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Vol.75 横浜の麻酔科医が経験した秋田での地震体験記・震災支援にタクシーの活用を!

医療ガバナンス学会 (2011年3月20日 08:27)


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横浜市立大学附属病院麻酔科 准教授 宮下徹也
2011年3月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

■横浜の麻酔科医が経験した秋田での地震体験記

昨夏、国立がん研究センターを退職することになった頃だった。横浜市立大学附属病院に復帰が決まった私に懐かしい人から一本の電話が来た。

「秋田県横手市の平鹿総合病院を助けて欲しい」
電話の主は十数年前私が国立循環器病センターに勤務していた頃にお世話になった秋田大学医学部心臓血管外科学の山本文雄教授だった(何故かナショナルセンターで働いた人にしかわからない奇妙な絆がある)。それまで麻酔科医を派遣していた大学の撤退と同院の部長の退職に伴い、常勤麻酔科医がいなくなったとの事だった。大学側の理解を得て、隔週で木曜日から土曜日の朝まで定時手術の麻酔と緊急手術のオンコールをする事になった。

人口約10万人の横手市(秋田県第2の都市)にある平鹿総合病院は580床を有し、あらゆる診療科が標準レベル以上の医療を展開する文字通り「地域における最後の砦」の中核病院である。この様な病院こそ救いたいと思った。しかし隔週での長距離移動は確かにキツイ。後藤隆久教授(横浜市大麻酔科)に相談し、個人の負担を最小限にした長期的な麻酔科医の派遣システムを模索していた。
半年間に平鹿総合病院の手術室スタッフとも仲良くなり、いつものように横浜から来て木曜日から麻酔を担当していた。そして3月11日金曜日、
グラッ!
「地震だ!」すぐに治まると思っていた。しかし治まらない。思わず無影灯を患者の上から外した。主治医に手術を中断してもらった。全手術室のドアを開放した。無停電電源装置に切り替わった。手術室内の全員が不安だった。

頭をある略語がよぎった、CSCATTT。
横浜市立大学附属病院手術室では平成19年から毎年「シナリオ形式の手術室災害訓練」を実施してきた。現横浜市立大学附属病院救急部長(当時は麻酔科所属)の中村京太准教授の提案で始めた訓練は災害医学の手法を取り入れた新しいシミュレーション訓練だった。平成23年1月4日に手術室で行った訓練のシナリオは大規模地震発生だった。訓練のテーマはCSCATTTの徹底だった。
CSCATTT。Commander. Safety. Communication. Assessment. Triage. Treatment. Transport. この手順に従う事で効率的に患者の安全を確保する手法である。

3月11日午後、私が責任者(Commander)に自らなった。適任者は私しかいないと思った。そして安全の確保(Safety)、手術室間並びに災害対策本部との連絡の確立(Communication)、各手術の進行状況、被災状況と病院インフラの確認(院内の電力が1時間以内に停止する事がわかった) (Assessment)、手術続行か否かの判断と応急処置(途中で中止する手術もあった)(TriageとTreatment)、患者搬送経路と搬送先の確保または手術室に留まるか否かの判断(Transport)を行った。幸い院内の傷病者はいなかったため、緊急手術はなかった。そのためパニックを起こさずに対応できた。その後は搬送経路の確保ができない患者と共に暗闇の中で僅かな窓からの陽光と懐中電灯を頼りに過ごした(写真)。そして他の部署の状況把握のため、手術室を出た。院内の全ての人工呼吸患者に対して、医師に張り付いてもらうようにお願いした。ICUではPCPS(体外循環装置の一種)を装着した患者がいた。主治医とMEがすでに張り付いていた。バッテリーはあとどれ位もつのだろうか不安だった。数時間後、患者の生命維持に必要な最低限の電力が回復した。「助かった」、安堵した。しかし災害は終わっていなかった。

ここは災害拠点病院である。翌日、午前中に電力が回復し今後の対応への会議を経て救急外来が再開した。私と手術室看護師も微力ながら参加した。救急車が多数の患者を搬送してきた。外傷患者を想定していた。違った。一酸化炭素中毒患者が多数だった。関東育ちの私はこの地域の生活を知らなかった。秋田県などの北国では練炭や角を使用したコタツで暖をとっている家屋が多く、電力の供給が途絶えた状態で一酸化炭素中毒患者が増えたのだった。患者に高濃度酸素吸入、血ガス、ルート確保をした。幸い私が担当した患者は軽症ばかりだったが、重症患者はICUに入室する患者もいた。これも災害であった。津波だけではない。しかし予防が可能である。注意喚起である。電力の回復していない状態ではテレビ、電話、インターネットが使えない家屋も多い。地元出身の看護師に相談した。「町内の放送がある」、院長に地元の行政に対して働きかける様に進言した。さらに携帯電話の通話はできないが、メールは使えそうだった。東京にいる友人にtwitterで流してもらった。その後、テレビで注意喚起が流れた。電力の回復も伴い一酸化炭素中毒患者が来なくなった。救急外来は一段落付いた。今のところ(月曜日午前5時)、広域救急搬送はないようだ。月曜日には近隣の大学から応援の麻酔科医が来る事を確認できたため、横浜へ一旦帰る事にした。そしてまた水曜日夜に横手に戻る事にした。

今後、長期的な医療需要の増加があるだろう。支援が必要な事は明白である。手術室には不測の事態に対応できる麻酔科医の存在が不可欠である。しかし絶対数の不足する麻酔科医の適正な配置を可能にするシステムは未だ構築できていない。それには高い壁がある。政治、行政、大学、病院、医療従事者に存在する利害の壁である。乗り越えなければならない。

余震は今でも続いている。
■震災支援にタクシーの活用を!

秋田県横手市にある平鹿総合病院への定期的な支援を始めて半年になる。病院とホテルを往復する際にはタクシーを利用していたので運転手さんから秋田のことを色々教わった。
震災が起きて新幹線が使えないため、羽田から秋田空港まで最終便で飛んでそこから横手までタクシーで向かう途中の会話である。

「秋田ではガソリンは大変でしょう」と私が切り出すと、
「タクシーはLPGだから大丈夫だよ。秋田では大量の備蓄もあるしあまり困ってないよ。」と強い訛りで答えてくれた。
「じゃあ、盛岡や仙台までも楽勝ですか?」と訊くと、
「仙台がギリギリだな」と返事をくれた。

翌日、横手駅前でタクシーを拾い病院に向かった。ガソリンスタンド渋滞で時間がかかった。その中でまた運転手さんに質問、
「被災地まで行ったりしているんですか?」
「マスコミ関係者が横手のホテルに滞在しているよ。ここからタクシーをチャーターして往復してるんだよ。まあ、一部のタクシーだけおいしい思いをしているんだよ。マスコミもいつも同じ運転手を使うしね。」某TV会社の利用が多いらしい。

「道は大丈夫?」と訊くと、
「(岩手県の)北上までは秋田道で大丈夫。そこからは色々な道を知ってるし。」

あれだけ被災者の取材をしているマスコミ関係者は現地に寝泊まりしていなかった。この情報は一般には知られていない。この情報があれば、小回りの効くタクシーで多くの被災者が救えるのではないか?ニュースではどこもガソリンや軽油がないため、輸送できないと報道されている。ならばLPGではどうか?(皮肉にも報道する側がこれを利用していた。)

夜に突然、東京の友人から電話が来た。
「先生、麻酔薬が被災地で不足しています。リストを作りたいのでどんな薬をどこの製薬会社が販売しているか教えてください。」早速調べたのだが、ふと思った。麻酔ができない状態は非常に危険だ。自分で平鹿総合病院の院長に頼んでみた。「タクシーを使えば行けます。」すると院長から「緊急であれば当然支援します。」ありがたい返事をもらい、麻酔薬の足りないとされる大学病院麻酔科に電話をした。すると、「麻酔薬は足りています。」という返事だった。「他の病院ではないでしょうか?」

東京の友人に調べてもらったら、別の県立病院とわかった。翌朝メールで連絡をとってみると、「実は何とか足りています。大丈夫です。」情報が錯綜していた。

その夜友人からメールが入った。山形のタクシー協会が輸送に協力してくれるそうだった。東北地方のLPGスタンドはかなりある。良かった。横手のタクシー協会も参加して欲しい。山形より横手の方が近い被災地も多いからだ。

結局、自分は何もしていない。でもアイディアは活きたかもしれない。

医療が社会に不可欠であると同時に、社会からの支持と患者からの理解なしには医療は存在し得ない。将来の医療を担う人材にこのような素養があることは社会の利益になるだろうし、医療者自身の助けにもなるだろう。

 

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