医療ガバナンス学会 (2025年2月10日 09:00)
相馬中央病院 内科
福島県県立医科大学 放射線健康管理学講座 博士研究員
医師 医学博士
齋藤宏章
2025年2月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●黒田藩の藩校を前身とした修猷館
修猷館高校というと、私立高校なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。「館」が着く高校が地域によっては少し珍しいのかもしれません。県立高校として、福岡県福岡市に位置しています。私が在籍していた時は1学年400名、共学の高校です。
修猷館を特長たらしめているのはその長い歴史と、今に続く数々の諸先輩方の活躍にあります。在校生は入学すると天明4年、という年代を繰り返し耳にします。天明4年(1784年)に黒田藩の学問稽古所として修猷館が設立されたというルーツを繰り返し教わるためです。江戸時代、黒田藩士は県内唯一の学問所の修猷館に通い、武芸や学問を学びました。
藩校修猷館では新しい技術や文化を取り入れるために、館生を江戸・大阪、長崎に遊学させてもいたそうです。修猷館という言葉は尚書の句「践脩厥猷」に由来するのですが、特にこの名前に卒業生は誇りを持っています。
全国には藩校の名称を受け継ぐ高校がいくつか存在しますが、いずれも廃藩置県後の藩校廃止と旧制中学への移行、戦後のGHQ下の学制の変革を乗り越えて現代に継承しています。修猷館の場合は、藩校廃止で途絶えるものの、黒田家が私財を出して運営を支える形で明治18年に再興しました。県立でありながら、英語専修”修猷館”として修猷館の名前が継承されています。
この再興の際に奔走したのが明治憲法起草者の一人である金子堅太郎です。戦後は、詳細については明らかではありませんが「一切の伝統的なものを嫌う」米軍政下で校名を維持するために同窓生の活動があったとされています。旧制中学校から現在の福岡県立修猷館高等学校となりました。(この辺りは私の浅学たる歴史観によって誤っているかもしれません。ご確認ください。)
現在も校長ではなく「館長」、校歌ではなく「館歌」、校旗ではなく「館旗」と呼ぶなど、藩校の系譜であることに強いアイデンティティがあります。1784年の藩校開校から昨年で創立240周年を迎えました。
ちなみに、私は卒業後、東京に進学した際に浩浩居という男子学生寮に入寮しましたが、これは修猷館OBである広田弘毅”先輩”が設立された寮です。内閣総理大臣、文官で唯一のA級戦犯でもある広田弘毅が上京して同級生と始めた共同生活が、修猷館卒業生のたまり場となり、在京卒業生の受け皿となりました。総理大臣、城山三郎の「落日燃ゆ」が入寮面接の課題図書でした。今も、筑前地区を出身として東京に進学した学生を毎年受けて入れています。
●在校生の気質?
どういう校風なの?と聞かれることがあります。あまり一般化はできないと思いますが、「自由闊達」「質実剛健」という言葉を在校時代はよく聞きました。少なくとも私の在校時代には、教師からの独立した自治を良しとする校風がありました。
これはどういうことかというと、学校行事(運動会(体育祭のこと)や文化祭)や生徒会活動の諸行事など、学業以外のところは生徒で行うので、先生は口を出さないでね、ということです。執行部という行事運営を行う部活動に近い組織があり、年中行事の取り仕切りは彼らを中心に行なっていました。
運動会や文化祭は別途それぞれリーダーと運営組織を結成して、生徒はリーダーあるいはそのフォロワーたることを求められました。特に夏過ぎに行う運動会では全校を4つのブロックに分けて行われますが、それぞれの長が運動会に向けて組織を形成し、それぞれの競技に向けて夏休みを潰して準備や練習に励むことから、昔は4年生高校と揶揄されることもあったそうです。この辺りは他の高校の事情を伺うことはないのでユニークなのか、どうなのでしょう。
進学校で歴史的にも著名な先輩方が多く卒業されていますが、多分野にわたって人材を輩出しているのも特色です。近年では在学生で女流棋士となった水町みゆさん、ラクビー日本代表の下川甲嗣さん、東京パラオリンピック柔道銅メダリストの瀬戸勇次郎さん、今年の芥川賞を受賞された鈴木結生さんなど、卒業生の活躍がニュースを賑わすのは嬉しいばかりです。
●同窓生の結束
修猷館高校の同窓生は、各界に素晴らしい功績を残している諸先輩方がいらっしゃるのは勿論ですが、卒業後も現役生あるいは、卒業生間で交流や支援・親睦を行う文化が伝統なのかなと思います。
現役生との関わり合いで言えば、出前授業といって、毎年、担当年の同窓生が2,30程の講座を開講し、自分の仕事や研究内容についてレクチャーする事業が開催されていますし、志願した10名程度の学生がアメリカなどの海外に1週間ほど派遣される事業が同窓会の支援のもと継続しています。私も高校2年生の時にニューヨークに研修に参加させていただきましたが、研修先で卒業生の先輩方のコミュニティが出迎えてくれたことに驚いたことを覚えています。
とにかく現役生や後輩に対する「ひと肌脱いでやろう」感は強いと言えます。私が高校1年生の時に、希望者100名ほどが4日間ほど東京に行き、大学や研究所、官公庁を回って研修をするという、東京研修旅行という行事が開始されたのですが、対応いただいたのも基本的には卒業OB,OGの方々でした。その際に昭和大学の高宮有介先輩の緩和ケアに関わる講演がとても印象に残っているのを今でも覚えています。
また、東京大学をはじめとする関東の現役の大学生同窓生が1日レクチャーをしてくれる企画も印象的でした。在学中はとにかく、このような形での卒業生からの支援を受ける経験が多く、私自身も、自分が現役生に何か還元できるO Bになりたいものだと思いながら過ごしていました。当たり前のように受けていた恩ですが、卒業してからはとても貴重な機会だったなと思います。また、同窓会活動は非常に活発で、毎年福岡で開催される学年を超えた同窓会総会には1000人近い同窓生が集います。
●令和の時代に“藩校”で学ぶ意義とは
在学中にはあまり意識することはありませんでしたが、卒業して社会人として働く今、”藩校”である修猷館で学べた意義は大きかったと思います。
1つは歴史の中に今があるという意識が根付くことです。伝統を重んじる校風の中で、伝統を打ち破る、守るというような議論を経験してきましたが、これは、社会で働く上で、実は非常に重要な感覚なのではないかと思います。人や組織、地域の歴史やバックグランドから思想や文化、行動の流れを考える感覚は現代において、かえって貴重になっているように思います。
2つ目は同窓生意識、後輩への支援を惜しまない文化は特に貴重ということです。私自身、大学入学直後に修猷館高校の大先輩に、大学の医学部の大先輩をご紹介いただきました。そのご縁が今の職場にもつながっているのですが、このような支援を無条件にもらえるコミュニティはなかなか出会えるものではありません。私自身もその文化に甘えることなく、微力なりとも後輩・同窓生のために働きたいものです。
「世のため、人のため」と修猷館の館歌では謳われています。世の中に貢献できる人材でありたいと改めて思いつつ、これからも研鑽を積んでいきたいと思います。