医療ガバナンス学会 (2025年6月24日 08:00)
小沼士郎
2025年6月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
喫煙者である私は、自分の国際保健への取り組みの仕上げとして、たばこの問題に関わりたいと考えるようになった。WHO規制枠組み条約が成立して10年以上が過ぎた今も、たばこによって、毎年世界で700万以上が死亡している。条約は機能していないのではないか。
19年4月、私は外務省を退職し、フィリップモリスジャパンのディレクター、メディカルアンドサイエンティフィックアフェアーズとなった。たばこ業界に身を置いて見た日本の行政の最前線では、条約が期待する国家の義務を無視して、厚労省医系技官は、国民の健康よりたばこ会社の利益を優先し、財務官僚は、その利益増進に配慮し、日本は世界でも極めて特異な加熱式たばこ大国に成り下がっていた。
【厚生労働省医系技官幹部】
―We sought to validate the results obtained by this global tobacco company―
19年春、ある外資系たばこ会社が総額1億円を超える営業活動を準備した。10万円以上する一酸化炭素測定器を1000台購入、自社の加熱式販売店へ配布。販売員は来店した喫煙者の呼気の一酸化炭素濃度を測定し、異常高値なら、加熱式への切り替えを勧める計画だった。
この営業活動は医師法第17条「医師でなければ、医業をしてはならない」違反の畏れがある。私が勤務する介護施設でも、医師免許のない職員が自動測定器で血圧測定を行えるが、異常高値でも、降圧剤屯用など医学的判断はできない。医師免許のない医学生も実習で医療行為を行うが、医師法違反である。それでは実習が成り立たたないため、全国医学部長病院長会議は、違法性阻却事由と実習で可能な医療行為とを明記した規定を策定した。
5月8日、厚労省たばこ専門官平野公康がこの計画に関心を持っているとの情報が会社に入り、担当ディレクターが厚労省と調整にあたった。24日、ディレクターから社内関係者に対し、たばこ会社による測定器使用を妨げる法律はないと厚労省が指摘したと報告、30日、厚労省や関係者から使用許可を得たと報告された。使用の条件は、喫煙者以外の見えないところで使用、加熱式たばこ販売員はメーカーのトレーニングが必須、測定した喫煙者に加熱式への切り替えが疾病リスク低減と誤解させない、問題が生じれば当該社職員の医師の責任になる等だった。厚労省は、これで違法性阻却事由になるとの結論を本当に出したのだろうか。
6月28日、たばこ会社の一室で、測定器販売会社幹部がデモンストレーションを行った。参加者は次々と測定器を試し、期待感を表した。販売会社幹部は、その様子を見ながら、「禁煙プロトコールに沿った利用が必要となる」と指摘した。医療行為ではないか。参加者の一人が、「ここにいる担当ディレクターが弊社の使用方法を説明していると思うが、どういう方法が問題ないか、顧問弁護士や付き合いのある厚労官僚に相談した方がいい」と言って、資料を渡した。
資料は、平成17年7月26日付、厚生労働省医政局長発各都道府県知事宛、医政第0726005号「医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知)」である。持ち帰った在阪の販売企業は、地域のがんセンター医師に相談した。
8月4日、販売会社から、売買契約書案が担当ディレクターに提示された。契約書案8条(禁止事項)として、次の2項目が含まれていた。
- 「本件商品を喫煙(電子たばこ及び加熱式たばこの喫煙を含む。)を直接的又は間接的に促進する方法又は態様において使用すること」
- 「本件商品を医療法に定める医業に該当する行為に使用すること」
20年11月、出向から国立がんセンターに戻っていた平野公康は、厚労省国際保健福祉交渉官武井貞治と論文を発表した。加熱式たばこによる屋内受動喫煙の影響について、フィリップモリスによる研究結果の検証を目的としていた。同社は、影響は認められないと結論したが、二人は、「検証」に「validate」を使い、同社に肯定的な立場で、厚労省から委託を受けたこの研究を実施したことを明示した。- We sought to validate the results obtained by this global tobacco company
二人が出した研究結果について、受動喫煙の影響を無視できるとするか、影響を否定できないとするかは、評価が分かれるだろう。しかし、この研究発表は、加熱式の屋内喫煙に対する厚労医系技官の極めて強い政治的意思を示している。
18年7月の健康増進法改正において、附則第3条で、加熱式は他の製造たばこと異なり、その煙が他人の健康を損なうおそれがあることは明らかでない指定たばこに認定され、飲食が可能な屋内の分煙が許された。その参議院厚生労働委員会の採決で附帯決議が出され、決議では、加熱式による受動喫煙の影響に関する調査研究を促進し、早期に結論を得て、必要な措置を速やかに講ずるよう、政府に求めた。2年後、医系技官たちは、決議への回答として、フィリップモリスとともに加熱式の屋内喫煙を守り抜くという決意を内外に宣言したのである。研究発表から約5年経った今も、厚労省から加熱式の屋内喫煙を問題視する声は出ていない。
加熱式の屋内喫煙を法的に認めた18年健増法改正時、厚労省には、その後、このようにたばこ会社の利益を国民の健康より優先するたばこ政策担当者たちがいた。
【財務省理財局たばこ事業室】
―「財務が告発すればとても重い、特捜部は動く。」―
19年4月、私がフィリップモリスの日本支店のディレクターとなって、前任から引き継いだ業務の中に、東京大学と京都大学との協力案件があった。この協力案件を贈収賄と判断した私は内部告発し、10月、解雇された。
解雇後の11月、東京高等検察庁の検事に相談した。中央合同庁舎6号館の一室で2大学事案について説明すると、友人は、「大変な目に遭ったな、ちょっとこの資料いいか」と言って、持参した東京大学事案と京都大学事案の資料からそれぞれ1ページずつ選んでコピーした。私はコピーを友人に託し、庁舎をあとにした。12月、彼から「担当部署の担当が決まった、その担当から直接連絡があるかもしれない、よろしく」と連絡があった。意味を尋ねると、東京地検特捜部長が関心を示し、担当の副部長と検事を指名して検討させているということだった。
年が明け20年1月になっても、特捜部担当から連絡はなかった。友人に確認すると、特捜部の人繰りなどがあって、捜査しないことになったという。一方、事案の判断について尋ねると、友人は、東京大学事案は教授の職務権限が明確なクロ、京都大学事案は、研究が館としての活動なので、教授の職務権限が訴追のハードルになるだろうと説明した。
同じ1月、私の法的代理人が前年12月にフィリップモリス側へ送った内容証明郵便の回答が届いた。私からの内容証明郵便では、両事案の問題点を指摘しつつ、解雇は不当と主張したが、フィリップモリスの法的代理人、長嶋大野常松事務所の弁護士が寄越した回答では、2大学の事案に問題はなく、解雇も正当、私が持ち出した資料を全て返せという内容だった。
フィリップモリスが事案の不正を否定したことを受け、公益通報者保護法にならって通報することにした。国民の命や財産に関わる問題について、同法では、企業内部での通報が機能しない場合、まず行政機関へ、さらに機能しない場合、次に報道機関などへと、通報をエスカレーションさせていくことを想定する。そのステップにしたがい、まず行政機関へ通報することにした。
同法は、また、通報を受けた行政機関に対し、公益通報対象事実として受理、調査を行わせ、その結果で刑罰などを与える規定をもつ関連法を400本以上指定している。通報先として、所管のたばこ事業法に刑罰条項のある財務省を選んだ。前年11月、知人の厚労省医系技官に状況を説明した際、技官は、厚労省には何もできない、国立大学の話だから文部科学省ではないかと、迷惑そうに話していたことも考慮した。
こうして、たばこ事業法上の刑罰条項に関する公益通報対象事実にあたるとして、財務省に対して通報することにしたが、通報の最も重要な狙いは、刑事訴訟法第239条2項、「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」告発義務だった。東京高検の検事に財務省へ通報することを伝えると、「財務が告発すればとても重い、特捜部は動く」と言った。
通報に先立ち、財務省へ出向経験のある外務省大臣官房の参事官に相談した。外交官は、「俺はワシントンの在米大で一緒だったので、今の理財局長をよく知っているが、財務省はトップダウンの組織ではない、理財局たばこ事業室の担当に連絡して、下から上げていった方がいい、担当に通報するとき、俺の名前を使って構わない」と言った。そして、「そのたばこ会社、絶対に喧嘩してはいけない相手に喧嘩売ったな」と笑いながら言った。
2月3日、助言通り外務省参事官の名前を出し、たばこ事業室の担当係官に通報した。12日、財務省内の会議室で、同室課長補佐と係官との面談が実現した。面談では、事案の犯罪性に関する司法当局の判断も伝えた。約1カ月後、課長補佐から検討結果を伝えたいと連絡があり、3月10日、財務省で課長補佐と再び面談した。補佐は、2事案は公益通報対象事実でなく受理できないが、任意の調査を行うとの検討結果を伝えた。
一方、補佐は、その調査方法について、フィリップモリスに対し、大学教授に多額の金銭を支払い、研究員を派遣しようとする事実はあるか、利益相反を秘匿し大学に医学研究を行わせている事実はあるかと質問すると説明した。私は補佐に対し、そんな質問では彼らは真実を答えるわけがないので、大学名を出して質問するよう要請した。
しかし、内部情報によれば、私に説明したその週、補佐は財務省担当のフィリップモリス職員を財務省に呼び、調査する旨を伝えたが、大学名に言及しなかった。さらに、フィリップモリスは財務省に対し該当案件なしと報告したとのことだった。そこで3月23日、私は、補佐に対して、私の説明を含む一連の過程で、刑訴法239条に鑑み、犯罪があると思料したかと尋ねるメールを送った。同日すぐ、補佐から、事実確認を行っており、回答できないとの返信がきた。
4月6日、私は財務省の情報公開請求窓口を訪問し、事案に関する財務省内の検討や調査の態様に関する行政文書の情報公開請求を行った。2か月経って、財務省から、6月5日付不開示決定通知書が届いた。存否応答拒否、すなわち該当文書があるかないかも答えない決定だった。理由の一つとして、公にすれば、当該法人、すなわちフィリップモリスの権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれのある情報であることをあげていた。財務省理財局たばこ事業室には、刑事告発を行うつもりなど微塵もないことが明らかになった瞬間だった。
思い返せば、2月12日の面談で、私は補佐に対し、検討に必要であれば贈収賄を証明しうる書証を渡したいと提案した。補佐が資料の必要はないと即答したとき、補佐の隣にいた女性係官は驚いて目を見開き、口を開けて、補佐に顔を向けた。私も役人だったのでわかるが、すでに12日の段階で、理財局中堅幹部から補佐に対し、理財局長との関係もあるので、小沼を丁重にもてなしたうえで、適当にあしらっておけという指示があったのだと思う。
存否応答拒否の回答を得た20年夏以降、私は立憲民主党の複数の議員に対し、財務省による不正の黙認を国会で取り上げてもらえないか接触を試みた。誰も関心を示さず、その中には、森友学園問題の際、理財局突撃訪問事件を起こした元党代表代行逢坂誠二もいる。森友学園問題では財務官僚が政治家に忖度したが、私が接触した23年2月、予算委員会の筆頭理事となっていた議員は、心を入れ替え財務省に忖度したのだろうか。
財務省理財局官僚がたばこ企業の加熱式による利益に配慮し、立憲民主党議員が刑訴法第239条の告発義務を果たさない財務省理財局を黙認したことによって、日本における加熱式の研究における不正が明らかになることはなく、加熱式の普及は順調に進んだ。
経歴
1992年、東京大学医学部卒業。1994年から2年間、東京大学医学部付属病院研修医、1996年、外務省入省(外務公務員一種試験)。外務省では、G7・G8首脳会議、WTOや経済連携協定などの対外経済政策、国際保健を主に担当し、国連エボラ対応緊急ミッション、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に出向。2019年4月、フィリップモリスジャパンに就職、同年10月解雇。2021年4月、道南森ロイヤルケアセンター施設長。