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Vol.25013 東京都の無痛分娩10万円助成策の諸検討課題

医療ガバナンス学会 (2025年1月23日 09:00)


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井上法律事所 弁護士
井上清成

2025年01月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1.東京都が無痛分娩に10万円助成へ

2025年1月11日、東京都の小池百合子知事は、無痛分娩の助成制度を10月から始めると発表した。
産経新聞(東京都が無痛分娩に10万円助成へ 10月から、都道府県初 新年度予算案に12億円)によると、「東京都は11日、子育て支援策として、出産時に麻酔で痛みを和らげる無痛分娩の費用を10月から最大10万円助成する方針を明らかにした。…都道府県では初となる。医療従事者への研修なども含め、計12億円を新年度予算案に盛り込む。対象は、安全対策や人員などの要件を満たした都内の医療機関で無痛分娩をした都民。
都の調査では、必要経費は平均で約12万円という。小池百合子知事は取材に、女性職員から『あんなに痛いなら2人目は無理』と打ち明けられたことに触れた上で『高い比率で実施している国もあり、無痛分娩を選択できる社会を実現したい』と話した。」とのことである。読売新聞(東京都、平均12万円の無痛分娩に10万円助成へ…小池知事「希望すれば選択できるように」)では、さらに「安全面に配慮し、麻酔科医や麻酔に精通した医師がおり、 母体の急変時に備えて蘇生機器が整った医療機関での無痛分娩を助成条件とする。医療従事者向けの急変対応研修も実施する。」との解説も付加されているが、それは即ち、専門化された病院を指向せよ、ということなのであろう。
都内の産科診療所にとっては、存亡の危機である。そして、その危機は「都内の」産科診療所にとどまらない。全国の地方県の産科診療所にも及ぶものとなろう。
その他、東京都の無痛分娩10万円助成策の実施までには、検討すべき課題が多い。

2.全国各地の産科診療所への波及

現在、厚生労働省では「出産費用の保険適用」を進めるべきかどうかなどを巡って、「妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会」での議論が続いている。その中で、たとえば、第5回検討会(2024年11月13日開催)においては、前田津紀夫構成員(公益社団法人日本産婦人科医会副会長)が、自らが静岡県焼津市で開業している産科診療所を例にとって、「分娩数の変遷ですが、直近の10年間、平成27年には714件ございまして、コロナの頃に一気に減ってまいりました。
今、529件、今年は500件を切る勢いです。これは自然の少子化と同時に、…東京からの里帰り分娩の減少、それは基本的には無痛分娩が原因だと思っております。」(検討会「議事録」より抜粋して引用)と説明していた。なお、前田構成員の産科診療所では、「希望による無痛分娩」は取り扱っていない。

つまり、都内での無痛分娩が原因で、静岡県焼津市辺りの「里帰り出産」が減り、そのため、静岡県焼津市所在の産科診療所の分娩件数が大幅に減少し、経営が悪化しているということのようである。 都内の無痛分娩が都内の産科診療所を直撃しているだけでなく、全国各地の地方県の産科診療所にも波及しているらしい。
そうだとすると、東京都が都内での無痛分娩に10万円の助成をすることは、それこそ全国各地の産科診療所にも深刻な影響を与えかねないところであろう。
都内の産科診療所は、少子化の影響と無痛分娩の拡大のため、特に無痛分娩を取り扱わない産科診療所の多くは分娩数が減少しているようである。このことは収益の悪化に直結し、経営を悪化させてしまう。また、無痛分娩を取り扱っている産科診療所とても、さらなる過当競争から逃れられない。今、同じ自由診療である「美容医療」の分野で起きていることと同じことのようにも感じられよう。専門化された病院に、患者をいわば横取りされてしまう感じすらする。

そして、それが都内にとどまらず、地方県に波及してしまう。少子化対策、地方創生策にも真っ向から反する事態であると言わざるをえない。
このままでは、全国各地の産科診療所を潰してしまう。東京都は、周産期医療体制の一環である産科診療所の維持のため、無痛分娩10万円助成策をその実施までによく検討すべきである。

3.無痛分娩の医療安全上の真のリスク

医療安全上、一般に「無痛分娩(硬膜外麻酔)で起こりうる問題点」としては、「局所麻酔薬の急性中毒、くも膜下投与、硬膜外血腫や膿傷、永続的な感覚障害・運動障害、カテーテル遺残は、極めて頻度は低いですが、対応が遅れると死亡や永久的な神経障害につながる重大なものです。」などとある。特に、「局所麻酔薬の急性中毒」では「過量投与、長時間投与による薬の蓄積、血管内誤注入などが原因で起こります。」などとあり、「局所麻酔薬のくも膜下投与」では「麻酔の効きすぎによる呼吸困難、血圧低下、意識消失などが起こることがあります。」などとあり、これらのことこそが重大なリスクだと説明されているように思う。

確かに10年以上前の無痛分娩の普及し始めの時期は、まだ知見・経験が十分でなかったことも時にあって、そのような態様の重大事故が強調されもした。しかしながら、無痛分娩が普及して来た現在では、「急性中毒」や「くも膜下投与」のような重大事故は真のリスクとまでは言えなくなって来たように思う。

むしろ、医療安全上の真のリスクは、「分娩遷延:子宮収縮薬の使用、吸引分娩の頻度が上がります。」などという点に移って来ているように感じる。たとえば、回施異常が起こり、その際の吸引分娩や鉗子分娩が(過誤ではなくても)上手でなかった場合には、その局面で重大事故が起こっていることが多いようにも思う。それも真の「無痛分娩」のリスクなのである。

つまり、東京都はその公金を使うのであるから、医療安全上の真のリスクも十分に検討した上で、無痛分娩への助成の妥当性を考えねばならない。しかし、次に述べるとおり、研修などの安全対策だけでは十分とは言えないと思う。

そもそも「希望による無痛分娩」は、「医学的適応による無痛分娩」ではない、すなわち、医学的適応がない。つまり、妊産婦には、メリットは痛みを緩和するだけしかなく、そもそも疾病や負傷がないにもかかわらず、硬膜外麻酔を行うことによって、そこに危険を人為的に創り出しているのである。そのような状況にあるのだから、法的には危険作出の無過失責任等の厳格責任が生じる余地があろう。その危険作出に東京都も助成によって関与するのであるから、東京都は危険作出責任を分担すべきである。したがって、無痛分娩によって負傷・疾病や後遺障害・死亡が生じた時には、東京都は過誤の有無を問わず、理由の如何を問わず、補償責任を負担すべきところであろう。

4.無痛分娩高額化のまま単に10万円助成ではなく、減額化と補償を

東京都は無痛分娩の助成額を上限10万円として、その程度の金額の助成を想定しているらしい。
しかしながら、現在実施されている麻酔の保険金額は、腰部だと8000円(0.8万円)だけである(診療報酬点数・L002硬膜外麻酔・腰部800点。但し、実施時間が2時間を超えた場合は、麻酔管理時間加算として、30分ごとに400点が加算)。つまり、麻酔としての部分は1万円前後に過ぎない。それ以上の金額部分(約9万円前後)は、本当に「希望による無痛分娩」の「自由診療」としての平均額と言ってよいであろう。

そうすると、公共的・公益的な補助金額としては、約1万円前後が妥当なようにも思える。約9万円前後の自由診療での上乗せ部分(適応のない「希望による」無痛分娩)にまで補助することが妥当かどうか、検討の余地があろう。むしろ、前述のとおりの無過失補償の源資とすべく、約9万円近くは補償のストックに充当すべきである。

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