医療ガバナンス学会 (2025年6月12日 08:00)
秋田大学医学部附属病院、内科専攻医
宮地貴士
2025年6月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
都市部の外来では「早く治したい」「仕事を休まずに済ませたい」といった切実なニーズを持つ患者が多い。
たとえばウイルス性胃腸炎が疑われる患者が来院した場合、よほどの脱水所見がなければ、経口補水液を少量ずつ飲めば、数日での症状改善が見込まれる。これまでの私は、エビデンスに基づく診断と治療を重視していた。そのため、患者が何を求めて受診したか、よりも、この症状の原因は何で、それに対する最適な治療は何か、を優先して考えていた。そのため、胃腸炎の患者には、緊急を要する所見がなければ、「水分摂取で自然軽快しますよ」と説明し、必要最小限の対応で終えることが多かった。しかし、患者が何を求めているかに思いを巡らせると、別の視点が見えてくる。
ナビタス新宿で外来診療中、日曜日の夕方に腹痛と下痢を訴えるスーツ姿の50代男性が受診した。症状は典型的なウイルス性胃腸炎で、高熱もなく、上腹部に軽度の圧痛がある程度。食事や水分も少量ずつ摂取できており、医学的には特段の治療は必要とせず、自然軽快が期待できる状態であった。
しかしながら、日曜日にもかかわらずスーツを着たその姿やどこか張り詰めた様子に違和感を覚え、「本日もお仕事ですか?」と声をかけた。すると彼は、「午前中に打ち合わせがあり、明日の商談までに仕上げなければならない資料がある」と語った。仕事に追われる中での受診であり、体調を少しでも早く整えたいという切実な思いが伝わってきた。このような状況を踏まえ、症状緩和を目的として点滴を提案した。医学的には“必須ではない”対応かもしれないが、その人の社会生活を支えるという観点では必要な医療であると考えた。
振返ってみると、学生時代からEBMを学んできた私はつい、エビデンスを「正しさ」の象徴として捉えがちであった。しかしエビデンスが語るのは、集団における平均的な効果であり、目の前の一人ひとりにとって最適な判断を必ずしも導いてくれるわけではない。医師として求められるのは、エビデンスと個別性のバランスを取りながら、患者の真のニーズに寄り添った医療を提供する姿勢である。
こうした姿勢が、医師と患者の間に信頼関係を築く土台となる。信頼があってこそ、生活習慣の改善や予防医療といった“患者が今困っていなくても未病に繋がる提案”を受け入れてもらうことが可能となる。
例えば、咳で受診された高齢者に、肺炎などの重篤な疾患を除外した上で「ウイルス性の上気道感染症です。対症療法でよくなります」と説明するだけで終えるのではなく、1日でも早く早期回復できる対症療法を提案し、次回のフォロー受診に繋げる。そして、再受診時には「風邪をひきやすいなら肺炎球菌ワクチンを打った方がいい」などと提案することで予防医療への橋渡しができる。患者にとって医療が自分事になり、かつ、信頼関係が構築された状態での医学的な提案には、たいていの方が納得し、実際に接種を受けてくれる。
同様に、高LDL血症や肥満で通院中の患者にも、様々な日常の困りごとに耳を傾け、信頼を築く中で「日中に眠気はないか?」といった何気ない会話から、睡眠時無呼吸の検査や治療に繋げていく。予防医療のきっかけは、集団に対する画一的なアプローチではなく、こうした、診察中の何気ない会話から広がっていく。患者に「この人に言われるならやってみよう」と思ってもらう信頼関係が大切だ。最近は、「風邪ごときで受診するな」といった議論もあるが、プライマリ・ケアの現場では、風邪診療を契機とした予防医療への介入や疾患の早期発見など、数値やエビデンスでは測れない大きな意義がある。
ナビタスクリニックでは、診療終了後にその日の患者数や診療単価のデータをフィードバックしていただいている。もちろん医療は利益のために行うものではない。しかし、自らが提供する医療行為が患者にとって価値あるものであり、かつ、医療機関の持続性にも貢献するのであれば、それは積極的に実践すべきである。睡眠時無呼吸症候群の治療やワクチン接種は患者単価の上昇に繋がるだけでなく、将来的な重病化リスクの低減にも貢献する。
都市部のクリニックで診療することは、私にとって良い意味でプレッシャーである。秋田のような医師不足地域では、医師がいるだけで感謝される現場もある。それ自体は地域医療の現実だ。医師免許とそれに紐づく様々な権利が医師の立場を支えている。一方でこの環境は、医師免許という資格に胡坐をかき、自己研鑽の動機を失ってしまう危うさもある。都市部では、患者が複数のクリニックを比較し、「自分に合う医師」を選んでいる。常に評価される環境は厳しいが、その分、自分自身を磨く機会に満ちている。
今後も、地方と都市、両方の診療現場を経験する中で、「目の前の患者にとって最善の選択は何か」を考え続けていきたい。