあまりに「不自然」と言わざるを得ない。
「医療崩壊」が問題となっている今こそ、医学生には一般的な労働衛生に関する知識に加えて、「医療現場における医療従事者の労働問題」について学び考え、議論する場と機会を与えることが必要と言えるのではなかろうか。
そして、カリキュラムにこれらの内容を盛り込むことにより、ただ医学生にそれらの学習機会を設けるのみならず、それらを教える医学部教員(大学病院にお いて日々診療を行い研修医等の勤務実態を把握しているであろう多くの臨床系教員)に対しても、医療現場における労働問題についての認識を高めることができ るであろう。それは将来的には、病院勤務医全員が自らやお互いの労働環境について、目を背けたりごまかすことなく、そしてあきらめず、共に改善策を考え議 論していく環境が整えられていくこと、に繋がっていくと期待できるのではないだろうか。
「医師には常識がない」などと、二度と言われぬようにしようではないか。もちろん現状でも「常識がない」わけではないと、私は信じているが、現状のままでは「世間知らずのまま社会に出ている」と言われてしまっても仕方がない。
今回、「医学教育モデル・コア・カリキュラムの改訂に向けて(中間とりまとめ案)」に対するパブリック・コメントとして、「医学生に『医療現場における 労働問題』について学び、議論できる機会を」と提案したが、それは他でもない、今後医師として世に出ていく若者たちが、将来「『世間知らず』であるが故の 不幸」にならないで欲しい、ただそのひとつの理由に尽きる。
参考文献
[1] Nurok M, Czeisler CA, Lehmann LS, Sleep deprivation, elective surgical procedures, and informed consent. N. Engl. J. Med. 2010 Dec 30; vol. 363(27) pp. 2577-9
[2] 江原朗「医師の過重労働 小児科医療の現場から」勁草書房(2009)
木村 知(きむら とも)
有限会社T&Jメディカル・ソリューションズ代表取締役
AFP(日本FP協会認定)
医学博士
1968年カナダ国オタワ生まれ。大学病院で一般消化器外科医として診療しつつクリニカルパスなど医療現場でのクオリティマネージメントにつき研究中、 2004年大学側の意向を受け退職。以後、「総合臨床医」として「年中無休クリニック」を中心に地域医療に携わるかたわら、看護師向け書籍の監修など執筆 活動を行う。AFP認定者として医療現場でのミクロな視点から医療経済についても研究中。著書に「医者とラーメン屋-『本当に満足できる病院』の新常 識」(文芸社)。きむらともTwitter: https://twitter.com/kimuratomo