僕は私立灘高校に通う高校2年生です。現在、長期休暇など上京できるチャン
スを利用して、東京大学医科学研究所に出入りしています。将来は、とても抽象
的な表現になりますが、世界で活躍する医者になりたいと思っています。ただ、
今はまだ医療に関する専門的な知識や経験は無いので、医師として具体的にどう
いうことをするか、ということよりも、どのような医師になるか、という大きな
ビジョンを持つことが大切だと思っています。近い将来については、ハーバード
大学のメディカルスクールを目標に、まずはアメリカの4年制のcollegeへの現
役進学を目指して日々勉強に励んでいます。
●ゲノム医療との出会い
初めての黒人大統領だから、というごくありふれた理由で、僕は新しいアメリ
カ大統領バラク・オバマに興味を持っていました。きっとそれだけでなく、彼の
威厳溢れるスピーチや権威を感じさせない包容力のある笑顔に、自ずと魅力を感
じていたというのもあるでしょう。彼に関する本は何冊も原書で読み、彼が実践
しようとしている多様な政策についても、自分なりに色々と調べてみました。そ
の中で僕が特に興味深いと思ったのは、オバマ氏が3年前に提出したゲノム医療
に関する法案です。全国民のDNAをデータベース化し、一人一人のDNAに適した医
療を提供するという医療の新しい在り方を提案した “Genomics and
Personalized Medicine Act of 2006″。残念ながら2006年当時は可決されませ
んでしたが、アメリカ大統領となったオバマは再び、Genomic Medicineに関する
法律作りに取りかかっています。
この法案との出会いを通して、僕はゲノム医療そのものに興味を持ち始めまし
た。それまではまだまだSFの世界だと思っていた遺伝子技術が、まさかここまで
現実の世界に取り入れられようとしているとは夢にも思っていませんでした。そ
こで僕は、ゲノム医療と遺伝子診断に関して、自分なりにリサーチを行いました。
今回はこの場を借りて、僕がリサーチを通して感じたゲノム医療と遺伝子診断に
対する疑問を、高校生の視点から書いてみたいと思います。
このレポートを書くにあたり僕が一番意識しているのは、「本当にゲノム医療
は人間を幸せにするのか」という視点です。大人と子供の中間にいる、つまり未
来と過去の量的バランスのいい立場にいるからこそ、人生とゲノム医療の関連に
ついて、何かしらユニークな着想ができるのではないかと思ったのです。高校生
が持つ知識はおよそ専門性の乏しい未熟なものです。しかしそれでも、今だから
こそ感じることができる僕の「高校生としての疑問」が、新しい刺激として今後
の日本の医療に少しでも貢献できれば幸いです。
さて、ゲノム医療のリサーチを進めていく過程で僕がまず考えたことは、遺伝
子技術を使えば今よりもはるかに多くのことを知ることができるようになるだろ
う、ということです。遺伝子とは人間の設計図。遺伝子の仕組みを解き明かすと
いうことは、人間の設計図を人間が知ることができるようになるということなの
です。それでは、「ゲノム医療」の発展によって人間はどのようなことを新たに
知ることができるようになるのでしょうか。そこで生まれた新たな「知」は、社
会にどのような影響を与えることになるのでしょうか。
「出来の良い赤ちゃん」と「出来の悪い赤ちゃん」という胎児差別。
僕の父は産婦人科をしています。そんな父から僕は、最近多くの親が自分のお
腹の中にいる赤ちゃんのことを過剰に知りたがるようになった、という話を聞き
ました。お腹の中にいる赤ちゃんが男か女か、障害を持っていないかどうか、正
常に成長しているかどうか、もし正常でないとしたらどう異常なのか、どういう
対処法があるのか。超音波などの医療技術の発達によって、より色々なことが早
い段階で分かるようになるにつれ、患者が知りたいと思うことも増えるというこ
となのでしょう。
このような状況に、ゲノム医療の技術が取り入れられたらどうなるだろうか、
ということを考えてみます。母親の血液検査をすることで胎児のダウン症や脊椎
異常などの有無をより正確に判定できるようになります。アメリカでは、1986年
から胎児の先天的異常を調べることができる「AFP検査」というものが実施され
ていて、1995年からはダウン症の検出率がより高い「トリプルマーカー検査」に
変わっています。現在はこの2つの検査よりもはるかに正確な結果がでる「羊水
検査」が一番メジャーであるようです。羊水検査とは、母体の羊水から胎児の遺
伝子や染色体異常を検査することです。今後ゲノム医療の技術が発展・普及して
いくにつれて、その遺伝子情報もより正確に調査できるようになるため、検出精
度が高まることは簡単に予想できます。加えて、アメリカで1986年は41%だった
受検率が1996年は70%に増加していることから、今では胎児の先天的異常検査は
かなりポピュラーになっていることも分かります。
このような技術が発展すると、胎児の段階で「出来の良い赤ちゃん」と「出来
の悪い赤ちゃん」という差別が生まれる恐れがあると思います。厚生労働省によ
る「人口動態特殊報告」と「人工妊娠中絶件数及び実施率の年次推移」から女性
の「堕胎率」という数値を計算してみます。これは、本来生まれるはずだった子
供のうち親の都合で中絶された割合のことで、19歳から49歳までの女性を対象と
して、(中絶数)/(中絶数+出産数)という計算に基づいて表されます。結果、
堕胎率が20.9%だった1995年以降、毎年約1%ずつ堕胎率が上昇していることが
分かりました。日本に羊水検査が導入されたのは1994年です。その次の年から堕
胎率が上昇していることは、偶然なのでしょうか?
勿論、先天異常を発見したから中絶を決断する、という考え方が必ずしも間違っ
ているとは言えません。障害を抱えた子供を育てるためには、莫大な費用がかか
るというのも事実です。しかし、「障害を持っていること」とここで僕が言う
「出来が悪いこと」は意味合いが異なります。ここで言う「出来が悪い」という
のは、「親の理想通りでない」ということなのです。先天的な障害は、その障害
の重さによってランクが決められており、全国もしくは世界で共通の基準を持つ
ものですが、「出来の悪さ」は違います。例えば障害を持っていなかったとして
も、「この子供はどんなに勉強してもずば抜けた秀才にはならないでしょう」と
いうことが遺伝子診断によって分かってしまったとしたら、その子供はずば抜け
た秀才を期待していた親にとっては「出来が悪い」ことになるのです。この「出
来の善し悪し」によって、もし親が中絶するか否かを判断するようになってしまっ
たら、それは倫理的正当性のある判断ではなく、親の単なるワガママによって、
胎児の命が左右されてしまうことになります。
「障害などの問題への対応にどう応用するか」という考え方でなく、「『出来
の良い赤ちゃんしか要らない』という身勝手な欲を満たすためにどう使うか」と
いう排他的思想と医療が結びつけられてしまうなら、これは優生学以外の何物で
もありません。胎児は自らの遺伝子を選ぶことはできません。そんなの生死が、
「出来の良い赤ちゃん」と「出来の悪い赤ちゃん」といった大人の定める理不尽
な基準によって決定されるようなことは、決してあってはならないと思います。
もし生命の誕生の現場にゲノム医療が取り入れられるならば、日本の医療は責任
を持って、個人主義と生命の平等性の両立のあり方を模索するべきです。
●「危険人物」の登場。
胎児の段階においてだけでなく、大人の世界でも遺伝子差別は起こりえます。
一人ひとりの遺伝子が解明されることで、病気になる遺伝子を持った人間が「危
険人物」として認識され、差別を受けるようになる可能性があるのです。実際、
日本よりもゲノム医療の進歩したアメリカでは、民間の保険会社が遺伝子情報を
利用するようになってしまったため、問題となっています。話題になったニュー
スを一つ紹介すると、カリフォルニアに住む6歳の男の子が自らの遺伝子異常に
よって父親の健康保険に入るのに2年越しの交渉を要した、というものがありま
す。彼には29歳で突然死した母親譲りの遺伝子異常があり、20歳で他界した叔父
の死因も、同じ遺伝子だったのです。心臓の鼓動が急に乱れて突然死に至る可能
性のある疾患だったのですが、心臓の異常収縮を抑える薬を毎日服用すれば普通
に暮らせる程度のものでした。しかし保険会社は、通院の事実だけで難色を示し
たのです。幸運なことに、カリフォルニアには保険契約時の遺伝子差別を禁じる
州法があったため、この男の子は訴訟なしで保険加入を果たせました。
その他の州でも、保険会社が医療費の支払いを抑えるために、遺伝子的に病気
になる可能性が高い人には限定条件を付け、保険料を高くするということは起き
ているそうです。遺伝子情報が個々人の「危険度」の判断材料になってしまった
のです。「危険度」の高い人は保険料を多く払い、「危険度」の低い人は保険料
を少なく払う。一見公平に聞こえるかもしれませんが、「危険度」というものが、
自分では選ぶことのできない遺伝子によって決められてしまうことに、問題があ
ります。例えば、普段からお酒を沢山飲む人やヘビースモーカーが「危険度の高
い人」として認識されるのは特に問題ありません。これは自己責任だからです。
しかし前述の通り、人は自分の遺伝子を選べません。そう考えると、この「危険
度」というものが本当に公平な判断基準かどうか。大変疑問です。
現に、日本のように公的な保険制度のないアメリカではこれは非常に問題視さ
れました。カリフォルニアを始めとするアメリカの19の州では、保険契約での遺
伝子差別を禁じる法律が存在します。しかし、僕が調べた限り、この「保険会社
の遺伝子情報の利用」に関して、アメリカ全体に効果がある連邦法案はまだ存在
しません。前述のニュースに登場した男の子のような例が、もし州法の無い地域
にあったとしたら、その被害者は保険に入るのが非常に難しい状況に置かれます。
自分ではどうしようもできない自分の遺伝子によって差別されてしまうのです。
アメリカでゲノム医療がホットな話題として取り上げられたのはクリントン大
統領の時代なのですが、この時期、数多くの政治家によってゲノム医療の在り方
が議論されました。クリントン大統領も「遺伝子差別の禁止」を定める法案に支
持を表明しました。
もし日本でゲノム医療と遺伝子診断をより普及させるのであれば、国家として、
遺伝子差別を禁じる法律・制度を徹底的に整備するべきだと思います。保険に関
しての問題だけではなく、例えば「危険な」遺伝子を持っているが故に結婚でき
ないであるとか、「危険な」遺伝子を持っているが故に仕事につけない、といっ
た他の分野での被害者が出てくる可能性もあります。そう考えると僕は、ゲノム
医療が社会に与える影響にリアルな不安を感じるのです。
●人間、知りたくないことだってある!
日本の憲法では、「知る権利」が保障されています。地方公共団体等の公的機
関が取り扱う情報をその政治の一部である市民も知ることができて当然だ、とい
う考え方に基づいて生まれた新しい権利の一つです。ゲノム医療・遺伝子診断の
技術が発達し、人間の体のありとあらゆることが人間自身の手によって解明され
るようになってきている今、この「知る権利」に対して、「知らない権利」も必
要になってくるのではないでしょうか。すなわち、個人が、自分が知りたくない
ことを知らなくてもよい権利のことです(権利という言葉がふさわしいかどうか
はともかくとして)。
具体的にいうと、例えばある人が遺伝子診断によって、自分がいつか絶対に不
治の病にかかってしまう遺伝的性質があることを知ったとします。この時、この
ように本来ゲノム医療無しでは知り得なかった自分の不幸な将来を知ることが本
当に幸せなことかどうか、ということです。ヒトゲノムの研究によって、発病前
に診断し、予防治療ができる病気が増えてきたのは確かに事実でしょう。治療技
術が診断技術に追いついていないという現状はあるかもしれませんが、アメリカ
のNHGRI(National Human Genome Research Institute)によると、今後10年内
には診断できる病気のほとんどが治療できるようになるだろう、ということです。
しかし、それは裏を返せば、遺伝子診断によって時として救いの無い未来を診断
されてしまうこともあるということです。発病する前に、自分が何年か後に不治
の病にかかることを宣告されうる、ということなのです。
遺伝子診断という新たなハイテクが導入されたが故に、本来知らない方が幸せ
でいられたことを知らなければならなくなってしまう、ということを僕は決して
100%よいこととは思いません。前述の例に戻ると、自分の遺伝的性質を告知さ
れた患者は、ポジティブとネガティブで二通りの考え方ができます。「いつか自
分が不治の病にかかるということが分かったことで、今を有意義に生きようと思
えるようになった」というポジと、「いつか不治の病にかかると知ってしまった
ことで、毎日を不安と恐怖と戦いながら生きていかないといけなくなった」とい
うネガです。もし患者がこの後者の考え方をしてしまった場合に、遺伝子診断は
一人の人間を不幸にしてしまうことになります。
確かに、自分が遺伝子診断を受けるか否かという選択は本人の自由意思ですが、
ゲノム医療や遺伝子診断が社会に組み込まれる事によって、例え全部が全部そう
でないとしても患者を不幸にしてしまう側面があるのであれば、日本の医療はそ
の不幸を生み出す側面に対して慎重に対策をした上で、ゲノム医療や遺伝子診断
をより普及させるべきだと思います。
遺伝子診断によって新たに分かるようになった患者の運命を、医師がどのよう
にその患者に伝えるのか。また、どこまでは伝え、どこまでを伝えないのか。
大切なのは、患者が「知らない方が幸せでいられる」情報を極力伝えないよう
にすることだと思います。それでは「知らない方が幸せでいられる」情報の基準
は何か? と聞かれると、僕は答えられません。僕が答えられないからこそ、日
本の医療にしっかり考えてほしいと思うのです。遺伝子診断やゲノム医療といっ
た新たなハイテクの存在そのものが、これまで無かった新たな不安と恐怖の種に
なってしまうようなことは、あってはならないと思います。
以上、3つの観点から、自分がゲノム医療、遺伝子診断に関するリサーチを通
して感じた、高校生としての疑問をまとめてみました。専門的な知識がゼロに等
しいことは自覚しつつも、それでも僕は問いたいと思います。本当にゲノム医療
を今以上に普及させるべきなのでしょうか。
全ての人間の設計図を解明しよう、人生という名のRPGに完璧な攻略本を用意
しよう。主人公がいつ、どうして死ぬか、全て簡単に分かるようにしよう。僕に
は「ゲノム医療」「遺伝子診断」とはそのように聞こえてしまうのです。完璧な
攻略本が用意されたゲームは全く面白くありません。同じように、粗筋が解明さ
れた人の人生も面白くないと思います。
またその時、ゲノム医療や遺伝子診断の現場で人の遺伝子情報を扱う「医者」
というのは、一体どのような存在になるのでしょうか。患者の設計図を自分のラッ
プトップに保管していて、その患者に「あなたはいつ、どのような病気にかかり、
いつまで生きることができます」と告げる存在。偽物の「全知全能の神」のよう
な存在が現れそうで、僕は怖いです。
そもそも、ゲノム医療の「医療」とは、一体何なのでしょう。僕は医療とは
「患者さんを幸せにすること」だと幼い時から思っていました。患者の病気にな
る可能性を完璧に予測し、その患者が死ぬか生きるかを告げることは、本当に患
者を幸せにすることなのでしょうか。僕は医者を目指していますが、今「ゲノム
医療をやりたいですか?」と聞かれても正直「はい」とは答えられません。「知
は力なり」という言葉と、「知らぬが仏」という言葉があります。大切なことは、
今後の日本の医療がこの二つのバランスをどう考えるかということだと思います。