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Vol.103 ネットワークによる救援活動

医療ガバナンス学会 (2011年4月5日 06:00)


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民による公の新しい形

小松秀樹
2011年4月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1 情報の集中で官邸は機能不全

東日本大震災は被害の総量と広がりが桁違いに大きい。これに、原子力発電所の事故が追い打ちをかけた。
自衛隊は、強い命令系統と、衣食住を含めて被災地で自立して動ける部隊を持っている。人手、重機、運搬手段などを必要とする明確で大きな課題に対し、決 定的な役割を果たし続けている。南相馬市では、屋内避難地域に取り残された170名の在宅要介護者の家を1軒1軒訪問し、避難の意思を確認した上で、希望 者を避難させた。ここまで細やかな配慮ができる軍隊は世界にないのではないか。

一方、行政には現場から大量の情報が寄せられ、それぞれに対応が迫られている。しかし、市町村、県、省庁は、現場で迅速な意思決定を下せる仕組みになっ ていない。責任と権限が集中している官邸に、膨大な情報があげられる。意思決定の手続には時間がかかる。政治判断で強引に事を進めるには事案が多すぎる。 対応すべき情報量の大きさがシステムを壊している。誰かが悪いわけではない。

被災者の受け入れで旅館やホテルなどを積極的に利用することになったが、動きが悪かった。一人一泊三食付き5000円を支給する「災害救助法の弾力的運 用」の条件が、分かりやすく提示されていなかった。観光庁が一部業者の利益誘導になりかねない文書を出した。観光庁が情報を集めて、割り当てを取り仕切る ことを前提にしていた。観光庁にそのような能力があるとは思えなかった。結果として、末端の行政は一時的に混乱した。3月24日、仙谷官房副長官に、何と かしてくれと電話で要請した。仙谷氏は、中央を通すと滞るから、個人で動いて既成事実を作って欲しいと悲鳴をあげた。私は、仙谷副長官の正直な発言をメー リングリストに流した。この発言は、建前が崩壊していることを如実に示し、以後の行政の個別対応を多少なりとも現実的にするのに役立った。

2 不特定多数のネットワーク

行政が対応できない部分を、インターネットを介して、個人や小さな集団がカバーしている。多くの眼で観察し、不特定多数に対して発信する。情報を受け取った多数の中から、援助する意思と能力のある個人が行動する。
今、多くのネットワークが立ち上がっている。私が参加しているメーリングリストの一つである地震医療ネットは、東大医科学研究所の上昌広教授を中心に、 3月15日16時41分12名でスタートした。3月26日現在、250名(メディア50名)に膨れ上がった。各地の細かな情報が大量に送られてくる。その 中で、例えば、赤ちゃんのミルクに飲料水をセットで付けるという北里大学の海野信也教授のアイデアが生まれた。相当量の飲料水が集まったので、すでに動い ていると想像する。放射線モニタリングデータや、世界の専門家の意見なども送られてくる。

被災地から遠い自治体には、危機感がない分、ていねいな検討なしに杓子定規な手続を言い募って、結果的に救援活動を阻害する方向に動く職員が観察され た。普通の自治体職員に、本人の権限ぎりぎりの判断を求めたり、仕事量が増える方向に動くことを期待したりするのはそもそも無理である。今回のよう大震災 では、よほど情報収集していないと、自分の言動がとんでもない影響を与えることに気付かない。民による公の活動を、官が促進する、あるいは、促新しないま でも阻害しないようにするには、首長の指導力を工夫するしかない。

情報をやり取りし、活動していく中で大きな課題が明らかになってきた。復興のためにも、被災地に残る障害者、要介護者、高齢者を後方に搬送して、元気な 方の負担を減らす必要がある。高齢者には故郷を離れたくないという思いが強い。その気持ちを酌んだ、きめ細かい対応でなければ、事態を改善させることはで きないだろう。

障害者、要介護者は、避難所に普通の被災者と同居するのが難しい。原発の避難地域では、混乱の中で、しばしば、障害者、要介護者が取り残された。一旦避 難しても、長期間持ちこたえられるような場所でない。落ち着ける場所の確保が急務である。ところが、日本各地で温かく迎え入れようと準備している人たちと 被災者を上手につなぐ方法が確立されていない。

3 自立した個人のネットワーク

現時点で、成果をあげているのは、実行力のある自立した個人同士のつながりである。

3月15日、いわき市の透析患者1100名の搬送について、帝京大学の堀江重郎教授から相談を受け、民間バスでの搬送を提案した。「CIVIC FORCE」(大西健丞代表)の小沢隆生氏や旅行会社クラブ・ツーリズムのスーパー女性添乗員(実名の記載を断られた)がバス集めに奔走した。バス会社の 担当者に断られてもひるまず、あらゆる伝手を使って社長に到達し、直談判したという。社長の立場では、社会的に要請を拒めないということを見越しての作戦 だった。ところが、3月16日に福島県がバスを用意して搬送することになり、民の活動は一旦中断。その後も二転三転、何らかの理由で、県主導の搬送が止め られた。当初、厚労省が止めたという情報が流れたが、真相は確認できなかった。
結局、民主導で、3月17日、7百数十名の透析患者を東京、新潟、千葉県鴨川に搬送した。当時、常磐道下りは緊急車両しか通れなかったが、堀江教授が、 警察内部から直接情報を得て、県や国を通さず、所轄警察署で許可を得た。搬送費用は協和発酵キリン、中外製薬の寄付で賄った。いわき-東京間の搬送という 名目の寄付なので、他の地域への搬送は別扱いにするという不可解な議論があったが、その後の顛末は知らない。

亀田総合病院には45名の患者を受け入れた。一部は他の病院に移した。前日、堀江教授から「東京に搬送される患者の宿泊先の確保が難航している。」と連 絡が入った。この時点で、日本医師会が動いていたらしい。友人の池田輝明医師(茅野市)を通して、彼の大学時代の盟友である猪瀬直樹副知事に働きかけた。 亀田隆明鉄蕉会理事長も独自に東京都に働きかけた。他にも働きかけがあったかもしれない。何が有効だったかよく分からないが、結果として、東京都の尽力で 宿泊場所が確保された。堀江教授は都職員の献身的な働きぶりを見て感動していた。
私はこの作戦の全体像を知らない。関わった人たち全員とその活動を知っている指令塔はいなかったのではないか。学会などの団体と、個人のネットワークの協働で大搬送が完遂された。個人の多くは、互いに名前や顔を知っていたわけではない。

協働作業を行う中で、いわき市ときわ会グループの常盤峻士会長との間に信頼関係が生まれた。3月18日の深夜、携帯電話のやり取りで、老健施設が苦境に 陥っていることを知った。その数分後、老健疎開作戦のアイデアが生まれた(小松俊平「老健疎開作戦第1報」MRIC Vol.76. 2011年3月21日 http://medg.jp/mt/2011/03/vol76-1.html)。亀田総合病院の経営者も賛同。翌朝7時より行動開始と決定。19日 朝、渡辺敬夫いわき市長が、常盤会長に対し、疎開しても介護保険請求を認めると言明したことを確認した上で、作戦開始。亀田信介院長の怒涛の行動力で、3 月21日には、疎開作戦を完遂した。

4 原徹千葉県医師会理事

千葉県の房総半島先端部には、安房医療ネットという在宅医療を行っている医療・介護の勉強会グループがある。あふれるほどの善意を持っているが、ナイー ブで政治的な動きに慣れていない。このグループが、要介護者とその家族の受け入れ体制を整えた。迎えに行くバスまで用意した。南房総市の石井裕市長は、 「生命尊重が第一、特に要介護状態の被災者を積極的に受け入れる。国が(一泊三食付き5000円の支払いを)認めてくれない場合、南房総市が宿泊費を立て 替えよう!」と英断を下した。

このグループに、千葉県医師会の原徹理事から、医師会主導で動いていることにするよう申し入れがあった。原理事は地元医師会の有力者である。メンバーは 困惑した。医師会幹部は権力意識が強く、中央指令で横並びの行動を強いるからだ。医師会主導になると、多様な活動を抑制する方向に働く。加えて、面倒な合 意手続のため、活動が致命的に遅くなる。
彼らは圧力をかけられたと理解し、私に相談してきた。実は、原理事は泌尿器科の後輩で、若いころ親しくしていた。すぐ、原理事に電話した。個人の多様な活動を理解する人物だと思っていたが、それが誤りであることがすぐに分かった。

小松 「災害があまりに広範囲で大きい。情報が上がり過ぎて、官邸が対応しきれていない。現場で迅速に動ける個人が動くべきだ。今、インターネットで情報を共有しつつ、個人が迅速に動き、大きな役割を果たしている。」
原理事 「個々に対応すると、違いが生じて問題になる。医師会と県の合意を得て行動すべきだ。」

同じ意見を繰り返して譲らない。自分の見苦しい権力意識に気づいていない。つい、「馬鹿もの」と怒鳴りつけてしまった。
「誰の許しを得てここで商売しとんのや。」とすごむB級映画にでてくるやくざのようだ。ただし、阪神・淡路大震災では、神戸のやくざは、他人の炊き出しの邪魔をしたり、自分の手柄にするようなことをせずに、自分の力で大量の炊き出しをした。

5 前衛政党型組織とネットワーク型組織

医科研の上教授も、活動主体の中に、日本医師会の名前を入れるよう要求された。一部の活動で、日本医学会の高久史麿会長の名前が入っていたかららしい。 確かに、形式上、日本医学会は日本医師会の中に置かれている。しかし、日本医学会の実質部分である専門別の学会は、日本医師会のコントロール下にない。各 学会員も日本医師会への帰属意識は希薄である。
日本医師会は前衛政党型の組織である。中央で、比較的短い文章で表現できる単純な方針を決定して、それを下部に伝える。重要な方針は、しばしば「勝ちと る」という文言が入る。方針は「あるべき論」になりがちである。単純な方針で統一行動をとっていると、発想が固定化する。多様性への許容度が小さくなる。 不特定多数との協働が難しくなる。内部に権力が生じやすい。研究機関を持ちづらく、知的に複雑かつ大きな認識を保持できない。

私は、日本医師会をネットワーク型の組織に改編すべきだと提案してきた。(小松秀樹「日本医師会改革の論点」MRIC109号 2010年3月25日
http://medg.jp/mt/2010/03/vol-109.html)ネットワークは、組織として対外的主張のための意思決定をすることがで きないし、その必要もない。小さいグループや個人がそれぞれ主張すればよい。インターネットの発達で、単一巨大組織が機関決定した意見より、ばらばらの同 時多発的意見が、社会を動かす原動力になってきた。「あるべき論」より、正確な事実認識がより重要になる。個々の場面で、事実認識が共有されると、対応の 選択肢は限定される。医療を取り巻く世界についての事実認識を高めるためには、広汎な事象について、あらゆる情報を収集、分析し、その結果を発信しなけれ ばならない。従来の医師会の活動と発想が大きく異なる。

原理事の意見が、個人的意見か、千葉県医師会を代表するものかどうか分からない。しかし、「何かやるのなら私に話を通してからにしろ」という発想は、従 来の医師会の体質の延長上にある。原理事は千葉県医師会の実力者だと言われている。医師会における実力とは、無理にでも自分を通させる話の量と同義のよう に思える。
都道府県医師会長は、自動的にそれぞれの都道府県の医療審議会の会長に任命される。この慣習は、都道府県医師会が、それぞれの都道府県の医師を代表する 公益団体であるという建前に基づいている。医療審議会は、各都道府県の医療計画の策定に関わるなど、大きな役割を果たしている。しかし、勤務医を含めて、 多くの国民はそれが建前であって、実際のところ、公益すなわち不特定多数の利益向上のための団体ではなく、開業医の利益を守る団体だと思っている。

加えて、能力の問題がある。最近の5年間で、20名ほどの都道府県医師会長と議論した。予想していたことではあったが、多くは、医療制度や、最新の医療 について、知識らしい知識を持っていなかった。個人で情報をやりとりする能力にも問題があるように思われた。都道府県医師会の理事の一部はインターネット をなんとか使えていたが、都道府県医師会長の大半は、個人のアドレスを持っていなかった。持っていたとしても、医師会のアドレスであり、個人名が入ってい なかった。自分で素早くキーを叩いて、頻繁に情報交換をしたり、世界から最新情報を集めたりしているとは思えなかった。これも、時代に取り残された理由の 一つではないか。実力、すなわち、自分を通させる話の量の大きさで、地位が決まるとすれば、能力に問題がでるのは当たり前である。
原千葉県医師会理事の申し入れが通れば、救援活動の阻害要因になった可能性が高い。今回の申し入れでは阻止できたが、日本中で同様の横車がまかり通っている可能性がある。医師会の画一性、遅さ、醜さは、その組織の成り立ちに由来する。自力更生は不可能ではないか。

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