医療ガバナンス学会 (2024年10月16日 09:00)
この原稿はAERA dot.(2024年8月21日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/articles/-/231409
内科医
山本佳奈
2024年10月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
日本にいる父親から、急に連絡が入ったのは今年の2月のことでした。母が10年来付き合ってきた脊柱管狭窄症に対する、2度目の手術前の検査で影が見つかり、もともとの腰の手術が白紙になりそうだという連絡でした。
私の母は、13年ほど前に脊柱管狭窄症を発症しました。次第に歩行がおぼつかなくなるも、「どうってことない」と我慢していた母は、ある日、犬の散歩途中に転倒。あまりの痛みに近所の整形クリニックを受診したところ、肋骨が骨折していたことに加え、脊柱管狭窄症であったことが告げられたといいます。
頚椎と腰椎の2カ所に病変があった母は、その時すでに、包丁も持てなくなるほどの筋力の低下をきたしており、次第に強くなる手の痺れを我慢していたような状態でした。幸い、すぐに手術をする運びとなり、手の筋力は回復したものの、しびれは完全には無くなることはなく、歩行も依然としておぼつかないため、杖が必需品となりました。
7年ほど前に祖母が重度の認知症を発症してからは、自分の病気は後回しで、祖母の介護をする日々だった母。ここ数年、再びしびれが強くなり、毎晩のように襲ってくる足のつりに悩まされるようになり、祖母の認知症がやっと落ち着いた今年になり、再手術を決意したのでした。
そんな矢先に見つかった5センチ大の膵臓の影でしたから、母も父もとても驚いたと思います。「がんだったらどうしよう……転移していたらどうしよう」という父の不安が、電話越しに伝わってきたのを覚えています。
幸い、腰の手術とすい臓の影に対する手術はどちらも無事に成功。すい臓の影は、大きさが6センチ大の境界悪性の消化管間質腫瘍(ジスト)であったことがわかり、転移は今のところなく、定期的な経過観察を行なっていくことになりました。
腰と腹部の術後のリハビリは思ったより辛そうで、手術直後には、「体重が人生最軽量を更新してしまったよ」と連絡がありましたが、今ではすこぶる順調に回復しているようです。
●今度は祖母が骨髄検査に
そんな母の状態に安堵していた、初夏のある日のことでした。「かかりつけ医に紹介されて、大学病院で骨髄検査。ちょっと心配していますが、きっと老化現象よ」と、88歳になる祖母からメッセージが届いたのです。
どこへでも自転車で行ってしまうような元気な祖母からの連絡だったこともあり、「おばあちゃんに限って、病気だなんて考えられない。」と鷹を括っていたのですが、検査の結果、祖母は骨髄線維症を患っていることが判明。「血液が作られなくなっていってるんだってさ。老いだから仕方ないね」と受診の帰りの祖母から届いた一言に、私はどう応えていいかわからなくなってしまったのでした。
骨髄線維症とは、造血細胞を支える線維組織を作っている線維芽細胞が過剰に線維組織を作ってしまう結果、赤血球、白血球、血小板などの血液細胞が骨髄で正常に作られなくなってしまう骨髄増殖性腫瘍(※1) の一つです。動悸や息切れ、倦怠感などの貧血症状の他、腹部膨満感や腹痛などの副症状、出血傾向などをきたします。
祖母も、実は数年前から、とても疲れやすくなっていたといいます。毎日のように乗っていた自転車も乗るのが辛くなり、毎週のように行っていた市民センターでのストレッチも、長らくお休みしていたようです。布団につまずいて転倒したときにぶつけた唇が、内出血のせいで大きく腫れ上がり、なかなか腫れがひかなかったなんてこともあったようです。
これまでの不調の原因がわかった祖母は、90歳を超えた祖父とこのままこれまでと変わらない生活を維持したいという理由で、内服治療は希望せず、貧血がひどくなったら輸血をしてもらうことに決めたようで、「体力や生活の質などを考えての決断だと思うから、受け止めてあげてくれると嬉しいです。」と後日、母から私に連絡がありました。予定されていた遺伝子検査もキャンセルしたと聞き、運命を受け入れる祖母の強さを感じざるを得ませんでした。
今年で35歳になり、「もうそんな歳になったのか……」なんて呑気に思っていたのですが、祖母や母の病気の連絡を受け、同じように歳をとっていたのだと、改めて痛感したのでした。日々、健康に過ごせることに感謝するとともに、今までないがしろにしがちだった家族との時間も、大切にしなければならないと思う今日この頃です。
【参照URL】
(※1)https://cancer.qlife.jp/blood/leukemia/mpn/article16806.html