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Vol.25091 アメリカで見た日本人の足跡④

医療ガバナンス学会 (2025年5月20日 08:00)


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この原稿は長文ですので4回に分けて配信いたしますが、こちらの方で全編お読みいただけます。
http://expres.umin.jp/mric/mric-25088-3.pdf

押味和夫
元・順天堂大学医学部血液内科教授

2025年5月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●アラスカの星野道夫と植村直己、そして野田知祐。

夏休みにフェアバンクスからジェット機で、さらに北のデッドホース、バローへ飛びました。バローは地球のてっぺん、アラスカ最北端にある北極海に面した村です。バローの北極海には、氷山というには高さがない平らな氷が多数浮いてました。両足を海に浸けましたら、数秒で冷たいというよりも痛いと感じ、あわてて水から飛び出ました。その後に来た若い白人男女10数人は水着になって一斉に飛び込みました。すぐに戻ってきましたが、体はガタガタ震えてました。

バローには、北極海を見下ろす丘の上に、日本人親子の慰霊碑があります。プロのパイロットだった娘が母親に北極海を見せたくて付近を飛びましたが、バロー沖に墜落。飛行機はしばらく浮いてたそうですが、海が荒れていて救助できなかったとか。残された家族が慰霊碑を建てました。

アラスカの日本人といえば、フランク安田(1868―1958)、星野道夫(1952―1996)、植村直己(1941―1984)が有名です。新田次郎の「アラスカ物語」の主人公、フランク安田は宮城県石巻に生まれ、バローに住み、やがて密漁と乱獲により鯨やアザラシが獲れず食糧難に陥ったバローの村人を連れて、妻のネビロと共にブルックス山脈を越えてユーコン川近くへ移動、ビーバーという村を作った日本人です。戦時中は一時日本人ということで拘束されましたが、没後の1989年に功績が認められ、アラスカ州から表彰されました。

ビーバー村には安田とネビロのお墓があります。家もまだ残っているはずです。ビーバー村はフェアバンクスからさほど遠くはないのですが、道がありません。定期航空路線もなく、ツアー客が4人以上いるならフェアバンクスの航空会社が臨時便を出すというのです。しかし、4人は集まらず、行けませんでした。

日本人女性がビーバーの男性と結婚してビーバーに住み、日本人ツアー客のガイドをしていたことがあります。しかし彼女はユーコン川で夫とともに行方不明になりました。

星野道夫は高校在学中にアラスカの写真に魅了され、言葉も分らぬままアラスカに単身飛び込み、やがて写真家となりアラスカの自然を撮りました。悠久の時を旅するカリブーの群れ、生きることに懸命な動物たち、壮大な自然の移り変わり、極北に暮らす人々との交流などを綴る感動の作品を多数遺しました。アラスカのすべてを愛した星野の生命の記録です。それにしても、星野の文章は何故こんなに読む人に訴えるのでしょうか。星野は1996年、カムチャッカでヒグマに襲われて亡くなりました。43歳でした。

フェアバンクスにはまだ星野の家が残ってるはずです。2009年夏、フェアバンクスで星野の家を探しました。探偵ごっこの悪い癖が出ました。ビジターセンターで、日本の有名な写真家でアラスカの写真を撮っていたホシノと聞いても、誰も知りません。そしたら案内人が電話帳を持ってきました。そこにホシノNとあります。電話番号も書いてあります。Nはきっと奥さんの直子さんに違いないと、電話番号から探し当てた住所へレンタカーで向かいました。市街地から離れた山の中です。

ところがいくら探しても、その住所が見つからないのです。番地が飛んでしまうのです。そしたら妻が、コピーにもう一つ別の住所が印刷してあることに気づきました。そこはあまり遠くない場所です。今度はそちらへ行きましたら、簡単に見つかりました。山の中腹を通る道から細い道に入り、そこを上り詰めますと、写真で見覚えのある家がありました(写真)。ノックをしても返事がありません。最近住んでいた気配はあまりなく、屋根の板は剥がれ雨漏りが気になります。ベランダには野菜らしいものが植えてあり、これは最近まで手を入れた気配が感じられます。

ドア横には3人の家族の名前がありました(写真)。星野が息子に描いたと思われる雪だるまの絵もありました。家の横には彼が愛用していた4輪駆動車がありましたが、プレートは94年のままです。今、残された二人はどこで何をしているのだろうか。息子のために家を残してあるのだろうか。でも息子はもっと自由な選択がしたいかもしれないな。でもいずれ親のことを知りたくなるときが来るだろうな、などと話しながら去りました。

去年、北海道立帯広美術館で、2か月にわたって星野道夫の写真展が開かれました。「悠久の時を旅する」という題です。2021年から全国各地を巡回中の写真展でした。懐かしくて、2回通いました。奥さんの直子さんと写真家の方による対談や直子さんのトークショーもあったそうです。この写真展では、2020年に出版された同名の単行本の内容を展示してました。監修が星野直子さんです。

植村直己は冒険家で、1970年世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂し、同年世界初の五大陸最高峰登頂者となり、1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達しました。1984年冬期のマッキンリー山(今はデナリ山に改称)に世界で初めて単独登頂しましたが、下山途中に消息を絶ちました。

「青春を山に賭けて」 は彼が最初に書いた本です。無一文で日本を脱出し、五大陸最高峰に初登頂し、アマゾン川の筏下りに成功するまでの青春記です。無銭旅行など思い切った無鉄砲なことを平気でやる性格と行動力に強く引かれ、その後の彼の行動から目が離せなくなりました。犬ぞり行に先立つ5か月間、単身、グリーンランドのエスキモーと共同生活し、衣食住や狩り・釣り・犬ぞりの技術などを極地に暮らす人々から直に学びました。冬山単独行ではモンブランでクレバスに落ちた際にアイゼンと荷物が引っかかり九死に一生を得た経験から、何本もの竹竿をストッパーとして身体にくくり付けて冬のマッキンレー山に登攀しました。

アンカレッジとデナリ国立公園の入り口との間の幹線道路3号線にデナリ山が見える公園があり、登山の歴史が書いてあります。そこに、「1970年植村直己はマッキンレー山に最初の単独登頂に成功、1984年には最初の冬季単独登頂に成功するも下山途中で死す」とありました。あれほど偉大な冒険家の業績が、たったの4行でした。

デナリの登山に興味のある方は、タルキートナの博物館も訪ねてください(写真)。植村直己に関する日本語の記録もあります。デナリ登頂の先陣争いは激烈で、偽の登頂報告もあって、その真偽のほどを検証する話もあり、興味が尽きません。

最後にもう一人、どうしても触れておきたい人がいます。野田知祐(1938―2022)です。野田さんは私の大好きな作家で、カヌーイストです。私がカヌーに興味を持つようになったのは、野田さんの本を読み始めてからです。

野田さんのカヌーはいわゆる競技用カヌーではなくて、のんびり川を下るというカヌーです。アラスカのユーコン川を下り、途中のインデイアン部落に寄っては彼らとの出会いを書いてます。以前、徳島に講演に招かれたついでに、日和佐町のそのまた奥の彼が住んでいる田舎まで訪ねて行き、サインをもらってきました。別れるときに握手をして、この手でアラスカを漕いだのですねと言いました。彼がサインしてくれた本は、もちろん大事にとってあります。なぜ彼の本が好きかといいますと、彼の性格と個性です。彼の心に生き続ける自然への憧憬、いつまでも持っている少年のような遊び心、自然を破壊する者に対する強い憤りです。

2009年に車でアンカレッジからフェアバンクスに行く途中、ユーコン川を渡りました。Yukon River Bridge の上からユーコン川の上流を見て、野田さんはこの川を下ったのかと思いにふけりました(写真)。川は濁っていて、温かかったです。星野さん宅を訪ねた後ですが、フェアバンクスからジェット機で北極海のデッドホースへ向かう途中、幾筋にも分かれて蛇行しているユーコン川が見え(写真)、また野田さんを思い出しました。

http://expres.umin.jp/mric/mric-25091-1.pdf

●おわりに

海外への日本人留学生数は、2004年をピークに減っているようです。ただしコロナや円安などで流動的ですが。最近はワーキング・ホリデーを利用して積極的に海外に出る人がいるようですが、どうもそれまでの印象では、若い人たちは言葉が不自由な外国に行ってわざわざ苦労するのはばかげていると思っていたのではないでしょうか。以下は野田さんの口癖です。若者は冒険がばかげていると思えば、国は滅びる。若いときは二度とない。失敗を恐れず海外に出なさい。

優秀で勤勉で責任感が強い日本人は、武士道精神を胸に、AI を駆使して、世界の人々の幸福・平和のために貢献して欲しいです。
最後はデナリ山を背景に、クラーク博士を真似て、次の言葉で締めくくります(写真)。 Boys and girls, be ambitious.

Go to the last frontiers.
There, your potential is infinite.
Life should be an adventure.
この last frontiers を Last Frontierに置き換えますと、アラスカ州の愛称になります。アラスカはアメリカ50州のなかの最後の州で、州内全域にわたって手つかずの自然が残っています。無限の可能性があるLast Frontierに行きましょう。最後は大好きなアラスカの宣伝になってしまいました。

http://expres.umin.jp/mric/mric-25091-2.pdf

 

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