医療ガバナンス学会 (2025年5月22日 08:00)
この原稿はAERA DIGITA(2025年3月19日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/articles/-/252478?page=1
内科医
山本佳奈
2025年5月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
母方の祖父母も、健在です。90歳を超えた祖父は糖尿病を患い、過去に脳梗塞を3度起こしたことがありますが、コロナパンデミックをきっかけに「もう薬は飲みたくないんや!」と薬をもらいに通院することを拒否。いくつか飲んでいた薬の内服も、自分で中断してしまいました。「その方が、体調がとてもいいみたいよ」と祖母は私に教えてくれました。
携帯電話をなんとか使いこなせる80代後半の祖母とは定期的に電話をしたり、LINEでメッセージを交換したりしています。しかし、祖父は携帯を持っていません。おまけに耳が遠いため、電話をしても私の声がとても聞こえにくいようで、電話にもなかなか出てもらえませんでした。そのため、祖母から祖父の近況を聞くことばかりで、てっきり変わりなく過ごしていると思っていたのです。
●祖母が乳房外パジェット病で手術に
母方の祖母は、骨髄線維症[※2] を患っています。長年体調不良が続いた末、昨年受けた詳しい検査の結果、原因が判明しました。しかしながら、「今の生活を維持したい」と、内服治療による延命を希望せず、貧血がひどくなったら輸血を希望するという治療を選択したのでした。
そんな祖母は、実は乳房外パジェット病も患っていたようで、外陰部にできた病変部を切除する手術を年始に受けました。といっても、事前に聞かされていたのは、手術にあたり保証人となった私の母のみ。「心配をかけまい」と祖母は手術をすることを内緒にし、そっと退院して、さも入院などしていないようなフリをしたかったようなのですが、祖母の計画は見事に失敗に終わりました。この入院がことの発端となり、警察を巻き込む事態が起きてしまったからです。
骨髄線維症を患っている祖母は、血小板がとても少なく、入院当日も手術後も輸血が必要な状態でした。手術自体は1時間半ほどで終わったものの、出血が思っていたよりも多かったため、その日の夜に再手術となりました。しかし、祖母にとってはそんなことは想定外の出来事。当初祖母が希望していた2泊3日の入院期間では退院できそうもないことを悟った祖母は、麻酔が切れたあと拘束されるほどの混乱状態に陥ったそうです。
●祖父が警察に保護される事態に
退院が延期になってしまったことを、入院中の祖母と同居していた祖父に知らせに、母は祖父母宅に向かいました。すると、祖父は「わしは(入院については)何も聞いていないんやけどな……」とつぶやいたというのです。母は不思議に思いつつも、「いつも通りとぼけているんやろう」と解釈し、祖母が入院する旨を書いて残しておいたメモの続きに、「退院延期」と書き記し、数日分の食材とお金を残して帰宅しました。
すると翌日、警察に保護されるという出来事があったのです。自宅までの帰り方がわからなくなってしまっているところを「道に迷っているようだ」という通報により、警官に保護され、自宅までパトカーで帰ってきたというのです。
実は、母が訪れるその数日前にも、パトカーで自宅まで帰宅するという騒ぎがあったことが、後ほどわかりました。普段着のまま食べるものを探しに外に出たところ、道に迷ってしまい、近くの神社まで行ってしまったところを警官に保護されていたのです。
入院することを聞かされていなかった祖父(認知症ゆえ、祖母は祖父に伝える事ができなかったのでしょう)は、いつも食事を用意していた祖母がいないことを悟り、室内着のまま食べるものを探しに外に出てしまい、その結果、二度とも自宅に帰る道がわからなくなってしまったのでした。
●祖父の認知症を家族全員が知ることに
祖父の認知症の進行状況を唯一理解していた祖母は、祖父のことを孫である私にはもちろん、娘である母にも全く知らせていませんでした。「心配させるまい」と、祖母が抱え込んでしまっていたのでしょう。祖母が思い描いていたように祖父を誰かに預けることなく、さっと手術してさっと帰宅するという計画が失敗したことで、警察沙汰にまで発展してしまったことで、祖父が認知症であることを家族のみなが知るとともに、祖父と祖母が置かれていた状況を理解することになりました。
そんな祖父の状況を聞くにつけ、祖母は「自宅に残している祖父が心配だから。」と主治医に何度も懇願したそうです。なんとか退院許可を取り付け、予定より1週間遅れで帰宅することになりました。翌週早々には、包括支援センターのケアマネージャーさんによる祖父と祖母の介護認定調査の相談が始まったそうです。周囲の方々の支援により、二人暮らしゆえに「老老介護は大変よ」と言っていた祖母の負担が、少しでも軽減されるようにと願っています。
年始のドタバタ事件以降、妹は忙しい合間を縫って祖父母に定期的に会いに行っているようです。一方、日本を離れた私はというと、親孝行はもちろん、孫として祖父母孝行もろくにできていません。祖父の認知症がより一層進んでしまう前に、祖父に会いに行きたいと強く思っている今日この頃です。