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Vol.116 医局長なんか大切にしなくていいよ!

医療ガバナンス学会 (2011年4月11日 06:00)


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獨協医科大学神経内科
小鷹昌明
2011年4月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


毎年12月も末日を迎える頃になると、大学病院勤務医師は、にわかに殺気立ってくる。
次年度の”人事移動”である。

全国医科大学病院、および大学医学部附属病院に勤務する、”物言わぬ地味で真面目な医局長”を代表して伝えておきたいことがある。
医局長の最大の仕事と言ってもいい責務が、この医局人事の算段を練ることである。大学や医局によって多少の違いはあるかもしれないが、当病院の神経内科では、代々医局長がそのたたき台を作成する。後に教授が多少の修正を加えることで最終的に決定される。
官僚の根回しによる事務次官会議のような仕事が医局長の役割で、閣議決定が教授の仕事と言ってもいい。

12月に入ると、おもむろに医局員たちが、三々五々「相談があるのですが」とやってくる。
こちらとしては、「なになに」という親心で接する準備はできているが、「そろそろ近くに家を買おうと思うのですが」とか、「子供が小学校に上がるまで は、家から通いたいのですが」とか、「母が少し病気がちなので、時々実家に帰省できる場所で働きたいのですが」とか、「留学したいので、この1年間は落ち 着いて勉強できる条件で勤務したいのですが」などの意向を、「自分のことはさておき、大学や患者や家族のためにやむを得ず」といった素振りで訴え、人事に 口を挟む。
いずれも、よく解る。もちろん事情があることも十分理解できる。しかし、これらすべての意見を採用していたら、到底人事は回らない。敢えて「回さない」という方法もあるが、そういうわけにもいかない。そこで、医局員たちとの個人交渉となるわけである。
先々代あたりまでの医局長は強権を発動し、有無を言わせぬオーラがあったが、先代あたりからは時代のニーズに合わせた人道的な人事へと舵を切られた。

私も医局長になる前までは、送別会なんかで「来月いっぱいで一旦大学から離れ、○○病院に赴任することとなりました・・・」などや、「通うことはちょっ と無理そうなので、しばらくは単身で暮らすことになりました・・・」などとコメントし、満足そうな顔をしている移動対象の医師がいる一方で、憤懣やるかた ない顔を見ることもあり、「悲喜こもごもは人事に付きものであるが、その采配を振るう医局長の心労やいかに」などと悠長なことを考えていた。
そして、恐れていた(と言うか、覚悟していた)医局長を拝命した。

適材適所でモチベーションを落とさないように配慮した人事とはどういうものなのか? また、どうすればそれを実行できるのか? 医局長にとって永遠に尽きることのない課題である。

医局員にとって働きたい病院の選択肢のひとつは、「少ない労働で高収入」の得られる病院であり、行きたくない病院は、「その逆」であるということは事実としてある。
私だってその気持ちがないわけではないし、そう願うことは仕方がない。
ただ、そういう選択肢が発生することの理由として、「忙しくても安い病院」と「暇だけど高い病院」とが存在するからである。労働の多寡と給与額とが相関 していれば、「オレは厳しくても給料のいいところで働きたい」とか、「ワタシは稼ぎはどうでもいいからゆっくりしたい」ということで、人事は割とスムーズ にいく。

また、労働条件というものを度外視して、自分の働きたい病院を希望するものもいる。たとえば”がんセンター”や”ホスピス”、”石垣島の診療所”など の、ある特定の領域に特化した医療機関である。動機はさまざまであろう。特殊な医療技術の習得を目指したかったり、何かの転機により心情が変化したり、世 を儚んだりなどの理由があったのかもしれない。
私のように、「大学病院勤務に飽きた」という理由だけで英国留学を希望するような輩もいる。それはそれでいい。なるべく希望を叶えてあげたい。

さらに、彼らのニーズはどういうところにあるかというと、「忙しくとも愉しく働ける病院」であり、「暇でも良い気分で働ける病院」である。言い換えるなら、働きやすい病院である。
人間は機嫌良く仕事をしている人のそばにいると、自分も機嫌良く何かをしてあげたくなる。だから当たり前だが、愉しく働きやすい病院は医療者にとっても患者にとっても良い病院である。

医師の仕事として、「癌を上手く切り取る」ということや、「よく効く薬を見立てて処方する」ということは当然あるが、それよりも「患者に希望を与える」 ということが前提にある。だから私たちは、「心身がアクティブに機能していることは気分が良い」ということを、メッセージとして患者の心に届けることが大 切である。
「心身がアクティブに機能しないのだから気分も悪く、調子も悪いのだ」と患者の立場を考えて批判したい人がいたとしても(たくさんいると思うが)、私は、それでも「心身の潜在能力の発現を期待するような言葉」を語った方がいいと思っている。
それは、「私は知識や技能を習得してきたので、何をするにも役に立つ」と伝えてもいいし、「推察や想像が思考の邪魔をして、いろいろと考えることが身震 いするほど愉しい」と表現してもいいし、「観たり聴いたり感じたりする機能が残存していることは、身体能力を高めるうえでは欠かせない」と促してもいい。

どんなにきれい事を並べようとも(この言葉、私の常套句になりつつあるが)、健康な医療者は、所詮患者の気持ちなど本当の意味では理解できない。「それ で構わない」と言っているわけではない。「そういう根源的な部分に立ち返ってものを考えないと、結局は絵空事で終わってしまう」と言っているのである。
私たちにできることは、患者に同情することでも立場に寄り添うことでもない。敢えて言うなら”質を上げる”ことである。そのためには、そこで働く医療職員の士気を上げることである。どうやったら人間は高いパフォーマンスを達成できるかを考えることである。

答えは簡単なことで、皆が機嫌良く働けて、コミュニケーションが円滑で、潤沢な財源があることである。
重篤な疾患であるからこそ、難病であるからこそ、医師にできることは、「医療者そのものの心身がアクティブな状態にあって気分が良い」という気持ちを伝搬させて、何かを感じ取ってもらうしかないのではないか。私はそう思っている。

人事に話しを戻す。
少ない医師数で県内の病院ニーズに応える算段を練るのが医局長の仕事である。
医局長とは、たとえば「専門分野に関する最新の知見を備えたうえで医療全体を俯瞰的に眺めることができて、医療界の動向や将来についても鋭敏に反応し、 なおかつ適正な人事を行うための客観的な事実の評価が可能な冷静な判断力と迅速な手際とを併せ持つ、傾倒され得る人物でなければとても務まらない大いなる エリートである」ということは、私の場合には一切ない。
それどころか、私は内向的で偏執狂的なこだわりを有する邪悪で冷淡な人間である。が、医局長の仕事なんてものは、そこいらへんに転がっている、明るい、社交的な、涙もろい、善良でリベラルな脳天気の医師にも簡単にこなせる。

人事移動の算段を練ることは、考えるよりもラクな作業である。なぜなら、医局員たちがあらゆる事態をシュミレートしてくれて、あらゆる不測の事態を想定内のことに貶めてくれるからである。
「この医師をこうしたらどうなるかなぁ」と一言、言えば、1週間後には、この医師はこのことを覚悟してくれるようになる。「その医師にそれをやらしたらど んな事態になるかなぁ」と洩らせば、1週間後には、そのことを回避するための代替案を示してくれる。小出しにした私の構想や思惑をネタに、彼らは医局の雑 談として独自の考えを展開し、対策を練ってくれる。
まさに私が医局長になる覚悟ができていたのも、そういう噂にうまく操作されたからである。

有能な医局長は、人事に対しては、まず一段きつい条件を医局員に呈示する。それから少し譲歩することによって落としどころを探る。
野戦病院で一日救急車10台という××病院に、「2年間行ってくれないか」と打診した1週間後に、「そこでは君も大変だから、よく考えたけど(次にきつ い)○×病院へ行ってくれ」と言えば、大抵了承してもらえる。こちらは、最初からそのつもりであったので、難なくその人事をクリアすることができる。

医局長は医局員たちに、「嫌われないように憎まれなければ職務を遂行することはできない」ということは事実としてある。すなわち、「小鷹先生は人間的に は嫌いではないが、医局長の任務をまっとうしようとしているふりをして、実は何も考えないで決めているのが憎らしい」と周りから思われれば一人前の医局長 である。
「医局を回すためには、ときに非情にならざるを得ない場合も多く、感情なしに機械的に決めなければならないということを医局員に見透かされている」という ことが重要で、「考えているようにみえて、実は何も考えていない、つまり感情を抜きに機械的に決めたということがバレ(・・)て(・)いる(・・)」とい うことが大切なのである。

医局長の仕事なんてものは、どんなにいい働きをしたとしても、それによって多少「挨拶する医局員が増えた」とか、「看護師との飲み会の回数が増えた」と か、「医局長がそこまで言うのなら、後1年大学に居てやってもいいよ」という、”医局員のまとまり”というような形で手応えを感じることはあるが、結局の ところ、年度末に「この1年、あっと言う間に何事もなく過ぎたなぁ」という感想で語られるくらいのものである。
せいぜい「何かあったら泥をかぶる」という程度の仕事でいいのではないか。
そして、私の見るところによると、医局長が大切にされていない医局ほど、いい医局である。当たり前である。医局長から査定されて、「次はどこに飛ばされるか」と戦々恐々としている医局の雰囲気がいいわけがない。権限がかたち上保たれていれば、医局長は機能する。

もう解っていただけたと思うが、「地域医療を崩壊させないためには、大学病院の医局人事を円滑に回す必要があり、そのためには大学から進んで地域に出向 する医師が必要で、その対策に明け暮れる医局長を大切にしなければならない」ということや、「対外的な顔色もうかがいながら医局内部の調整やクレーム処理 に追われる医局長の仕事は大変なので、その苦労を解ってくれ」ということを言いたかったわけではない(少しは言いたいけど)。医局長は、「こんな楽な気分 でやっても、結構まともに務まるのだよ」ということを述べたかっただけである。
理由は、何度も指摘しているように大抵の懸案事項は医局員が先回りして結論を出していってくれているからである。それに対して、医局長はある意味「言い訳」を用意して、Goを出すだけである。そういう医局が、いい医局なのである。

医局人事の議論は年末・年始の恒例行事である。時期が近づくにつれて、いかに熱く深く議論されるかが、彼らの古来からの風習なのである。だから、医局長はそれなりに大いに悩む(ふりをする)ことが必要なのであり、お祭り騒ぎに進んで荷担してあげることが重要なのである。

最後に言うのも卑怯かもしれないが、実は昨年度より私は医局長を辞している。だから遠慮なく手の内を明かすことができた。大学病院医局長は私のこの経験を活かして、人事決定を行っていただければ、私が顰蹙をかいつつ暴露した価値があるというものである。

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