医療ガバナンス学会 (2011年2月4日 06:00)
しかし現実には、根深い医療不信があり、国民医療が破壊され、世界の先端医療から取り残されている。日本医師会、日本医学会が「なずべきこと」をせず、 「してはいけないこと」をしているからではないだろうか。もしそうならば「ことばの裏」にそれらが隠されているはずである。
(1):日本医師会長の「ことばの裏」:
日本医師会長の「ことば」とは、日本医師会雑誌(139(10),2011年)の年頭所感のなかに出ているつぎの「ことば」だ。「私たち医師も医道倫理と学術に基づいた医療を行い、(中略)国民医療を守らなければなりません」。
まずこの「ことば」を分解してみよう。「私たち医師も、国民医療を守る」、これは当然のことである。では「医道倫理と学術に基づいた医療」とはどういう ことだろうか。日本医師会の設立目的と考えあわせると「日本医師会が『高揚』に努めてきた『医道』の成果と、日本医学会が『発達普及』に努めてきた『医 学・医術』の成果、それらの成果に基づいた医療」ということになるだろう。「そのような医療を行い、国民医療を守らねば」と年頭の意気込みを語っているの が先の「ことば」である。先頭に立つ会長としての、設立目的にもとづいた「素晴らしいことば」である。
つぎにこの「ことば」を医療倫理の観点から見てみよう。この「ことば」が「素晴らしいことば」であるための前提は、その「医道倫理」に問題がないことで ある。しかし日本医師会の「医道倫理」には大きな問題があり、医療不信の原因となっているのである。だからこの「ことば」は「素晴らしいことば」ではな く、その裏に「何かを隠したことば」となっているはずである。まず日本医師会の「医道倫理」の問題点をのべる。
世界の医師会のなかには、「新しい」医療倫理観をもつ医師会と「古い」医療倫理観をもつ医師会の2種類がある。前者は、国の意向や製薬企業、医局・講座 などの意向よりも「患者の人権を最優先する;To put the patient first」ことを宣言(professional autonomy)し、「患者の人権を侵害した医師を処罰するシステム(self-regulation)」を持っている医師会である。その例は、世界医 師会の考えをうけいれた世界各国の医師会である。後者は、「患者の人権は尊重する」と宣言しつつも、患者に知らせないまま、国の意向や製薬企業、医局・講 座などの意向を患者の人権より優先させた(あるいは、そのように思われる)会員医師を、「医療倫理を守るのは個人の問題」だとして放置する医師会である。 その例が日本医師会である。
患者の人権意識が高まるとともに、「古い」医療倫理観をもつ医師会が患者から信用されなくなり、医療不信をもたらすのは当然であろう。医師会のもつ医療 倫理観が、患者の人権意識に追いついていかなければ、医療不信を招くことになる。そうならないように自身の医療倫理観を変えていくことが医師会としての 「医道の高揚」ということである。日本医師会はこの「なすべきこと」を行っていないのだ。日本医師会は、「古い」医療倫理観にもとづいて作成した「医道倫 理」にもとづいた医療を会員医師に行わせている。そして医療不信を招いているのだ。日本医師会はなぜ「古い」医療倫理観にこだわるのだろうか。その理由を つぎにのべる。
日本医師会は、その「古い」医療倫理観にもとづく「医の倫理綱領」、「医師の職業倫理指針」をつくって会員に配っている。一方で、「新しい」医療倫理観 を会員に知らせないように「情報操作」(注)を行っている。「情報操作」の理由は、「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」の関係者をかばうためであ る。この「人体実験」はニュールンベルク裁判で弾劾された「人道に反する罪」とおなじである。「人体実験」の関係者をかばうためには、ニュールンベルク倫 理綱領の考えをひきついで世界医師会がつくった、「新しい」医療倫理観を日本の医療界に入れては困るのだ。そこで「情報操作」をおこなってまで「古い」医 療倫理観を守ろうとするのである。
医療不信は、患者からのクレーム・裁判の増加、警察・検察からの逮捕・起訴の増加をもたらし、医療崩壊の原因となっている。低医療費政策による過重労働 に医療不信が重なって医師の「立ち去り」を起こしているのだ。医療不信はまた「治験(治療実験)」に参加する患者を少なくして先端医療を停滞させている。 先にのべた「人体実験」、すなわち「本人の自発的な同意の無い人体実験」と現在の「治験(治療実験)」とをオーバーラップさせて、患者は”二の足”を踏ん でいるのだ。「古い」医療倫理観をおしつけられた現場の医師は、医療不信にさいなまれ、国民医療を守ることができなくなっている、これが現状である。
「情報操作」という倫理違反を犯している日本医師会のその会長が、医療不信の原因になっている医療倫理にもとづいて国民医療を守れ、と言っているのがは じめに示した「ことば」である。「ことばの裏」に隠れているのは「新しい」医療倫理観である。隠す理由は「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」の関 係者をかばうためである。この「人体実験」は日本の医学界(その代表が日本医学会である)がひき起こした「人道に反する罪」である。日本の医学界はその 「関係者をかばう」あまり、その「罪を反省する」ことをしなかった。日本の医学会がその「関係者をかばう」ことに、「情報操作」という手を貸したのが日本 医師会である。
日本医師会の設立目的の第一が「医道の高揚」である。「医学・医術の発達普及」の前に「医道の高揚」をあげている。その理由は「医学・医術」が暴走しな いように、「医道」でコントロールするためである。しかし日本医師会は「なすべきこと」をせず、「してはいけない」「情報操作」を行っているのだ。日本の 医療を破壊しているのは日本医師会ということになる。
日本医師会が「なすべきこと」は、「情報操作」を止め、「新しい」医療倫理観を受けいれることである。日本医学会が「なずべきこと」は「人道に反する 罪」に対する反省である。そのためには「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」について「触れる」ことである。「触れない」ことは「隠す」と受け取ら れて医療不信となる。日本医学会についてつぎに詳しく述べる。
(2):日本医学会会長の「ことばの裏」:
日本医学会会長の「ことば」とは、2011年1月23日発行のMRIC Vol. 16に掲載された、「肺がん治療薬イレッサ(の訴訟にかかる和解勧告)に対する見解」の中に出ているつぎの「ことば」だ。個人名での投稿であるが、肩書は 日本医学会会長でまちがいないだろう。「メリット・デメリットの判断を医療界に任せられないという方が多いのであれば、それは我々の不徳の致すところであ り、裁判所の判断を仰ぐしかないことではありますが、現在そして未来の患者さんに禍根を残しかねない今回の和解勧告について強く懸念をいだいています。」
日本医学会会長がなぜ、だれに対してこのような見解をのべる必要があるのだろうか。上述のように医療不信が先端医療の停滞の大きな原因となっている。そ して日本医学会の責務である「医学・医術の発達普及」が図れなくなっている。そこで会長として率先してその打開に動いたのだろう。素晴らしいことである。 医療不信を増幅するのはマスコミである。医療不信を過剰に煽ることのないように、まずはマスコミに向けられた「見解」であろう。これは成功したようであ る。また、日本医学会傘下の関連学会への、会長としての意志表示かもしれない。肺がん学会、臨床腫瘍学会などからも同様の声明が出されたようだ。
これらの声明内容に対して、早速、患者側からの意見がだされた(MRIC Vo. 20 (2011.1.27)「薬害イレッサについて思う」)。問題点を指摘しているのはつぎの個所である。「この声明の趣旨は、『医療における不可避の副作用 を認めなくなれば、全ての医療は困難になる』というものです。患者は不可避の副作用があるなら、それを知って納得して治療を受けたいのです。和解が目指す ものは決してがん医療を頓挫させたり、医療や薬事行政を混乱させるものではないと思います。またそもそも、自らの反省点に触れない医療界の声明からは、当 事者意識の欠如を感じます。」この意見は、日本医学会会長の見解およびその傘下の関連学会の声明の問題点を指摘するとともに、「自らの反省点に触れない」 ことが医療不信を回復させない原因であることをも指摘をしているのである。
ここで先の日本医学会会長の「ことば」にもどり、「ことばの裏」に隠されているものを見てみよう。「医療界に任せられないという方が多いのであれば、そ れは我々の不徳の致すところ」とは、「医療不信の原因は、日本の医療界の『不徳』である」と言っていることになる。「不徳」に対して反省しているように見 えるが、患者の目はそう甘いものではない。「不徳の内容」が隠されていることを見抜いているのである。それが「自らの反省点に触れない」という批判のこと ばになっているのだ。そして医療不信の解消には「不徳の内容」に「触れる」ことが必要であることを指摘しているのだ。
日本の医学界がなした最大の「不徳」、そして現在の先端医療の停滞にもっとも関係している「不徳」とは、「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」で あろう。先にも述べたが、この「人体実験」は、ニュールンベルク裁判でドイツ人医師が裁かれた「人道に反する罪」と同じである。戦後、関係者は戦犯免責に より裁判にかけられることもなく社会にもどった。その中心人物のひとりが内藤良一である。戦後の最大の薬害をもたらしたミドリ十字の創業者であり、多くの 731部隊関係者も加わっていた。
「戦争に科学者が協力したのは法にもとづいて協力したまでである」という考えにより、直接的に関係した多くの優秀な医学者を、そしてまた彼らを送りだし た当時の医学界の重鎮たちを、日本の医学界は「倫理的な非難」からかばったのである。「法」という国の意向があれば「人体実験」でも行うのがあたり前とい う考え方であり、まさしく「古い」医療倫理観である。日本医師会の考え方であり、日本の医学界の考え方も、もちろん現在も変わっていない。日本の医学界は 「新しい」医療倫理観が日本に入らないように、日本医師会に「情報操作」をさせたのである。
日本医学会が「なすべきこと」は、「自らの反省点に触れる」ことである。日本の医学界がなした最大の「不徳」、現在の先端医療の停滞にもっとも関係して いる「不徳」、すなわち「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」の「内容」について何度も何度も「触れる」ことである。それが医療不信を解消し、現在 の「治験(治療実験)」におおくの患者が参加し、日本の先端医療を進めることになる。そして、日本医学会は「医学・医術の発達普及」の責務を果たせること になるのだ。日本医学会は社会に発信するための日本医学会総会を持っている。「不徳の内容」に「触れる」ためには、これを利用しない手は無いであろう。
「政府が存在しないと言っている」などとして、「自らの反省点に触れない」のであれば、「当事者意識の欠如」と思われ、いつまでたっても医療不信は無くならない。そして、世界の先端医療から取り残されていくのである。
(3)「言葉の裏」の裏:
「情報操作」という倫理違反をみずから犯しながら、会員には医療倫理を守れという自己矛盾に陥っている日本医師会、「自らの反省点」に触れず、医療不信 を解消できず、そして「医学・医術の発達普及」の責を果たせていない日本医学会、「車の両輪」は逆回転しているのだ。これからの日本の医療をどうしようと 考えているのだろうか。
日本医師会、日本医学会がその解決策と考えているのが「全員加入制の医師会」であろう。日本医師会長はインタビューに応えてつぎのように話している。 「近い将来、医師免許を取ると同時に、全員、地域の医師会に入会してもらうという法制定も必要ではないかと思っています」(Nikkei Medical 2011.1)。また、日本学術会議(現会長は日本医学会の代表である)でも「全員加入制の医師会」が検討されているようである。
「新しき酒は新しき革袋に盛れ」という諺がある。古い革袋に盛れば、革袋が破れて新しい酒ともどもダメにしてしまうからだ。日本医師会長は新しい革袋に どのような新しい酒を盛ろうとしているのだろうか。「医療資源の効率配分ができるし、医師偏在解消にもつながる。その前提としての医師の全員加入です」と 先のインタビューで話している。「新しい革袋(全員加入制の医師会)をつくって、その中の酒(会員医師)を新しくしよう(医療資源の効率配分や医師偏在解 消のためにコントロールしよう)」という考えのようである。
信用されない医療倫理観を変えずに「全員加入制の医師会」をつくっても、医療不信を増悪させることはあっても、解消できはしないだろう。そうすれば、国民医療の破壊はつづき、先端医療は世界から取り残されるばかりである。
(注):日本医師会の「情報操作」の具体的内容については、2010年9月8日掲載の、MRIC Vol.282「プロフェッショナル・オートノミー:日本医師会の情報操作と医療界のガラパゴス化(その4/5)」を参照のこと。
(2011.1.29. MRIC投稿)