最新記事一覧

臨時 vol 108 「Mric検察官は医療事故調査に何を見るか?」

医療ガバナンス学会 (2009年5月15日 08:46)


■ 関連タグ

             北海道大学大学院医学研究科医療システム学分野
             助教 中村利仁

 昨夏から今春にかけて、診療に関連した死亡による著名な三つの刑事訴訟であ
る、通称、福島県立大野病院事件、杏林大学割り箸事件、東京女子医大人工心肺
事件でいずれも無罪判決が出され、確定しました。
 多くの医療関係者が、これで厚生労働省が推進し、日本医師会や各医学会の幹
部の一部がそれに協力してきた医療安全調査委員会(仮称)の設置はもはや必要
がなくなったと考えていらっしゃるようです。一時はいろいろな場所でそのよう
に声をかけられ、あるいはそのような内容の反論を受けることがありました。そ
して、いまや話題にも上りません。
 ただし、行政の推進のために刑事罰を脅しとして用いるという手法は、厚生労
働省では日常的に用いられ、もはや珍しくもなく、そして未だに放棄されていま
せん。行政改革の一環として事前規制型行政から事後チェック型行政への転換が
進められ、厚生労働省にあってはそれが刑事罰を使って現場を締め上げるという
方法論にすり替わっています。
 また、最近はマスコミも何かといえば医師法、医療法等を盾に、医療機関や医
療従事者に迫ってきます。
 その流れの中で前記三つの事件は、医師あるいは医療の専門家や厚生労働省の
担当者と密接な連携を取りつつ事件に臨んだ検察官達が、三件のいずれでもその
法的評価を裁判所によって否定されたという意味で画期的であり、確かに診療に
関連する死亡が無闇と刑事立件される危険は低下したと現場で感じられたとして
も無理はないように思います。
 しかし、策源が消えたわけでも、政策手法として放棄されたわけでもないこと
に注意が必要です。
 その意味で、今年の第109回日本外科学会定期学術集会(福岡市)において4
月4日午前に開催された特別企画「医療事故への対応―医療安全調査委員会への
期待―」での法務省刑事局刑事課長・落合義和氏の発言には注目すべきものがあ
りました。満場の外科医を前にして、氏は医療安全調査委員会(仮称)の設置に
よって法廷での「鑑定合戦を避けることができる」ことを期待していることを明
らかにされました。
 刑事訴訟であっても民事訴訟と同様に、各々の医療事故で業務上過失致死相当
を主張する医師あるいは医療の専門家が必ず存在するという事実がこの発言の背
景にあります。
 また、医療事故での業務上過失致死罪については特に、「因果関係の立証の段
階でも、また注意義務の予見可能性・回避可能性の判断でも、医学的知識に基づ
く判断がなければできない。」として、その通常の過失犯と比べたときの特殊性
を丁寧に説明されました。
 そして同時に、会場からの質問に答えるという形で、医療安全調査委員会(仮
称)では、独占禁止法に於いてその告発がないと検察官が起訴することができず
(同法第九十六条)*、また、強力な捜査の権限(同法第12章第百一条?第百
十八条)を付与されている「公正取引委員会と同様の仕組みにすることは難しい」
と明言されています。
*昭和二十二年法律第五十四号(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法
律)
第九十六条  第八十九条から第九十一条までの罪は、公正取引委員会の告発を
待つて、これを論ずる。
 そしてその理由を逐一述べられた上で、では公取委と同様の仕組みにするため
の条件として、「医療事故とは何かという定義規定」「被害者側の告訴・告発権
を奪うことになる…この点に関する国民の理解」「委員長が国会に対して責任を
負う仕組み」の三つを上げられました。
(落合義和氏の発言の詳細については、m3.com編集長の橋本佳子氏による詳細な
レポート(http://www.m3.com/iryoIshin/article/94894/)から引用させていた
だいております。ご参照下さい。)
 以下、ご発言についての個人的感想と私見を書かせていただくことをお許し下
さい。
 鑑定合戦についてのご発言は、あるいは、法廷では検察官の関与できないとこ
ろで医療の評価について鑑定人同士の争いがあるという現実に対しての、医師あ
るいは医療の専門家に対する苦情の気持ちが含まれたご発言かも知れません。
 さらに医療の分野での業過罪についてのご説明は、検察官と雖も医師あるいは
医療の専門家の助言がなければ有罪の立証ができないという現実を率直に吐露し
たものなのではないでしょうか。
 また、公正取引委員会についてのご発言は、検察官も警察も、刑事告発等があ
ればたとえ医師あるいは医療の専門家の協力が得られる見込みが無くとも捜査し
なければならない立場にあるという苦悩の表現と取らせていただきたいと思いま
す。
 以上から思うに、落合義和氏のご発言は、医療安全調査委員会(仮称)ができ
たとしても、そしてそこから通知等が全くなくとも、他から刑事告発等があれば
検察官も警察も…あるいはイヤイヤながらかも知れませんが…捜査せざるを得な
いのだという宣言なのでしょうか。
 確かに医療安全調査委員会(仮称)からの通知等があればそれを尊重して検察
官や警察が捜査し、その調査報告書を有力な証拠として公訴するであろうことは
どうやら間違いありません。「尊重」というのはそういうことでしょう。
 会場のフロアでお話を聞いていて、逆にこれが医療安全調査委員会(仮称)か
らの通知等がないときにもまた捜査せず、あるいは公訴しないというご趣旨とは
どうしても取れませんでした。刑事告発等があれば、彼等は捜査して公訴を検討
する義務があるのです。学会幹部の諸先生はともかく、フロアで同じ感想をお持
ちだった先生は少なくないものと思います。
 これについてはまた、公取委並の仕組みにするための3条件が明確に示されて
います。…二つ目と三つ目は、ある意味でコインの表裏の関係にありますから、
「告発権を制限するために、委員長が直接国会に責任を負う仕組み」が必要とま
とめてしまうことができるかと思います。
 一つ目の「医療事故とは何かという定義規定」については、これは医療界で比
較的広く認められた医療事故の定義がいくつかあります。それにも関わらず、厚
労省が公表した大綱案では所管大臣が定めるとして、明確ではありません。罪刑
法定主義に反するという指摘は、大綱案の不備に由来するもの以外の何ものでも
ないと考えます。
 ただし、自分が気をつけねばならないと考えているのは、検察官にとって医学
的な「医療事故とは何かという定義規定」だけではおそらく不充分で、やはり最
終的に「因果関係の立証の段階」と「注意義務の予見可能性・回避可能性の判断」
で業務上過失致死相当であるか否かについての法的評価が必要なのだろうという
ことです。
 しかし、これは既存の国内の専門家では不可能です。
 この國には、国民一人一人の死因を検討して、科学的方法論を用いて法的評価
につなげる制度や組織が無く、そういう訓練を受けた専門家がいないからです。
医療としての評価と法的評価の間に埋めることのできない隙間があるのです。医
療者には厳密な法的評価はできず、法律家は検察官ですら医療者の法的評価を鵜
呑みにして痛い目に遭わされています。
 この隙間を埋めるためには、専門家としての権威を持って検察官等に対して死
因を説明し、これが自然死の範疇なのか、あるいは事故死でも誰の責任も問えな
い類のものなのか、あるいは誰かの責任を問うべき死であるのかを明確にする制
度と組織と訓練された人材が必要です。
 彼等の仕事は、医療と法の間の一種の通訳とも言うべきものになるでしょう。
 そして始めて、医療安全調査委員会(仮称)の報告書が正しく法的評価され、
検察官は安心してその意見を尊重することができるでしょう。
 また、「告発権を制限するために、委員長が直接国会に責任を負う仕組み」は、
その専門家の能力があってはじめて機能します。そして言うまでもなく、これは
医療安全調査委員会(仮称)の仕事ではなく、もっと広範で高いレベルでの死因
究明機関とその専門家達の仕事となるのです。その長は、落合義和氏が主張され
るように国会に対して責任を持つような立場でなければなりません。
 落合義和氏の言を展開するならば、この点でも、所管大臣の下に置かれる事と
なっている医療安全調査委員会(仮称)では、検察官の必要とし、厚生労働省の
担当者や日本医師会、各学会の幹部の諸先生が主張されるような「尊重」は行わ
れないであろうと考えます。
 ただ、注意が必要です。これら全ては、あくまでも検察官が必要としている医
療安全調査委員会(仮称)であって、医療従事者や、あるいは必ずしも患者さん
やその家族等が必要としているものではありません。
 必要とされているのは、あくまでも再び同じ不幸を起こさないための工夫であ
り、親しい人との死別による悲嘆を乗り越えるための支援なのではないでしょう
か。

 

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ