医療ガバナンス学会 (2025年2月6日 09:00)
昨年8月に医療ガバナンス研究所に参加して以来、私は主にデータ分析などの研究業務に従事してきた。今回も自分の得意分野を活かし、少しでもチームに貢献できるのではないかと、胸を躍らせながら、この機会にためらうことなく手を挙げたのである。
宿に落ち着いた翌朝、私たち8人は落ち着いた気持ちで志賀町を後にし、輪島市内にある高齢者施設へと向かった。車窓から見える雪に覆われた風景は、まるで時間が穏やかに流れているかのような空気に包まれ、これからどんな情景に出会えるのだろうと期待を抱いた。しかし、しばらくすると、目の前に広がったのは、震災の影響が今も残る様子そのものだった。ひび割れた道路、倒壊した家屋―それらは、かつての出来事の記憶を、控えめに、しかし確かな形で伝えていた。
ふとした瞬間、幼少期に過ごした上海の記憶が、穏やかに私の胸に蘇った。
あの頃、路地裏が取り壊され、しっとりとした土の上に瓦や煉瓦が重ねられていた光景。その時に感じたどこか寂しさと、かけがえのない記憶は、今もなお鮮明に心に刻まれている。その記憶が、能登の風景と重なり合い、まるで時の流れの儚さを改めて実感させるかのようであった。
目的地に到着すると、かつて高齢者施設として営まれていた建物が、静止したかのように佇んでいた。
現在は運営の継続が難しくなり、利用者の姿は見えなくなったものの、僅かな事務所だけがスタッフの温かい手によって支えられているという。責任者の方に建物内を隅々まで案内していただくと、床に散らばる砕けたガラス片や瓦礫は、当時の出来事の記録を今に伝えるかのように、その存在感を示していた。復旧作業が進む中でも、なお整えきれない部分があるという現実は、私の胸にひとしおの重みを感じさせた。
私はそっと床に足を下ろすと、ふと足元に感じた微妙な傾斜に、地震の衝撃が残した跡を実感した。目に見える白いタイルは、一見すると平坦に広がっているかのようであったが、実際に踏み込むと、その裏側に潜む微妙な傾斜が、かつての激しい揺れを今に伝えているようであった。大きな地震を生で感じたことのなかった私にとって、自然の力と人間の儚さが、ここに凝縮されているのを肌で感じる瞬間であった。
その後、事務所に戻ると、私たちは施設から離れた後の高齢者の資料を丹念に整理する作業に取り掛かった。紙媒体からパソコンのデータに至るまで、既往歴、治療歴、ADL、要介護度、食事形態など、あらゆる情報が表形式にまとめられていた。分厚いファイル一冊一冊には、その人の後半生が克明に記され、ひとりひとりの生き様が、力強い筆致で浮かび上がっていた。
229名もの高齢者の記録の中で、完全な健康状態で施設を離れた方は一人もいなかった。多くの方が複数の病を抱え、ファイルの最初のページから最後のページにかけ、確実に進む病状の変化が記録されていた。高血圧、認知症、そして筋骨系の衰えに伴う全身機能の低下は、まるで時の経過を穏やかに映し出すかのようで、全介助を必要とする方々が大半を占め、かろうじて自力で体を洗える方の数は、確かに限られていた。
各資料には、病院の診断書や家族関係、そして施設に送られてきた理由が詳細に記録され、時には死亡診断書が綴じられたファイルや、亡くなる直前の記録すら添えられていた。私は一つひとつのファイルを慎重に開き、見知らぬ人々の長い人生の最期を、まるで自らの眼で見届けるかのように読み進めた。記録された言葉の一つ一つが、その人々のかけがえのない人生の一端であり、深く私の心に響いていくのを感じた。
「亡くなる10日前から高熱が続き、食事が一切とれず、点滴のみで栄養補給」
「容体が日に日に悪化し、早めの家族連絡が必要」
「2024年1月23日 永眠」
施設に在籍していた当時は自力で食事を摂っていた方々が、いかにしてあっという間に命の区切りへと向かわれたのか。ADL調査票の記録を一行一行追っていくたびに、確実に進む衰えの跡が、まるで時の移ろいを映し出すかのように、私の前に浮かび上がった。紙のカルテをめくる手が次第に静かに震え、その一字一句に込められた想いを、決して見過ごすことはできなかった。
「私たちがこの記録を紐解かなければ、いったい誰が彼らの最期を、かつてあった命の輝きを、心に留め続けるのでしょうか」――
渡辺美智子さんのその一言は、胸の奥深くに確かな響きをもって届いた。もし私たちがここで足を止めたなら、この世界のどこかで、誰が彼らの人生の最終章に、真摯な想いを寄せるのだろうか――その問いが、私の心にしっかりと刻まれていった。
帰りの車内で、窓越しに流れる夕日の光が、柔らかくともどかしい時間を映していた。しばらく無言のまま、私はふと梁栄戎さんに尋ねた。
「年を取ったら、どんな場所で過ごしたいと思う?」
彼女は静かに窓の外を見つめ、ゆっくりと小さな息をついた。答えはすぐには返ってこなかったが、その間の静寂の中に、過ぎ去った日々の記憶と、これから迎えるかもしれない未来への複雑な思いが、かすかに漂っているように感じられた。
車内の空気はしっとりと重く、梁さんの視線は遠い記憶の彼方を見つめるようだった。彼女の眼差しには、どこか物憂げなものがあったが、同時に、これからも歩んでいく決意のような温かさも見て取れた。
その瞬間、私たちは無言のまま互いの存在をそっと感じ、これからの日々へのほのかな希望と、過ぎし日の柔らかな記憶を、心の奥深くにそっと刻んでいた。