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Vol.25044 ある公衆衛生留学生の医療ボランティア体験 –能登半島から世界の災害対応へ

医療ガバナンス学会 (2025年3月11日 09:00)


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特定非営利活動法人 医療ガバナンス研究所 インターン
東京大学大学院 医学系研究科 研究生
古麗妃熱・吐爾遜(Gulfira Tursun)

2025年3月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

0.概要

能登半島地震から1年が経過した今も、輪島にはその影響が色濃く残っている。中国の予防医学専攻の留学生として、私は敬意の心をもって現地の医療ボランティア活動に参加した。そこでは、震災後の医療資源の課題やコミュニティの健康管理の難しさを痛感する一方、時の流れとともに癒えゆく記憶の痕跡にも触れることとなった。

この経験を通じて、私は災害対応の有効性や改善の余地について改めて考えさせられ、繰り返し自問した。
・災害発生から1年を経てなお、なぜ医療体制は十分に復旧していないのか?

・日本の災害対応は、個人のニーズに応えられているのか?

・高齢社会において、脆弱な立場にある人々はどのように守られるべきか?

・より人道的で持続可能かつ普遍的な「災害対応システム」は構築できるのか?

この論考は、能登地震の復興観察のみにとどまらず、災害発生後に個人がどのように認識され、どのように支援されるべきか、そしてより良い対応策を見つけるために私たちは何ができるのかという、誠実な問いかけである。

「明日が来るか地震が来るか分からない」とは、 東日本大震災の被災地で広く聞かれた言葉だが、災害は今や世界中で頻発している。そんな不確実な世界において、災害対応の議論は能登半島や日本にとどまらず人類全体にとって重要なテーマだ。私の声は微力だが、この問題に関する議論を深める一助となることを願う。
1. 震災後の道程:風景、地理、災害の交差点

1.1 東京から能登への旅と新疆との対比

東京から能登へ向かう道中、風景は次第に広がりを見せ、連なる山々が雪に覆われた壮観な景色が広がっていた。その光景に私は、「故郷へ向かっているのではないか」と錯覚し、驚きを覚えた。それほどまでに、この地の冬景色は新疆ウイグル自治区の冬と酷似していた。しかし、注意深く観察すると、その違いが徐々に見えてきた。

新疆の冬は、北部では大量の積雪が見られるが、南部では乾燥しているが、。一方、日本は海洋性気候の影響を受け、降雪は密度が高く湿気を多く含み、雪片が重いため地面を素早く覆う特徴がある。さらに、日本の冬季暴風雪は、シベリア寒気団の影響を強く受ける。寒気が日本海を横断する際に大量の水蒸気を吸収し、北陸地域に異常な降雪をもたらす。これは、能登半島が極端な積雪に見舞われやすい要因の一つとされている[1]。

この相似点と相違点を考察するうちに、私はある研究結果にたどり着いた。それは、能登半島の降雪と今回の地震の発生が、何らかの形で関連している可能性があるという仮説だった。
1.2 雪と地震の関連性:科学的視点

一部の研究によると、極度の降水や高湿度環境は地殻構造に影響を与える可能性がある。特に、活発な地震帯に位置する地域では、持続的な降水や積雪の融解が地下深部に浸透し、断層の圧力バランスを変化させることで地震を誘発しうるとされる[2]。能登半島は日本海沿岸に位置し、冬季の強い降雪の後に大量の融雪水が地下へ浸透することで、断層の滑動リスクを高める可能性が指摘されている[3]。

この事実を通じて、私は災害の発生は単独の出来事ではなく、気候・地質・歴史・人間活動が複雑に絡み合ったシステムであることを改めて認識した。

1.3 北前船という歴史的経済動脈と地震

能登は現在、地震による港湾設備の損壊と観光業への影響に直面している。

特に漁村では、経済復興の途上ではあるが、漁港の機能回復が遅れ、道のりは長い。

能登半島はまた、歴史的な海運拠点でもある。江戸時代には、大阪と北海道を結ぶ北前船の航路上に位置し、交易の中心地として繁栄していた[4]。しかし地震は、過去から続くこの地の経済と文化の基盤をも震撼させた。

こうした地理的・歴史的背景を知ることで、災害が単なる物理的破壊にとどまらず、地域社会の生存基盤に与える影響の大きさを改めて実感した。
2.輪島荘での高齢者介護ボランティア

2.1 言語・距離・温もり

さて、能登では、地域密着型特別養護老人ホーム「輪島荘」にて高齢者介護のボランティア活動に参加した。

私は現時点の日本語能力を活かしながら、高齢者と基本的な会話を交わし、細やかなサポート提供に努めた。事前の予備研修期間なしに現地の職員や入居者の方々に受け入れていただけたことは、私にとって嬉しい驚きだった。

ただし、私は自らの日本語力の限界にも直面した。深い対話を通じて彼らの経験や心情に寄り添うことができないもどかしさを感じたのである。言語は新たな世界へと続く鍵であり、それが不十分であれば、真の対話も、深い交流も、文化的な融合も困難となる。

この経験を通じて、私は多言語習得を目指す者として、日本語のさらなる向上が不可欠であると痛感した。単なる意思疎通の手段としてではなく、より深く理解し、共に歩むための手段として、言語を磨く必要がある。

それでも私は、厳しい寒さの中で「温かさを届けたい」との思いを胸に行動し続けた。入浴や食事の際に高齢者を介助しつつ、彼らの話に耳を傾けるよう心がけた。それら一つひとつの活動を通じて、私は自らの言動を見直し、支援者としての在り方について考えさせられた。

被災地における支援者は、支援される側と適切な距離感を保ちながら、深い敬意を持って接することが求められる。私は、自身を決して優位に置くことなく(「助ける」といった上から目線でなく)、義務感で形式的に支援するのでなく、一人ひとりの人生に真摯に向き合うことが大切だと強く実感した。
2.2 輪島の大地、海:復興と自己分析

災害がもたらすものは、物理的な破壊だけではない。それは、深い喪失感をもたらし、人々は今も心の傷から回復に向かう途上にある。

それでも輪島の地は、大きな痛みを乗り越え、その歴史とともに力強く生き続けている。日々、施設から見える広大な海に目を向けるたび、私はその美しさだけでなく、自然の力への畏怖を抱かずにはいられなかった。

家を失い、生活の基盤を失った人々を奮い立たせるのは、物資の支援だけではなく、心のケアと未来への希望だ。

このことを考えるうちに、私は自らの過去の経験と重ね合わせるようになった。

幼少期に新疆ウイグル自治区で経験した暴力的な事件。その恐怖と衝撃は、今なお心の奥深くに刻み込まれている。そして、医学生として経験した3年間のパンデミック。混乱と無力感が支配する中で、個人がいかに社会の流れに翻弄されるかを痛感した。

しかし、これらの経験は私を挫かせるものではなく、むしろ私の意志を強くし、医療従事者としての使命感をより明確にしてくれた。

「時代の塵は、個人にとっての山となる。」

私は、この世界に何かを残したいと願っている。それは、社会の周縁にいる人々に対する、たとえ些細であれども、実質的な支援である。

国境なき医師団(MSF)や類似のNGOで働くことを目標に医学の道を選んだ私にとって、来日4か月目にして能登での支援活動に参加できたことは、何物にも代えがたい貴重な経験であった。私自身、自らの限界を知り、学びの方向性を見定めることができた。そして何より、自身の進むべき道への確信を深める機会となった。
2.3 公衆衛生専攻留学生としての考察

なお、被災地支援は、どんな論文やデータよりも鮮明に、現実を映し出す体験となった。

能登での医療支援活動を通じ、災害の影響により多くの高齢者が慢性疾患の管理を維持できなくなっていることに気づいた。

さらに、メンタルヘルスも決して軽視できない。東日本大震災の事例でも、震災後1年間で被災地域における65歳以上の死亡率が全国平均の2.2倍に達したことが、研究によって示されている[5]。

災害の長期的な健康影響は往々にして見過ごされがちだ。だが、能登での経験を通じて、公衆衛生とは単なる緊急医療ではなく、災害後の長期的な健康管理、社会の再建、そしてメンタルヘルス支援が一体となったものであることを、より深く認識した。
3.未来への展望:災害医療・公衆衛生分野における私の役割
3.1 医学研究者としての責務

災害に関し、医学研究者として私は、単なる理論やデータ分析にとどまるのではなく、災害後の健康管理体系を構築し、より実践的で持続可能な医療支援を目指すべきだと考えている。

災害は、一瞬で終わるものではなく、長く複雑な余波を伴うからだ。建物を倒壊させるだけでなく、人々の暮らしや社会の仕組みを根底から、長期的に揺るがす。

政策決定者、科学者、医療従事者、そして社会全体が、統計データの向こう側にある「ひとつひとつの命」の存在を忘れず、被災者を「数字」ではなく、「人」として捉える必要がある。

「後進地域で無実の犠牲となった人々への責任を負うことは、人間性そのものへの責任でもある。
突き詰めれば、この責任こそが、私たちが非人道的な深淵へと堕ちることを防ぐ最後の砦なのだ。」(『国境なき医師団手記』より)

この言葉の通り、私たちは行動することを恐れてはならない。完璧な解決策がないとしても、たとえ微力であっても、苦しみを少しでも和らげる努力を続けるべきだ。
3.2 個人としての成長と今後の課題

今回のボランティア活動を通じて、私は災害の影響の大きさだけでなく、自らの知識の限界と、支援活動における自身の未熟さを痛感した。しかし同時に、限られた力でもできることがあることにも気づいた。

私は今後、災害医学、政策分析、社会心理学などの分野でさらなる研鑽を積み、学際的な視点から解決策を模索したいと考えている。まずは、自分自身が抱いた疑問に答えられるだけの知識と経験を身につける必要がある。

今も、私は自らに問い続けている。

「なぜ震災から1年が経過してなお、被災地の復興が道半ばなのか?課題はどこにあるのか?」(決して非難ではなく、復興の仕組みを理解し、現実的な改善策を模索するための問いである)

「災害支援において、私はどのような形でより有意義な貢献ができるのか?短期的な支援にとどまらず、長期的な復興や持続可能な医療支援を実現するためには、何が求められるのか?」

「限られた資源と制度の中で、人道支援を単なる一時的救済ではなく、困難を乗り越えるための転機とするには、どのようなアプローチが必要なのか?」

参考文献
1.Kobe City Government. (n.d.). Snowfall patterns in Japan: Differences between the Pacific and Sea of Japan sides. Retrieved from https://www.city.kobe.lg.jp/z/kikikanrishitsu/topikkusu10.html.
2.Earthquake Research Institute, University of Tokyo. (2023). Seasonal variations in seismic activity in the San’in region and its relation to precipitation and snowmelt. Retrieved from https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/research/10441/.
3.Kyoto University Disaster Prevention Research Institute. (2023). Impact of rainfall and snowmelt on seismic activity and landslides. Retrieved from https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/290079/1/2023KG-05.pdf.
4.北前船寄港地・船主集落プロジェクト. (n.d.). 大阪と北海道を結んだ経済動脈 – 北前船寄港地・船主集落. Retrieved from https://www.kitamae-bune.com/about/main/.
5.Mitani, S. (2015). Disaster and health: The impact of the Great East Japan Earthquake on elderly mortality rates. World Health Organization Kobe Centre. Retrieved from https://extranet.who.int/kobe_centre/sites/default/files/pdf/150220_01_Dr_Mitani.pdf..

 

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