医療ガバナンス学会 (2011年4月7日 22:00)
東日本大地震の被害はどこまで広がるのか。本稿執筆時点(3月22日)で死亡者・行方不明者合計で2万人を超えたと発表されている。3月11日に最初の 大揺れが来て、津波の第一波が襲ったところで死亡者が3万3千人に達すると予測した専門家がいたそうだ。最終的にはそのくらいになるかもしれない。物的被 害に及んでは見当もつかない。
わが日本の地理的環境から、地震・津波等の天災地変は避けられない。ならばそれを克服して再起し、以前以上に繁栄する社会に再建することが、日本人の底力の見せどころだろう。 そのためには政府が、国民の全面協力を得つつ、その主導力を発揮しなければならない。
1995年1月の阪神大震災での被害総額は10兆円。うち政府が3兆2千憶円の予算措置をしたとされる。だれにも過失がない天変地異。こういうときの復興資金を中央政府が出費することには大賛成だ。ケチケチするなんて問題外である。
今回の被害総額はどのくらいになるのか。現段階では想像もつかないが、仮に3倍の30兆円としてみよう。政府がそのうちの3分の1程度を負担するとすれ ば10兆円が必要になる。「こういう非常時のために日々節約に徹して予備資金を積んである。これを放出したいので国民の了解を得たい」と菅総理が言うなら ば、国内だけでなく世界中の称賛を浴びることはまちがいない。
だが現実のわが国財政は、「米櫃は空っぽ。あるのは1千兆円にも届こうかという借金(国債)の束だけ」の状態である。いったいどのようにして復興資金を 捻出すればいいのか。同時に借金漬けの財政体質を改革するために、政府の歳出構造の見直し(=いわゆる事業仕分けの徹底)を同時進行させる方策が求められ る。そうしないと震災復興が軌道に撮った時点で「喉元過ぎれば・・・」のなんとかで財政再建が中途半端になってしまう懸念が強いからだ。こういう緊急時で あればこそ、歳出の根本的見直しについて生じがちの「総論賛成だが、自分の権益に関する限りは見直し絶対反対」という身勝手な主張を抑え込めると考える。 こうした基本姿勢に立つ場合、そのような方策が最良だろうか。
●国債増発は禁じ手である
だれでも思いつくのは緊急の国債増発だろう。日銀全額引き受けによって10兆円といったことが言われ始めているようだ。しかしそれはこの際避けるべきだ と考える。わが国財政が健全性を維持しているのであれば、10兆円の国債発行はわが国の経済規模(GDPは約500兆円)から見てなんら問題はないであろ う。
だがそのGDPをはるかに上回る国債を発行済みなのだ。そして来年度(平成23年度)も新規に40兆円を越える新規発行を予定している。その裏付けにな る赤字国債発行特例法について、さすがに国の行く末を心配する観点からその国会承認の見通しが立たない。そうした状況において3.11の地震が起きたので ある。「情勢が変わったからさらに10兆円の国債発行増をすればいいではないか」という議論は、「今さえなんとかなれば、明日は明日の風が吹く」といった ことでしかない。とうてい将来世代のことにまで考えた末での結論であるわけがないと思うのだ。
さらに言えば戦後のわが国では一貫して「財政は無借金であるべし」という均衡財政方式が採られている。財政法ではそうなっているが、毎年度赤字国債発行等の特例法を国会で制定することで、今の大借金状況が合法化されているわけだ。
言ってみれば、今の財政は日本国民総意で作り出した面がないわけではない。したがって現在の民主党政権にその責任すべてを押しつけることはできない。だ が、赤字国債依存財政継続の結果、近い将来、日本の国債が投げ売り、暴落するようなことがあっていいことにはならない。このことを民主党は十分承知の上 で、政権奪取を図った。それが2009年夏の衆議院総選挙用のマニフェストである。そこでは新規にやりたい施策はあるが、そのための国債増発をしないと なっている。すなわち事業仕分けによって不要不急の政府経費を削減し、16兆円分の歳出をカットする。それを財源として同額の新規事業を始めると主張した のである。これならば財政規模は拡大しない。この手法であれば、将来の増税余力をそっくり既発行国債の償還費用に回せると国民は受け取った。新規事業をや りつつしかも財政の借金依存は改善していく。ならば賛成と、国民の票が雪崩を打って民主党に向かった。それが2009年衆議院選挙であったと理解できるの である。
そうであるならば「災害復興費用という緊急の財政需要が生じたから」ということだけで、簡単に国債増発などできるわけがないではないか。優先財政需要が発生したならば、新規事業を先送りするか、既存事業の見直しをいっそう強化するという結論になるはずだ。
●緊急増税はどうか
財政の単年度赤字の原因は簡単だ。歳入(主として税収)よりも歳出(政府の事業経費)の方が大きいからである。もちろんある単年度において赤字が生じた からといって直ちに悪いということにはならない。景気が悪くなれば、法人税・所得税などは減収になる。逆にある種の歳出は景気回復手段として有効である。 このため歳入<歳出になる。しかし財政には景気への自動対応機能が備わっている。景気が回復すれば税収は増える。ここで歳出構造をしっかり見直せば、好景 気中は歳入>歳出になり、政府には剰余金が生じる。これをしっかり溜めこんでおけば、少々の景気後退時ではその資金を使って必要な事業を行うことができ、 赤字国債も増税も不要のはずなのだ。この点をわきまえず、不況時には赤字国債発行、好況時には歳入をすべて使い切り既存借金を返さないという「後先を考え ない財政運営」が積もり積もって今の状況になっているのだ。
こういう根本を改めないで増税に走ればどうなるか。増税分だけ歳出が膨らむことになるのは火を見るまでもない。民主党が「(次の総選挙までの)4年間は増税を考えない」と1昨年夏に約束したのはまったく正しい。だから国民の支持を受けたのである。
どうしても今回の震災対策として増税をしたいというのであれば、震災復興費用に限った緊急臨時の一時的増税しかあり得ないと思う。しかも税目としては、 諸外国にくらべて割高と政府自身が認識している法人税などは候補になり得ない。そうすると消費税しか考えられないことになる。
消費税を1%引き上げると2.5兆円が入る。本来このうち4割くらいは地方自治体用の財源なのだが、緊急非常ということで全額中央政府が使わせてもらう とする。それを前提に10兆円を得ようとするならば、仮に2年間の時限増税とすれば、平成23,24両年度に限っての2%増税(納税者=国民から見れば税 率7%)ということだ。
これはありうるかもしれない。ただし単にこれだけでは、歳出構造へのメスにならない。政府は「事業仕分け」で16兆円の歳出カットをする予定だったが、 今のところ大きな成果は出ていない。それで事業仕分けは失敗という声も出ているのだが、果たしてそうか。切実にカットしなければならないという意識が希薄 だから、既得権益を打破できないだけではないのか。
臨時緊急消費増税法案自体に条件をつけてはどうかと考える。すなわち臨時増税額に見合った歳出縮減をセットにするのである。平成23度に2%(5兆円) の消費税アップを実施するための条件として、翌平成24年度の一般会計編成において同額5兆円の既存経費見直しを条件にするのである。平成24年度にも増 税を継続するには、平成25年度予算でさらに5兆円の既存歳出見直しが条件になる。そして増税は臨時的だが、いったんカットした既存経費は恒久的に減った ままである。すなわち16兆円のはずであった事業仕分けのほぼ3分の2に当たる10兆円のカットは、復興資金との見返りで実現できることになる。緊急の震 災復旧財源確保と将来の歳出カット(財政再建)をセットで考えるならば、魅力のある考えではなかろうか。
●新規事業を中止する方法
前回総選挙時に民主党はさまざまな政府新事業を提案した。子ども手当、高校授業料無料化、高速道路無料化、戸別農家所得保障などがその主な項目である。 これらについては、その意義を評価する声がある半面、財源が捻出できない以上実施を取りやめるべきだという強い批判がある。この批判は、危機的財政状況に 危機感を持つごく普通の国民の総意であると言ってもいいかもしれない。
結論を出さなければならない。財源が捻出できるまでこれら施策を延期するか、それともこの際思い切って公約を修正するかである。あり得ないのは、財源を 無視して(つまり赤字国債を増発して)当初プランどおりに実施することだ。財政が破たんしてしまえば、子ども手当も高校授業料無料化もありえないことは自 明であり、これら給付はすべて既存歳出カットによる財源捻出が前提になっていたことを想起すればよい。
現実の声として、子ども手当等の民主党の目玉政策を先送りして、復興資金を優先しようかとの考えが出ているようだ。復興は一刻をあらそうことであるか ら、その経費を優先することは当然だろう。しかしそれで問題が全面解決するわけではまったくない。既存歳出の見直しなしには子ども手当等の完全実施資金が 出ないことは少しも片付いておらず、単なる先送りに過ぎない。それに子ども手当等の中止だけではとても10兆円には届かない。新規施策を2年間先送りする ので、その間の国債増発に眼をつぶってほしいといった類の小手先策に乗ってしまって、財政再建の大チャンスを逃す愚をおかしてはならないと思う。
●寄付の大幅増をねらう
今回の大地震への対処で日本人の真価が試される。政府関与機構のテレビコマーシャルでもさかんに強調している。国民自身もそう考えているに違いない。ボ ランティアに駆けつける者は引きを切らず、経済的な支援をする者はさらに多い。ならばこれがもっと大々的に動くような方策を考えることも有効であろう。
欧米に比べてわが国では「寄付」文化が未成熟であるという。その原因には税制上の手立てが十分でないこともあるだろう。もし今回の震災に限って、政府の 復興資金確保への国民の協力を得ようと考えるのであれば次の方策が考えられよう。すなわち所得税に「政府が指定した災害における特別寄付控除」を規定する のである。もちろんその指定第一号が今回の震災になる。
この場合、通常の寄付と違って寄付金の申込先は「日本国政府」になる。寄付金の上限は寄付者が求められている納税額である。そして要件に該当する寄付を 行った者は、その寄付した金額がそっくり「税額控除」されるのだ。言い換えればこういうことだ。この特別寄付では税額控除であるため、寄付金と実際の納税 額の合計はその者の申告納税額に一致する。つまり税として政府に納付するか、特別寄付として政府に納付するかの選択権を納税者が持つことになるわけだ。
同じことなら「税ではなく寄付金として納付しよう」と思うものが多くなれば、震災復興資金は多くなる。ただしその分、税として納付される金額は減ること になる。この結果、おのずから政府には今回の震災を契機として、既存歳出の見直し強化をしなければならなくなっていくわけだ。「震災復興をするためである からこの既存の給付金、補助金等は廃止にさせてもらいたい」。政府としては格好の事業仕分けの理由を手にすることができる。
なおこの特別寄付は、今回のような異常な大災害の場合に限定される。社会福祉法人等に対する通常の寄付金控除を廃止する必要はない。それらについては別途さらに使いやすい方向に制度改正を行い、民間ベースでの復興資金確保を政府として支援すべきことは論をまたない。
●年金受給者の自発的支援
今回の震災復興にしっかり政府が財政投入することを求めたい。同時に危機的状況にある政府財政建て直しも急がれる。ならばあらゆる分野で、この二つを連 携させつつ、追及することが求められる。本稿で言いたいことはこの点に尽きる。そうした観点から見た場合、社会保障分野も例外とは言えないだろう。その一 つとして公的年金分野で考えられることはなにだろうか。
わが国の公的年金は、基礎年金、報酬比例年金合計で年間約50兆円である。仮にこれを2年間に限り、1割カットすれば財源的には10兆円が生み出される。問題はその論理だ。
言うまでもなく年金受給権はれっきとした権利である。筆者も今年中に受給権者になることになっている。勝手に減額などできないことは当然だし、政府の一 片の通達などで受給権が左右されることがあるなどとしたら心外だ。年金水準変更は契約条件の変更であるから、公的年金の場合は国会での法改正を要する。法 改正による実施例はないわけではない。2000年には厚生年金の一律5%カットが行われている。人口要因、経済要因などから、それまでの給付設計では制度 的に行き詰まることが想定されたことを踏まえ、一律5%カットすることで制度の存続を図ったのだ。
公的年金は長期的な人口要因、経済的要因を前提に組み立てられる。前提が変動すれば、仕組み内容の修正が必要になる。たとえば老齢年金の支給開始年齢 (現在65歳に向けて引上げ中)をさらに70歳あるいはもっと上の年齢まで引き上げる必要性が論じられつつある。そのためには前期高齢者の就業機会を平行 して増大させる必要がある。そしてそれは定年制や年功賃金といったわが国の雇用慣行をも変えていくことを必然とする。こうした多方面の要素を勘案調整なが ら、年金制度が恒久的に機能するよう数理計算が行われている。
もらえるはずのない年金が支給されたり、本来よりも大目の年金が支給されたりすれば、受給者は「得をする」が、それは将来分の年金財源を食い荒らしてい るに過ぎない。先般来問題になっていたいわゆる「運用第3号被保険者」(本来第1号被保険者であったのにその手続きを懈怠して第3号被保険者の外形を保ち 保険料が納付されていなかった期間を、保険料納付済期間として年金支給に結び付けようとした)はその例に数えることができよう。「公平性に欠ける」という よりも、「契約の限界を逸脱していた」のが、撤回に至った理由だと思う。
近年物価はきわめて安定し、年によっては低下している。公的年金にはその購買力を維持するため、「物価スライド」が組み入れられている。これが導入され たのは昭和48年のことだが、そのころは今と違って物価は上昇基調。年金受給者が生活維持の観点がその意図であったのだ。しかし物価は理念的には、上がる こともあれば下がることもある。そこで物価が下落したときには年金を減額するという約束(法律条項)になっている。
これによれば平成12年度は前年の物価下落分(0.3%)だけ年金を下げることになる。しかし物価スライド実施を停止する特例法を制定して、年金額を据 え置いた。つまり本来の年金より、全受給者が0.3%分大目の年金を受給した。次の年に物価が0.3%を超えて上がれば、物価スライド実施率を0.3%差 し引くことで、本来水準の支給に戻るはずだった。そうなっていれば長期的な年金運営への影響は微小であった。
しかし翌年、翌々年も物価は下落した。そして特例措置が繰り返された。その結果、本来の年金水準との乖離(過支給)は、平成14年度には1.7%に拡大 した。その後多少の変動はあるものの基本的に1.7%ほどの過支給が続いて現在に至っている。平成23年度は特例措置の12年目になるが、この前年も物価 は下落した。そこで0.4%の減額改定されることになったが、過支給状態が解消されるわけではない。物価の下落はそれを上回っているのだ。これまでの年次 別の過支給率は、平成12年度0.3%。13年度1.0%、14年度1.7%、15年度1.7%、16年度1.7%、17年度1.7%、18年度 1.7%、19年度1.7%、20年度1.7%、21年度0.8%、22年度2.2%、そして平成23年度2.5%となっている。
単年度ごとでは目立たなくても、継続すればけっこう大きい。年額約80万円の基礎年金受給者の12年分を累計すると、15万円ほどになる。特例スライド は特例に過ぎない。本来の年金水準はそれより2%程度低いところにある。このように長期に特例を継続することになるなど12年前にはだれも予想しなかった というのが、特例継続のほぼ唯一の理由ではなかろうか。
「君子誤りを正すのにはばかることなかれ」。物価がすぐにでも上昇基調に転じれば、将来に向かっての過支給はなくなる。物価安定が継続すれば、今後も過支給が継続される。
そして公的年金のうち基礎年金には、政府財源が国庫負担として義務的に投入され、その割合は3分の1から2分の1に引き上げられた。ただし政府の財政状 況から、完全に恒久措置とされないという、制度的には中途半端な状況になっている。今回の震災復旧資金を捻出するため、この基礎年金国庫負担をどうにかな らないかといった議論がないではないと聞く。しかしそれはいささか筋違いであろう。基礎年金の国庫負担2分の1は長年の議論の末、法に規定された既定事項 である。それを朝令暮改的に改める必然性が見当たらず、年金制度への信頼感喪失を招くだけだろう。単なる予算措置による補助金とは性格が違う。また法改正 するならば、まず対象にすべきは特例措置、臨時措置のほうであろう。
特例物価スライドを取り上げたのはこの理由による。年金受給権者にとって(今年から筆者もその仲間入りするが)は、特例スライドの廃止による減額は2% 程度であっても「不都合」と思うだろう。しかし、大震災という国難に向かおうとするときだ。だれもが応分の協力をするべきだと考えれば、もともと過支給で あったのだからこの程度は我慢しようとなるのではなかろうか。また基礎年金国庫負担金に関して政府として、「特例物価スライドによる過支給分についての国 庫負担は以後勘弁してもらう」と言えるのではないか。特例廃止について保険者(実質は日本年金機構)として、受給権者の意見集約をしてもらいたいと要求し ても批判は起こらないだろう。
さてそうして特例措置が廃止になった場合だ。過去12年間の過支給分(基礎年金のみの受給者でも約15万円)の扱いだ。年金としては既に支給済み。法律 上とやかくいうことはできない。だが受給者がこれを震災復興費用として寄付する分には問題あるまい。もし保険者が、今後は加入者、受給権者の意向をよく聞 いての制度運営を心がけたいと念ずるのであれば、こういう働きがけができるのではないか。
「過去12年間の過支給比率を単純累計するとほぼ2割(18.7%)になる。そこで全受給者が今後2年間各1割を、日本年金機構を通じて震災復興資金とし て一律寄付しようではないか」。もしこれが賛同されれば、年間の公的年金支給額は約50兆円であるから寄付総額は約10兆円になる。政府にとっても魅力的 な金額ではなかろうか。
もちろん寄付する側に思惑があってもよかろう。基礎年金への国庫負担2分の1は既定の事項。10兆円の寄付は、これについて震災などを理由に政府は反故にしないようにさせる十分な効果があるだろう。
たしかに受給者ごとには計算は合わない。個別には反対者もいよう。だが本来、社会保険の運営は加入者の自治、すなわち過半数の声で運営していくべきもの だ。そして受給者の声を正しく拾い上げていたら、そもそも特例物価スライドが実施されたかどうか自体に疑問がある。加入者自治を構築するいい機会だと思え るのだ。社会保険という契約に加入者・受給者の声を反映し、制度運営に自治の要素を高める仕組みの改正を考えることにつながることを期待したい。