医療ガバナンス学会 (2025年4月28日 09:00)
岡山県立大学
安久津太一
2025年4月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
シンガポールに限らず、アメリカ合衆国も同様だが、多くの諸外国の教員保育者養成系の大学院は、現職の教師、保育士や管理職が、勤務をしながらパートタイムの学生として在学しており、「満員御礼」が常である。教員が、大学・大学院で学士や修士、博士号を目指しながら、リスキリング、キャリアアップを図るのは、ごく一般的な教師のキャリアパスであり、日本の現状とは異なる印象を受ける。
本来我が国でも、大学院も含む養成校が、教育・保育の質向上という目標を共有し、現場の課題解決を協働して担い、最新の研究の知見を日々の教育・保育に還元していくことが使命のはずだが、残念ながら機能を十分果たせているとは言い難い状況に見える。本稿では、我が国の教職・保育にまつわる多くの課題の中の一つである、教員・保育者のキャリアパスに直結する、リカレント教育について論じたい。
最初に、筆者の音楽家、音楽教育学及び子ども学の研究者としての「キャリアパス」を示す。私は、幼少期スズキメソードでバイオリンをはじめ、東京都立日比谷高校で、オーケストラ部三昧の日々を過ごし、思い立って音楽家を志すことを決心した。バイオリン専攻で東京音楽大学を卒業後、2000年から2011年まで、ニューヨークとフロリダ州マイアミに在住し、2006年から3年間はニューワールド交響楽団にも在団し、音楽の武者修行に励んできた。
在米中には、オーケストラ演奏に加え、音楽演奏と音楽教育を2つの大学院で学び、2つの修士号を取得した。特に音楽教育の修士課程では、国籍も年齢も職業も異なる多様な大学院生に囲まれて画期的な学びを経験したが、30歳の私はクラスで最年少であった。演奏家を目指す初期段階、そして演奏家から音楽教育を志すに至った学びの過程に、大学院が確固として位置づけられていたと振り返る。大学院での経験が、教育や研究への情熱に火をつけたと言っても過言ではない。在米中は、ハーレムの公立幼稚園のアフタースクールプログラムで音楽を担当したり、フロリダ州マイアミの地域の音楽教室で講師をしたり、音楽教育の実践にも取り組んだ。
帰国後は東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科で博士後期課程に在学しつつ、通信制課程を擁している星槎大学で客員研究員兼非常勤講師として、教員免許状更新講習「教育に音楽の力を」や、幼稚園教育にまつわる更新講習の講師も数年間に亘り務めさせていただいた。その後、ご縁をいただき岡山に移住し、就実大学教育学部初等教育学科講師を経て、現在は、岡山県立大学保健福祉学部子ども学科で、教授兼学科長を拝命し、保育者養成に取り組んでいる。さらに、教員・保育者養成で全国的に急速に実績をあげている環太平洋大学次世代教育学部、保育士養成で確固たる伝統を有する倉敷市立短期大学でもご縁をいただき、教員・保育者養成に日々向き合っている。
ここで、教師のリカレント教育の前例として、すでに廃止されたが、「教員免許状更新講習」について、少しだけ概観したい。1983年自民党文教制度調査会が「教員の養成・免許等に関する提言」を示し、無期限だった教員免許に期限を設けることが検討された。2007年1月24日に、教育再生会議が、教員免許更新制の導入を提言し、同年6月には、改正教育職員免許法が成立し、2009年4月から教員免許状更新講習が行われるようになった。
教員免許の有効性を維持するために、全国の大学が、例えば土日や長期休業を使って、必修及び選択必修・選択領域の多彩な講習を開設し、すべての教員が10年に一度、合計30時間以上の講習を受講することが義務付けられた。しかし、2022年7月1日に同制度は廃止された。現在は、教員免許状は、従前どおり、有効期限の存在しない免許となっている。更新制度廃止の理由は様々だが、多忙な教員が講習を受講する時間的・経済的負担、10年に一度の講習では先進的な学習内容を提供できないこと、内容が実践的でないことなどが挙げられた。
本稿では、特に教員免許状更新講習が廃止された後の、「ポスト更新講習」とも言える、我が国の教員・保育者養成のリカレント教育がかかえる現代的課題を示していく。第一に、大学や大学院が、教員保育者養成のリカレント教育の、いわば「蚊帳の外」になってしまったことがあげられる。教員免許状更新講習下では、その授業の質や制度そのものには課題があったかもしれないが、少なくとも、現職の教員・保育者が大学に集い、教育の諸課題について先進的な知見と現場の視点を融合させて議論する場が確保されていた。
現状は、ごく一部に、大学院を志向する教員・保育者こそ存在するが、むしろ稀なケースで、教員養成系大学はどこもおおむね卒業生を輩出してから継続的に学生や大学院生として、現職の先生方と対面する機会は限定的である。ちなみに、教員保育者養成校の志願者数減少や定員割れも深刻な課題として共有されているが、当然ながら、大学院のそれは一層深刻である。現職の先生方が、大学や大学院で学ばない日本の事例は、国際的には大変珍しいと言えるだろう。
第二に、教員保育者に限らないが、日本の専門職の多のキャリアパスにおいて、「学歴離れ」が進んでしまったことである。教育・保育の現場と研究機関の乖離が研究と実践の連関を阻み、学位がキャリアパスに位置づけられていないことが潜在的な課題となって久しい。例えば、教員・保育者の研修は、校内・園内研修、民間や自治体毎の講習等に依存し、大学のソースが十分活用できていない。またごく一部熱意ある教員が、通信制等の大学院で学び直し、専修免許等の上位の免許を志向するケースもあるが、非常にまれであり、職場の理解も得られにくい状況と拝察する。
もちろん、民間や自治体の講習も非常に質が高く、全く否定するものではない。保育士に限定して言えば、一般社団法人全国保育士養成協議会が各種研修を提供しており、私も実習指導者認定講習を受講させていただいたことがあるが、内容も質も素晴らしいものであった。特に倫理面など、大学の授業への還元も大きい。大学と民間団体、自治体と現場が協働して、学び続ける機会を提供して、スタンダードや実践知、専門知を共有していくことが、保育の質の向上に向けた最良の処方箋であると感じる。
続いて、ごく一部の「声」とはなるが、現場の先生方の所見を記したい。筆者が日頃から問題意識を共有させていただいている先生方の所見として、下記がある。例えば、ある公立小学のベテラン校長先生は、定年が近づいたころに奮起し、通信制で大学院に入学し、修士号を取得、最終的に専修免許を取得した。その先生の場合は、ご勤務地が中心市街地ではなかったこともあり、スクーリングは別な県にまで赴く必要もあり、履修には相当苦労をしたことが語られた。大学が、遠隔地も含む各地で専門科目を開設してくれれば、より身近に若い先生方もキャリアアップを図れるのではないかとお言葉いただいた。
もう一方、ある公立認定こども園の園長の声である。園長先生は、経験も豊富で管理も教育面も卓越された先生だが、短期大学のご卒業である。昨今管理職は学士を目指すことが暗に自治体等で推奨されているそうだが、実際多くの公立園の園長は、短大卒の場合が多いとのことである。
また幼稚園教諭免許状の二種免許のみを取得している若手保育士も現場に多いそうだ。大学でのリカレントの学びに日々の保育の課題を関連させて検討することは有意義と考えており、大学に現職の保育者も入りやすくなり、働きながら上位の免許や学位、ステップアップが目指せることが理想とお言葉いただいた。現状は、学区や自治体単位での研修を非常に多く実施しているが、その負担もあり、大学が受け皿になるメリットは大きいのではないかと考えた。
次に、視点を変えて、教員・保育者のリカレントが、諸外国ではどのように位置づけられているのか示したい。筆者の拙い経験を踏まえた事例にはなるが、アメリカ合衆国とシンガポールの事例である。
まず、米国の教員保育者養成系の大学院でのケースである。ニューヨークのマンハッタン周辺の例にはなるが、私が関りをいただき、実際ご指導いただいていたコロンビア大学Teachers College、ニューヨーク大学(NYU)、そして私が学んだニューヨーク市立大学(CUNY)では、いずれも教壇に立つ前(pre-service)と現職(in-service)双方の教員保育者養成を積極的に行っており、その中心は、学部ではなく大学院修士課程以上である。例えば私が履修していたニューヨーク市立大学大学院の音楽科教育法では、
夕方の講義に、比較的若手も含む現職教員、学校園の管理職、他の職業につきながら教員の免許を目指す方々等、およそ30名が集い、模擬授業やミニミュージカルの演習などを含む実践的な内容を学んでいた。教育心理学や音楽史など、さまざまな魅力的な講義があるが、ほぼすべての授業は、グループで学術論文を読んで発表したり、質問しあったり、いわゆるアクティブ・ラーニングで進められていた。
コロンビア大学大学院の乳幼児の音楽的発達の授業も頻繁に見学させていただいたが、地域の親子をお招きし、その遊びや関りの参与観察に加え、第一人者の教授によるワークショップ形式の音楽教育実践、その後目の前で見て経験したことをもとにディスカッションなど、まさに活きた授業内容であった。
また、アメリカにはコミュニティ・カレッジと言われる日本の短期大学にやや近い学校があるが、そこで必要な単位を働きながら取り始めて、徐々に学士や修士にステップアップし、教師や保育者はもちろん、医師にまでなるケースもある。蛇足となるが、短期大学が急速に淘汰されている日本の現状が、学びの多様化を狭めないか、ひそかに危惧している一人である。
直近で視察したシンガポールの教員・保育者養成の大学院でも、アメリカの大学院に近い授業が展開されていた。例えば筆者が見学させていただいた評価関連の大学院の講義の場面だが、1年目の新米保育士とベテラン園長が、評価関連の最新の国際論文を批判的に読み合わせながら、日常遭遇する課題の解決を目指し討論している様は圧巻であった。
最新の論文や教科書も批判的に講読し、そもそも、管理職と新人、教授、一切壁なく闊達に議論が展開されていた。日本では、残念ながら、教員養成系の大学院の規模が小さく、コロンビア大学やハーバード大学のようなトップ大学、いわゆる日本で言う旧帝国大学系の大学が教員養成に直接的に参画しているとは言い難い状況である。アジアの教員・保育者養成が、北米型をモデルにしている節もあるのかもしれないが、その規模と質双方で、研究と実践の橋渡しが確実にできていることを実感した。
終わりに、我が国の教員・保育者養成を改善していくための展望と可能性を示したい。むろん、これらの課題に唯一の処方箋は無いが、改善策の一つのアイデアとして書かせていただく。国内の教員・保育者養成系の大学が連携し、現場に内在するリカレントのニーズや課題を分かち合いながら、積極的に教員・保育者のリカレント教育に参画していくことはできないだろうか。ともすると、閑古鳥が鳴く日本の教員・保育者養成系の大学院や大学、短期大学や専門学校が、若者世代の志願者を取り合うのではなく、力をあわせて新しいリカレント教育を施すことができる体制を早期に構築することである。
上記を実現するためには、民間や自治体と大学、そして学校園との連携が必須となる。その際、各教員が経済的に大きな負担を強いられて受講するのではなく、例えば教育の質向上に資する予算枠や補助金の拡大や、現職教員・保育者向け、奨学金等の支援体制を充実させるための予算確保を早期に実現することも併せて必要となるだろう。ギガスクール構想も大変立派なことではあるが、やはり教育の核心をなすのは「人」である。そこへの未来志向の投資は、現場の教員・保育者にも大胆に施していく必要があると考える。
補足となるが、岡山県には教員・保育者養成系の大学、短大、専門学校が特に多く、教育が充実しているとの見方がある。一方で、大学、教員保育者養成校の乱立も課題となっている。大学が多い岡山ならではの取り組みとして、「大学コンソーシアム岡山」と呼ばれる、岡山県下の高等教育機関の連携と相互協力、地域社会とのつながりを強化し、大学に対する社会的ニーズに応えていく独自組織がある。コンソーシアムの活動の軸に「吉備創生カレッジ」があるが、社会人を対象とした各種講座が、岡山県下の大学の講師陣が講座を拠出して、地域のみなさまに支持されている。
また、大学生向けには、単位互換授業も一部の授業で行われている。しかし、これらはカルチャー講座的な社会人の学習機会の提供や、大学生においては教養科目の部分にとどまっており、専門的な内容や資格に係る科目は現在提供されておらず、学位との紐づけも無い。免許資格や学位を学部・大学院の連携医をもって新たな枠組み、仕組みで検討していくには、相応の準備と万全の体制、多岐にわたる連携が必須となることは言うまでもない。コンソーシアムがある岡山でこそ、パイロット的に、新しいリカレントの連携、協働を試行できる可能性を秘めているのではないか。
このまま、教員保育者養成系の大学は、卒業生を送り出したら養成に再び参画する機会がほとんどない、という現行の仕組みは、決して望ましい方向とは言えないことは確かである。単独の大学でリカレントをするには負担も偏り、増大するが、大学と民間、自治体等間の連携をもって、前向きに課題に立ち向かうことができないものか。淘汰や合併ではなく、大学間、民間、自治体、学校園が協働し、「分かち合う」教員・保育者養成の実現に夢を見て、小さな頭で思案する日々である。多くのご意見を期待したい。