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Vol.28 丹波医療再生物語

医療ガバナンス学会 (2011年2月5日 06:00)


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潰れかけた田舎病院に厚生労働大臣がやってきた
「兵庫県立柏原病院の小児科を守る会」に守られた小児科医からのメッセージ

兵庫県立柏原病院の小児科を守る会に守られた小児科医
和久祥三
2011年2月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


はじめに

専門医不足の地方病院当直医は自分の専門外の疾患でも対応しなければならない。田舎ではこのような全科対応型当直が当然のように行われている。

丹波は人口約11万に対して、複数の公立・私立病院が存在し、人的医療資源である医師が各施設に分散し、医師たちの疲弊が放置され続けていた。更に新研修医制度導入や医療費抑制政策が地方への医療資源供給にとどめを刺す形となった。

平成16年、当院では全科当直をする他科医師の小児診療の負担を減らすためにも、周辺施設に分散する小児科医の集約化を試みたが失敗。平成18年にはかつて3病院に7名いた小児科勤務医が3病院4名に減少したため、病院間輪番制度を開始した。
しかし平成19年に入り、更に近隣の産科・小児科の撤退が進み、圏域内小児科勤務医は2病院3名へ減少(内一人が院長へ任命)、結果として産科・小児科患 者のみの集約化が進み、壊滅的な状態となった。度重なる現場からの警笛に対して行政は全く有効な手段や方向性を示せなかった。

絶望的な中、平成19年4月、丹波で注目すべき市民運動が起きた。
「兵庫県立柏原病院の小児科を守る会」である。
その運動の結果、9割を軽症患者が占めていた時間外受診者数は約4分の1まで減少した。さらに「守る会」の活動に賛同した小児科医達が大学病院などから応援に駆けつけ、平成20年6月からは当院小児科常勤医が3名増員になり、2病院6名まで回復した。

いわゆるコンビニ受診(=現在の小児医療情勢に無理解で不適切な時間外受診)を含め、住民の医療に対する大きすぎる期待や要求も医療崩壊を加速させる大き な原因である。その是正のためには一部の要求型市民運動ではなく、医療者と住民が対峙せず、相互理解・相互協力のもとに新しい医療体制を探り守っていくこ とが不可欠である。
「守る会」は自ら実践し、それが不可能ではないことを証明したのだ。

守る会の3つのスローガンを紹介する。
(1)「コンビニ受診を控えよう」
(2)「かかりつけ医を持とう」
(3)「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」

守る会の講演会内容は「医療崩壊の原因」(医師の過重労働、医師不足、医療政策の失敗)の話から、なんと「医療の不確実性の理解」にまで至る。
妊産婦死亡率の世界と日本の値の比較を例に出して、日本の産婦人科医がいかに頑張ってくれてきたのか? そしてその努力のお陰で我々日本人がいかに当たり前のように奇跡的恩恵を受けているか? ということに気づいてもらう内容だ。
これが、全国の医療者を感涙させ、兵庫丹波が医療再生の希望の地として全国から注目されるきっかけとなった「守る会」の活動である。

平成20年2月7日午前4時25分

兵庫県立柏原病院3階北病棟 産婦人科の第1分娩室で元気な女の赤ちゃんが生まれた。
その赤ちゃんのお母さんと知り合いだった私は、お祝いを言いに病室に行った。
「○○さんおめでとう!」と入って行くと・・・
お母さんは少しうれしそうにテレながら笑って「3人目やー」と言ったあと、スグに少し眉間にしわをよせ、私にこう言った。
「先生、大丈夫?勤務・・楽になったん?」と・・・・
実は、このセリフを彼女から聞くのは2回目だった。
その女の子のお母さんは県立柏原病院の小児科を守る会(以後「守る会」)開設当時からの主要メンバーだった。
そのセリフを初めて聞いたのは、兵庫県庁宛の5万5千筆の柏原病院への小児科医師招聘嘆願署名を集め、私にその現物を見せに来てくれた時だった。
署名用紙の入った大きなダンボールを運んできて、小児科外来待合の長いすに倒れこむようにすわり、「集めたでぇー」と言った後、スグに「先生、大丈夫?勤務・・楽になったん?」と私を気遣ってくれたのだ。
その8ヶ月後にこんなに幸せな瞬間をこの柏原病院で迎えるなんて夢にも思っていなかった。彼女たち自身で守った病院の産科でわが子を出産したのだから、当然、そのうれしさでいっぱいだろうなと思いながら訪室したのに・・・
彼女はそういった感慨にふける間もなく、あの時、小児科外来前で言ったと同じ言葉を私に投げかけてくれたのだ。
初めて聞いたときと同じように、私は胸が熱くなり、まぶたの裏がほんの少し潤うのを感じた。

兵庫県立柏原病院の小児科と産科を守った「守る会」の活動をいち早く評価し、絶賛した上に、実際に丹波に足を延ばしてくれた大臣がいた。今、私はその意義を改めて実感する日々を送っている。

その大臣の「守る会」宛メールを紹介する。

「県立柏原病院の小児科を守る会」の皆様へ
これこそが、地域医療の崩壊をくいとめる住民からの大きな運動だと、尊敬申し上げます。
日夜、私も、厚生労働大臣として、医療体制の再構築に努力していますが、このような運動が各地に広がるように、私もがんばります。
産科、小児科の現状は危機的です。私も、年金、肝炎などの薬害、医療問題、労働問題と身体が3つくらいほしいところです。
国民の幸せのために全力をあげますので、皆で協力して、日本をもっとすばらしい国にしていきましょう。
機会があれば、柏原病院と貴会の視察にも出かけたいと思っています。
平成20年1月24日

平成20年7月3日 午前11時15分ころ

その大臣は大勢の取材陣を引き連れ、本当に柏原病院にやってきた。黒塗りのワンボックスカーが病院玄関前でとまり、自動スライドドアが開くと、背広の前ボタンを閉めながら、大臣は颯爽とそしてにこやかに降りてこられた。
多少・・・というか、かなり舞い上がっていた私は、当時の病院長より先に握手してしまい、そのシーンが夕方のニュースで放送されるやいなや、知り合いからのクレーム対応に追われることになった。
当時の厚生労働大臣 舛添要一さんである。大臣のコメントが全国放送でながれた。
『守る会を日本の地域医療再生のモデルにしたい』

実は、記者会見会場にいた私は「たしかに、すごい運動だけど、こんなに有名になって、これからどうする?」と内心うろたえていた。
当時の私は、丹波の出来事は地方の小さな田舎町でしかありえない物語だと思っていた。
神戸大学小児科や兵庫県立こども病院から手伝いにきてくれる医師からも、「都会での応用は無理だよ」と言われていた。
守る会の運動は高く評価されるべきものだが、ただ、それをどのように広げたらいいのかも全く分からない状態だった。
大臣来丹後もしばらくの間、丹波の事例を広げる自信が私には全く無かったのだ。
あきらめと閉塞感の漂う中で、「自分さえよければいいのか?」「本当に丹波でしか実現しないのか?」「他にも広げられないのか?」というジレンマを抱えてずっと悩んでいた。
上下左右も分からない真っ暗闇の中にいた。

そんな中、自分がトンネルの中にいることに気がつかされる本に出会った。
あの人と和解する ―仲直りの心理学 (明治学院大学 井上孝代著*1)という本だ。

別に美人の嫁さんとケンカしていたわけでもない。「本屋で手にした本は買って読め」という兄貴の教えを守り、数ヶ月前に購入していたのだが、読めずに本棚 に置いていた本だった。中には、「トランセンド(超越)法」という仲直りの方法が書いてあった。夫婦喧嘩や離婚の危機回避にも役立つ、別れる時も離婚養育 費や和解金が安くなる方法とのことで、どんどん引き込まれて読んでいった。
ケンカをすることや仲が悪くなるために結婚しているのではない。それは明白だ。
一方、一生を通してどんな場面でもギャップをお互いに感じない夫婦なんてありえない。自分の中の理想の自分と現実の自分との間にすらギャップは存在するのだから当然だ。
そのギャップの乗り越え方について、決して「妥協」ではない「お互いの希望の総和プラスαの結果」をもたらす解決方法をその本は教えてくれいていた。

前提として、「お互いがこの関係をなんとかしたい」と思うことが必要である。その上で仲介者を通してお互いの事情や思いを伝え合い、共有するということ。 お互いの思いに気づきあうことで価値観が変わり、二人の真の目標に気がつける。そうすれば、その目標へむけての努力をふたりして始めることができる。
またケンカしても、その目標を思い出せば、また戦友(パートナー)に戻れるのだ。

本を読んでいるうちに、何かに似ていることに気がついた。
そう、それは柏原病院の小児科医と子どもたちのお母さんたちと丹波新聞足立智和記者の関係に似ていたのだ。
当時、私たち医者と住民の間には絶望的なギャップが存在していた。そんな中で、
私たち医療者と住民の仲介者になったのが丹波新聞の足立智和記者だった。
医療崩壊を正しく理解してもらうための新聞報道、子育て世代の母親たちの座談会まで開催し、問題を共有し、両者の目標は「みんなで地域医療を守ること」だと気がつかせてくれたのだ。
住民は医者を誹謗中傷し逮捕することが最終目標ではないはず。医者も患者さんを見殺しにするような結果など望んでいないはず。
対立する両者とその悪循環を丹波新聞の足立記者が仲介し両者に気づきをもたらしたのではないか?

「丹波の小児医療崩壊の危機はトランセンド法で解決したのでは?」と気がついた。いても立ってもおれず、この本の著者の明治学院大学の井上孝代教授宛てにメールしたところ、スグに「丹波の事例はトランセンド法を応用したものですよ」というお返事を頂けた。
うれしくて仕方なかった。なぜなら・・・
「ホ・オポノポノ(Ho’oponopono)」や「win-winの関係」など仲直りのカウンセリングの方法は数あれど、このトランセンド法の本来活用される場所は、「世界の紛争」なのだから。
トランセンド法は「対立の根本にまで目をつかい、共感をもってのぞむ態度、非暴力的な行動、創造性を活用するアプローチを探求する。そうすることによって、両者の希望を半分ずつ実現させるよりも、両者の希望の総和+αをもたらすことを目指す。」方法である。
(引用*2) 両者の我慢で成り立つ「妥協」という低い目標でなく 「両者の希望の総和をも超える目標」を目指すためその名(「超越法」)がついた。
分かりやすい事例としては(厳密に言えば違うのかも知れないが)坂本龍馬が仲介した薩長同盟の密約が似ているのではないかと思う。「薩長両藩は、傾き向き かけちゅー日本を守るために互いに尽力す」という共感できる目標に気づかせることで両藩の衝突をさけ、同じ目標に向かって協力しあえた。その気づきと対話 を龍馬らがもたらしたのだ。
共感、非暴力的、創造性を活用・・まさしくトランセンド法ではないだろうか。

私は勇気をもらった。
世界の紛争レベルの問題を解決する可能性がある方法で丹波が解決したんだ。
世界の紛争を解決する方法で丹波が解決したんだ。
それならば・・・
「田舎だから出来たんだ。」「丹波にしかできないのだ。」「都会には応用できない」と
あきらめることなんて全然ないし・・・もしかしたら、日本の医療崩壊くらいなんとかならないか?
この本は私をそんな気にさせてくれた。
真っ暗闇にいると思っていたのだが、向こうのほうに小さな光が見えた。長そうなトンネルだが、上下左右も分からない真っ暗闇とは雲泥の差だ。なんだか我慢できそうな気がしてきた。
それからというもの、テレビや新聞の取材を精力的に受けるようになった。
(誤解している方も多いので、名誉のため言っておく。取材は無報酬である。)
取材の方には皆さんトランセンド法を説明し、「仲介者」になってください!!とお願いし、握手して病院から送りだしている。
たしかに、世界の紛争は未だに絶えないし、このトランセンド法が完璧に行われる環境や人材(仲介者)が無いことも認めなくてはいけない。しかし、この本に出合い、私は丹波の医療再生物語の展開になんだかへんな自信と希望を持てたのだ。

舛添大臣が来丹され、「守る会」の運動を広く全国に広めたいと言って頂いたものの、当初は自信もなく、ただうろたえていたが、今は違う。
まだまだ問題が山積みなのは間違いないのだが、この運動を全国に広げる方法もなんとなく分かり、その意味とやりがいを強く感じている。
私や「守る会」そして丹波新聞足立記者は講演や取材を頑張ってこなしている。そして、丹波ではあれから、仲介者が仲介者を生み、どんどん仲間が増えつづけている。
同級生の開業医が立ち上げてくれた「丹波医療再生ネットワーク(里博文代表)」
子育て卒業年代の「丹波医療支え隊」、丹波市は地域医療課を作ってくれ、兵庫県も地元大学医学部も動き出してくれている。

地域医療の主語は医療者と住民・行政みんなである。
「点から線、線から面で支える地域医療。」
この丹波医療再生物語に参加すると、それを実感できるし、なんだか温かな気持ちになれる。丹波にはスーパースターは居ないけれど、疲れたら代わりに頑張ってくれる地域医療の主語たちがいっぱい居てくれるので、なんだか気が楽だ。それが丹波の強みでもある。
そしていつか、日本の医療再生の息吹がもっと大きな慣性を持ち始めたら、きっとその頃には、多くの日本人の心は救われ、日本全体が再生し始めているに違いない。
「守る会」はきっと日本を救うのだ。

最後に

私は舛添さんの2度目の御来丹を心待ちにしている。
先に御紹介した元大臣のメールの文章の中にしっかり書いてあった。私は見逃さない。
「このような運動が各地に広がるように、私もがんばります。」と
もしかして・・・当時の大臣としてだけ?? 発言の有効期限は切れてる?
でも、あきらめずメッセージを書くことにする。

舛添要一先生へ
「丹波医療再生物語へのご出演を(何度でも)丹波の有志一同、心待ちにしております。
医療崩壊は日本人の心の崩壊の氷山の一角だと思います。日本を救うために、手始めに
日本の医療を一緒に再生しましょう!」

私のつたない文章にお付き合い頂いた皆様へ
「この丹波医療再生物語へのご出演を皆様へもお願いし、私の話を終わりたいと思います。みなさんお付き合いありがとうございました。以上『ある小児科医の「心(志)」の復活編』でした。「技」(システム)編や「体」(財政 人材)編は、得意な方にお譲りします。」

最後になりましたが、この発言の機会を頂きました東京大学医科学研究所 上昌広先生に感謝申し上げます。
また、平成23年2月5日 山口県下関市で開催される日本性差医学・医療学会 第4回学術集会のシンポジウム2「今求められる患者と医療従事者の協働社会―日本の医療を守るためにすべきことは」で上先生に座長をして頂けるのを楽しみにしております。
では数日後に・・・

平成23年2月1日
兵庫県立柏原病院の小児科を守る会に守られた小児科医
和久祥三

参考文献
*1) あの人と和解する    井上孝代著
*2) ガルトゥング平和学入門 ヨハン・ガルトゥング+藤田明史 編著

MRIC Global

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