医療ガバナンス学会 (2025年5月30日 08:00)
相馬中央病院
非常勤医師 小坂真琴
2025年5月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
鎌倉時代以来、領地を大きく変えずに同じ場所を領し続けたのは島津家、相馬家、対馬家と限られている。海外との窓口を務めた島津家・対馬家と並ぶ相馬家は別格と言えるだろう。江戸時代までこの相馬家が主催してきたこの軍事訓練は、明治時代から神社の祭礼に形を変え、昭和の時代から甲冑競馬や神旗争奪戦が行われるようになったという。
大学2年生のとき、医療ガバナンス研究所の学生インターンとして野馬追を観覧した。もともと戦国時代に関心のあった私は、甲冑に身を包んだ騎馬武者たちが繰り広げる壮麗な行列に、まるで時代絵巻の中に入り込んだかのような衝撃を受けた。
それから8年の月日が流れた昨年、相馬中央病院での勤務を開始した。そして指導医である原田文植先生が5月に初陣を飾った。準備期間中には落馬による肋骨骨折があったことや、御使番として様々な責務を負うことを週に1回の診察の合間に伺っていた。言葉の端々から馬乗りの楽しさとともに、神事に参加する一員として責務を全うする大変さを感じられた。その原田先生から、昨年の野馬追後、「今出なければ一生出ることはないよ」と声をかけていただき腹を決めた。
12月から、渋谷健司先生所有の馬「ヴィルトゥ君」をお借りし、相馬中央病院の勤務前後に練習に励んだ。自分のセンスのなさが手伝い、一度は落馬も経験し、軽速歩まで辿り着いたのは直前の時期となった。医師・研究者としては雲の上の大先輩である渋谷先生も、野馬追の序列においては下っ端に近い若武者であり、各行事の際には先輩武者に怒られないよう「先手必勝」で仕事に立ち回るよう丁寧にフォローくださった。また、週に1度はお会いする原田先生も、相馬中央病院でご一緒する際に「(速歩の時には)馬にタコのように張り付くイメージ」「乗る側が緊張するとそれが馬に伝わってしまう」等々随所で馬乗りのアドバイスをくださった。
しかし、いざ出馬に向けて準備を始めると、その舞台裏には想像を超える膨大な準備が必要であることがわかってきた。馬の搬送、古式に則った馬装、そして鎧兜や陣羽織の装着に至るまで、野馬追を作り上げるには極めて広範な分野の知識とロジ力が必要とされる。各ファーム・家が脈々と受け継いだノウハウによって、全体で約400騎の行軍が実現していることが身に沁みてよく分かった。同時に、騎馬武者としての自立、そして与えられた役職の遂行を目指して学ぶ中で、自然と人間的に成長していく仕組みが出来ているように感じた。
「馬にしがみつくだけならバカでも出来る」(先輩武者)とはその通りで、本番の行列に辿り着くまでの準備が9割以上である。自分自身はその準備の部分を完全におんぶに抱っこでお世話になり、「自立」からは最も遠い騎馬武者であったが、先輩方は、「『出来ないなら野馬追に出るな』というのは簡単だけど、初陣の武者には怒らないことにしていた」「初めての武者にもいかに楽しんでもらうかを常に考えている」というポリシーのもと、私の至らないところまでカバーして面倒を見てくださった。本当に周りの方々に恵まれて、なんとか最後まで馬に乗り続けることができた。こうした発想も、代々の伝統の中で醸成されてきたものだろうと思う。
当日、私は馬を御するのに必死であった。騎乗した馬は非常に力強く、なかなか前進を止めようとしない。適切な間隔を保つことが難しく、前の馬に追突しないように手綱を強く引き続けた。左右に観客がいて前後にも別の馬がいる行進の中での緊張感は、想像以上であった。一方で、街中の風景を馬上からの視線で味わえることは確かに格別の気分だった。加えて、自分が参加しなかった甲冑競馬や神旗争奪戦については、砂かぶり席でその迫力を存分に味わい同じ厩舎から出場している先輩騎馬の応援に熱狂した。
「行列だけでは野馬追ではない。甲冑競馬と神旗争奪戦に参加してこそ野馬追だ」という先輩武者の言葉が腑に落ちた。簡単には辿り着けない目指すべき目標が次々と自然と現れるのも野馬追の特徴だ。
野馬追から一夜明けた反省会の日のことだった。私は、当日お仕えした侍大将から「咳が止まらなくて体調が悪い」と相談を受けた。5月上旬から症状が良くなったり悪くなったりを繰り返し、野馬追当日も悪寒があったとのことだった。
私は普段は福井と福島を往復し、月曜日火曜日金曜日は福井市内のオレンジホームケアクリニックで診察を行なっているが、反省会の日程もあり今回は相馬にとどまっていた。私でよければ診察をと申し出て、翌日、診察とCT画像評価を行ったところ、右肺に浸潤影が認められ細菌性肺炎の診断で入院となった。
前日まで、郷の集会で国歌(相馬流れ山)斉唱の音頭をとり、私のすぐ前を堂々と騎馬で進んでいた姿が目に焼き付いていたが、かなりの無理をおしての出馬だったと拝察する。まさに命懸けで臨む重要な伝統行事であることを、あらためて実感した瞬間だった。そしてもう一つ、私にとって忘れがたいのは、地域コミュニティの一員として出会った方と、その後に医師と患者として向き合った初めての経験であったということだ。自分が医師として、少しでも地域の役に立てたかもしれないという実感は、大きな意味を持った。
翌水曜日、野馬追後初めての相馬中央病院外来に立った。多くの病院スタッフの皆様から労いの言葉をかけていただくとともに、患者さんとのやりとりの中で自分も騎乗したことを伝えると、自然と距離が縮まった。それぞれに「私と野馬追」のストーリーがあり、患者さんの背景に迫るきっかけとなる。「原町にある実家で飼っていた馬で父も兄も出場していて手伝っていた。それも震災で流されてしまったけどね」という具合である。これが千有余年にわたり築き上げてきた野馬追の伝統の力である。
この場を借りて、貴重な機会をくださった宇多郷騎馬会の皆様、馬を指導くださった田代祥信さんはじめとする持舘ファームの皆様、立谷秀清先生、渋谷健司先生、原田文植先生、そして多大な支援をいただいた相馬中央病院、オレンジホームケアクリニックと医療ガバナンス研究所の皆様に、心より感謝申し上げます。