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Vol.24070 KEEP28を目指して ~すべての歯を残すための挑戦とその障壁~(2)

医療ガバナンス学会 (2024年4月16日 12:00)


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西郷歯科クリニック(東京都目黒区)
西 裕香

2024年4月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

前回は、これからの歯科医療は予防を中心に捉えるべきであるとの話をし、そのために必要な8つの要素をについてお話をしました。 今回は、予防を主体とする歯科医療を目指す際に立ちはだかる障壁について述べていきます。

●予防歯科の壁 ①健康保険制度
その一つが日本における健康保険制度です。この制度のおかげで私たちは全国どこでも安価で医療サービスを受けられることができます。世界でも類を見ない素晴らしい制度であり、私自身も含めて多くの人がこの制度から恩恵を受けており、医療アクセスの平等性を実現しています。しかしこの制度には落とし穴があるように思うのです。

まず挙げられるのは、この制度が出来高払いであること、つまり治療をすればするほど医療者の収入が増えるために、歯科医師にとっては、積極的に治療を行うことがインセンティブにつながります。これにより、歯を削ったり抜いたりして、詰め物や入れ歯を入れるほど収益になり、むし歯にならないための予防的取組みよりも短期的には利益が出やすい治療が優先されます。このような経済的な動機が歯科医療の方向性を左右し、予防を中心としたアプローチの普及に障害となっているのです。

次に、日本の診療報酬の低さは、医療の質と持続可能性に関わる重要な問題です。スウェーデンなどの歯科先進国と比較すると日本の診療費は極めて低く、1/8~1/10と言われています。使用する薬剤や材料の単価がこの低い診療報酬を上回ることもあり、経済的に非効率な状況を生み出しています。ここ数年の急激な物価高騰により、歯科で取扱う器具、薬剤、技工代のコストはさらに上がっています。
しかし、保険点数、つまり診療報酬は、物価の変動に対して十分に調整されていないために、経済的に採算の合わない治療が増えているという現実もぜひ知っていただきたいです。「より質の高い治療を提供したい」と歯科医師や歯科医療従事者であれば誰もが思っている願いに反して、予算の制限が質の高い医療の提供を妨げています。

第三に、全国一律の料金設定である点です。これは一見公平に見えますが、実際には地域間の経済的不均衡を反映していないために、一定の不平等を生んでいると言えます。例えば、山形県酒田市の土地価格と東京銀座の土地価格は大きく異なりますし、人件費も地域によって異なる最低賃金が設定されています。
飲食業界では、地方と東京とでは全く同じサービスや商品であっても価格が異なることが一般的に受け入れられています。しかし医療分野では、地価や人件費の違いに関わらず、全国で一律の料金設定がなされていることは本当に健全な状態と言えるのか、という問題提起は、歯科医療を含む日本の医療制度全体にとって重要な検討課題であると考えています。

こうした状態で歯科医師が一定の収入を確保するためには主に2つの選択肢があります。保険診療ではなく自費診療にして適切なフィー(治療費)をいただくか、保険診療を続けつつ、とにかく数をこなすかです。自費診療を勧められると、時に「悪徳だ、儲けようとしている」「金を巻き上げる歯医者だ!」と受け取られがちですが、内情を知る歯科医師からすれば至極真っ当な選択であり、丁寧かつ質の高いサービスをするためには提案せざるを得ないのです。
後者の数をこなす(短時間で多くの患者を診る)選択をとる場合、質の担保が不確実になります。歯科専門医の中には、保険診療を一切行わず、一つの治療に最低1時間から2時間をかける場合もあります。これは、どれだけ腕の良い歯科医師であっても質の高い治療を行うには適切な時間が必要であることを示しています。

前回挙げた予防主体の歯科医療で必要な8項目を行っていく場合も、治療と同じかそれ以上に患者さんとのコミュニケーションに時間が必要になります。しかし、現在の制度では、収入に直結しているのはメインテナンスと検査から治療までの部分のみで、一部の検査やリスク評価は保険の適応外であることも多く、ホームケアに対する指導も算定に上限があります。患者さんに説明して情報共有する時間のほとんどは収入にならないため、結果として数をこなさなくてはならない場合に省かれてしまうことになります。

私は健康保険制度そのものを否定しているわけではありません。1961年にこの制度が始まった当初は、「むし歯洪水時代」と呼ばれ、治療需要が高かったために、国民全員が安価に医療を享受することが急務でした。
しかし、60年以上経過し、人口構造、社会や生活スタイル、価値観も大きく変わり、むし歯や歯周病が予防可能な疾患であると明らかになった現在、歯科医療のシステムも変化を迎えています。予防的処置や継続的な管理に対して保険算定のできる枠組みが増えつつあるものの、国民医療費に占める歯科医療費の割合は年々減少しており、今後予算が大きく増えることがないことは情勢をみれば明らかです。限りある医療費の中でより効率的、効果的にあるべき歯科医療が滞りなく実現できる制度となるよう、時代に合わせた見直しが進むことを期待しています。
年間2.7兆円を歯科医療費に費やしながら、28本あった歯が14本になってしまう歯科医療を見直し、より予防に焦点を当てた歯科医療へとパラダイムシフトする時期に来ているのかもしれません。

●予防歯科の壁 ②歯科医学教育
日本で歯科医師となるためには、まず6年間の歯学部教育課程を終了し、その後歯科医師国家試験に合格し、指定の機関で臨床研修を1年以上行うことが必要になります。全国に29の歯学部が存在し、毎年およそ2,000名が新たに歯科医師となります。

日本の歯学部教育は、主に「治療」が中心です。もちろんむし歯や歯周病の病因論は学びますし、予防歯科という分野もあり、予防の重要性は認識されています。しかし6年間の大半は歯をどう削ったり抜いたりするのか、どうやって修復、補綴をするのか、どんな材料があるのかといった治療技術の習得に使ったように思います。予防のために実際の臨床で何をどうすれば良いのか、記憶を振り絞っても大学で学んだことはほとんどないと言っても過言ではありません。歯科医師が学生時代から治療に重点をおいた教育を受けてきたため、卒業後に予防歯科に興味を持っても、何をどこで学べば良いのか分からない歯科医師も少なくないのではないかと思います。

どれだけ予防に力を入れても疾患や治療の需要が完全になくなることはないにも関わらず、予防を重視する歯科医師は「予防でむし歯や歯周病がなくなったら自分たちの仕事が奪われてしまうではないか!」と同業である歯科医師から本気で言われることもあります。歯科医療業界では「治療の上手い歯科医師」に高い評価がおかれています。歯科医師の教育課程で、予防の概念と実践技術を標準的に取り入れることが必要です。そうでなければ、歯科医療は治療を中心としたアプローチから脱却することが難しいでしょう。

●予防歯科の壁 ③歯科衛生士の不足
予防を中心とした歯科医療を進めていく場合、多くの検査や患者さんとのコミュニケーション、歯周病の基本治療や定期的なメインテナンスに含まれるバイオフィルムの破壊と除去を目的としたプロケアは、臨床現場では歯科医師ではなく歯科衛生士によって行われます。日本に歯科医師が約10万人いるのに対し、歯科衛生士は24万人いますが、実際に就業しているのはその半数以下の約10万人です。これは、歯科衛生士の離職率が高いことを示しており、多くの歯科医院では慢性的な衛生士不足に悩まされています。仕事内容に不満を感じる方が多いようで、その割合は26.4%であると報告する調査もあります。

歯科衛生士は、本来、予防業務に特化したプロフェッショナルであり、患者さんと人生を並走できる大変重要かつ価値のある役割を担っています。しかし、多くの歯科医院では、彼らの能力が診療補助や後片付け、単調なクリーニング作業に限定されてしまうこともあるようです。このように歯科衛生士としての専門性を活かす機会が少なくなり、やりがいや専門職としての充実感を見いだせなくなることも離職に繋がる要因の一つではないかと考えています。
歯科医師としては、衛生士が予防業務に専念できるような診療環境を整え、衛生士として求められる知識や技術の習得を促し、成長を実感できる職場をつくることが求められます。予防歯科の重要な要素である定期的な質の高いメインテナンスのニーズの高まりに対して、それを実践できる歯科衛生士が足りなければ、不利益を被るのは患者さんなのです。

●予防歯科の壁 ④成果が出るまでの時間と価値
「治療主体」の歯科医療と「予防主体」の歯科医療の大きな違いに「成果を実感できる時間」が挙げられます。例えば、痛みを訴えて歯科医院を訪れた場合、治療によって痛みが軽減されたり、むし歯で大きな穴が開いていたものが綺麗に修復されたり、歯のないところに入れ歯が入りよく噛めるようになると、その成果は目に見えて明確です。
こうした治療を通じて、患者さんから感謝されることは歯科医師としてこの上ない喜びでもあり、やりがいを感じる瞬間です。患者さん自身もその効果を短期間で実感でき、明確なビフォーアフターを認識しやすく、治療に対してはその価値を実感しやすいです。この即効性が、多くの人々が治療を重視する理由の一つとなっています。

一方、予防主体の歯科医療は、目に見える即時的な効果が少ないために、その価値を実感するのが難しい側面があります。何の問題も不自由もない状態で歯科医院に通いメインテナンスを受け続けると、汚れが落ちてスッキリする感覚はあっても、その効果を治療の前後のように実感することは難しいと言わざるを得ません。しかし、予防主体の医療の真価は、長期間にわたる健康状態の維持にあります。10年、20年、30年と経過した際に、新たなむし歯ができなかった、良好な歯の状態が維持できていると初めて分かるのが、「予防主体」の歯科医療の効果の証なのです。

さらに、予防主体の医療は経済的な観点から見てもメリットが大きいです。患者さんの中には定期的に出費があることを負担に感じる方もいると思いますが、虫歯や歯周病が進行することで、何度も再治療を繰り返し、痛みや不具合と向き合い、それでも結果的に歯を失っていく中で生涯かかる治療費の方がよほど高額になり得ます。予防歯科は長期的に見ればはるかに経済的です。予防歯科では「何も治療をしなくて済んでいる」状態を維持するための対価をいただきます。「予防主体」の歯科医療においては効果を実感するまでに時間がかかること、治療をしないことにこそ価値があるのだということを一人でも多くの方に知っていただきたいです。

●選択するのは患者さん
ここまで述べてきた日本人の口腔内の状況や歯科医療の問題点について、多くの人にとってほとんど知る機会がないことが最大の問題です。むし歯や歯周病は予防可能であり、定期的で適正なメインテナンスによって、生涯にわたって健康な歯を守ることができるという事実も、まだ広く知られていません。さらに、従来の「治療主体」の歯科医療の在り方に対して疑念を抱き、「予防主体」の歯科医療へ舵を切っている歯科医師がいることも、まだ一部の方しか知りません。

多くの患者さんが「もっと歯を大切にすれば良かった」と後悔し、「もっと早くこの医療に出会いたかった」と涙する瞬間を目の当たりにしてきました。一度失われた歯は二度と生えてこないために、その歯をどうやって守っていくのか、いかないのか、その選択は患者さん自身の選択に委ねられています。
私の歯科医院へ来た方の中にも、どれだけ説明しても、「予防はしないで、悪いところだけ治療してくれたら良い」という方も稀にいます。私の説明不足かもしれませんが、予防歯科を拒否することもまた患者さんの権利です。しかし、歯科医師として「予防主体」の歯科医療という選択肢を広く伝えていくことも私の使命だと感じています。皆さんはどのような未来を望み、どのような歯科医療を求めるでしょうか。

●おわりに
「臨床経験の浅い若造が何を生意気な」と感じる先輩方もいらっしゃるかもしれませんが、この度熊谷崇先生から直接指名を受け、こちらの記事を投稿する機会をいただきました。歯科医師として、日々自分の未熟さを痛感しています。これからも「患者さんが真に幸福な未来をどうすれば提供できるのか」を問い続け、地道に愚直に、理想の歯科医療を目指して努力していきたいと思います。

※プロフィール
西 裕香(にし ゆか)
2013年 東京外国語大学外国語学部卒業、一般企業へ就職
2015年 昭和大学歯学部編入学
2020年 昭和大学歯学部卒業、同大学歯科病院にて臨床研修
2021年 日吉歯科診療所(山形県酒田市)勤務
2023年 西郷歯科クリニック(東京都目黒区)勤務

 

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