医療ガバナンス学会 (2025年6月26日 08:00)
現在、私は、北海道の介護老人保健施設の医師として、介護保険法、介護保険制度、介護報酬制度の現場において、エビデンスに基づいた理によって利を管理するこの精緻なシステムを構築した厚労省関係者の努力に対し、深い敬意を払いながら、働いている。
しかし、受動喫煙対策では、厚労省は、エビデンスに基づいた理によって利を制することはできなかった。
17年1月、内閣総理大臣施政方針演説で「受動喫煙対策の徹底」を行うことが表明された。2月、施政方針演説を受け、原則屋内禁煙の実現を目指して、塩崎泰久厚労大臣が健康増進法を改正する厚労省案を掲げた時、自民党内のたばこ議員連盟を中心とした勢力が徹底抗戦した。時限を切った激変緩和措置として、店舗面積を30平方メートル以下の小規模なバーやスナックの屋内喫煙を認めるまで譲歩したが、6月、それも潰された。8月、内閣改造によって、新たに着任した加藤勝信厚労大臣の下で、改正案は年を越して、準備されていった。
こうした状況の中、エビデンスに基づいた受動喫煙対策を求めて、医学界が声を上げた。
17年12月、日本内科学会や日本心臓病学会などが連合する禁煙推進学術ネットワークは、部分的規制や分煙では、受動喫煙防止の効果は期待できないと指摘して、「受動喫煙防止のための法規制において、面積基準による小規模店の例外や喫煙室の設置等による分煙は、健康被害を防止するという目的に反するために認めるべきではない」とする緊急声明を発表した。
18年2月、日本医学会連合会も、「公衆衛生の原則に則り、健康被害が実証されている紙巻たばこによる屋内での完全禁煙化を図ること、加えて加熱式たばこによる二次曝露(受動喫煙)対策も紙巻たばこと同様の規制を行うこと」を要請する緊急声明を発表した。
また、17年4月、日本たばこが受動喫煙規規制に反対する署名約116万筆を集め、たばこ議連を支援したのに対し、8月、日本医師会は、規制強化を支持する約246万筆の署名を集め、対抗した。
しかし、17年、フィリップモリスとの緊密な関係がロイターで報道された高階議員だけでなく、元厚労大臣である田村議員も、こうした医学界の声を党内に広げようしなかった。後に、理由が明らかになる。やはり、たばこ企業との協力関係だった。加熱式増税を巡る23年の田村、高階両議員による厚労大臣と財務大臣への陳情は述べたが、彼らの傍らに、たばこ企業がいた。
22年10月27日、田村議員と高階議員は、英国医師ピーター・ハーパーを議員会館国際会議場に招いて、たばこのハームリダクションに関するシンポジウムを開催した。彼はフィリップモリスによって日本に招待された医師だった。産経新聞系列のZAKZAKは、前日26日、フィリップモリス主催のセミナーで、医師がハームリダクションのために紙巻から加熱式に切り替えるべきと講演したと報じた。12月、産経新聞も医師のインタビューを記事にして、後押しした。
また、ヤニ吸うふたりの他に、別の理由で医学界の懸念に取り組まなかった厚生族もいた。「裏切りと嫉妬の自民党抗争史」が鮮やかに描いたように、男の嫉妬が永田町に渦巻いている。
23年、念願の厚労閣僚の座を手に入れ、日本医師会会長だった父の墓前に報告した自民党参議院議員武見敬三は、一足先にその地位を得た塩崎議員に強い対抗心をもった。14年、塩崎議員が厚労大臣となり、国際保健外交の中心的役割を担い始めた時、独壇場と思っていた武見議員は苛立ちを隠しきれなくなり、16年、伊勢志摩サミットの準備過程で頂点に達した。
サミットに向け、安倍総理のランセット投稿が準備されたが、それまで重用した大学教授が用意した初稿が、塩崎大臣の意向を強く反映し、武見議員は激怒した。後に初代医務技監となる厚労省局長が大幅に書き直した。後日、武見議員は大臣を訪ね、自分はこの教授を今後一切使わないと通告した。そして、17年、塩崎大臣が原則屋内禁煙を目指して、厚労省案を掲げ、党内の反対する勢力と死闘を繰り広げたとき、それを支えた側近の一人が教授だった。
一方、武見議員と田村、高階両議員の関係は良好である。フィリップモリスにより日本に招待された医師を招いて開催した22年10月の両議員のシンポジウムには、武見議員の後押しで、途上国のための医薬品開発基金CEOとなった医師國井修もスピーチし、盛り上げた。
CEO医師の前職は、冒頭に述べた3大感染症対策の国際機関の戦略担当幹部で、外務省の全面的支援でその地位を得た。シンポジウムを紹介した高階議員の10月27日活動日記で彼の名前を見つけ、私は後悔した。その国際機関に彼を押し込むと決めたのは私だった。戦略構想力はないが、個人ホームページ立ち上げなど、自分の売り込みが巧みな医師は、国際機関への莫大な拠出金維持の広告塔に適任と、その幹部人事の責任者だった私は判断した。
国家救援医という自著もあるCEO医師は、フィリップモリスが屋内禁煙などたばこ規制を強化したしたウルグアイを提訴し、ウルグアイがかつて苦境に追い込まれたことを知らないのだろう。
17年、原則全面禁煙を目指す塩崎大臣の前に、自民党たばこ議員連盟が立ちはだかったその時、日本医師会、続いて東京都医師会の後押しで当選を重ね、診療報酬改定では官邸まで陳情する武見議員、当時、自民党政調会長代理として、健増法改正の党内取りまとめにあたった田村議員、フィリップモリスとの緊密な関係を続ける高階議員などの厚生族が、塩崎大臣を全面的に支援したら、自民党内の攻防の局面とその後の展開は違ったのではないか。
しかし、彼ら厚生族には、医学界の懸念などどうでもよく、エビデンスに基づいた受動喫煙対策の徹底を目指した塩崎大臣を支援する理由は全くなかった。
そして18年、加藤厚労大臣のもと、成立した改正健増法では、100平方メートル以下の飲食店で喫煙専用室の設置が認められ、特に加熱式には、飲食も可とする分煙も認められた。塩崎元大臣は、「これは受動喫煙防止法でなく、受動喫煙促進法だ」と表現した。政治に利害調整と妥協は必要だが、それは人々の命を守るために行うのであって、一部の人々の利益を守るため、その他の多くの人々の命を犠牲にするおそれを犯してまで、行われてはならない。
こうして17年は、日本が加熱式大国へ向け、決定的な歩みを進めた年となった。1月、内閣総理大臣施政方針演説で「受動喫煙対策の徹底」を行うことが表明され、6月、塩崎大臣がそのために掲げた厚労省案が潰された。そして、前述の通り、9月、宮澤税調会長は加熱式の優遇税率の見直しに意欲を示し、12月、税制改正大綱では実現しなかった。加熱式蔓延を目指すたばこ企業たちと、それを支援する自民党議員たちが完勝した。
そして、この加熱式大国元年である17年、受動喫煙のエビデンスを無視し、医学界の懸念も共有しなかった自民党厚生族こそ、原則屋内禁煙へ向けて邁進しようとした塩崎大臣に後ろから足を掛け、そのための厚労省案を潰した業績を誇るべき影の主役ではないか。
そうであればこそ、2年後の19年4月、たばこ業界に入った私が目にしていくのが、国民の健康より加熱式たばこの利益を優先する厚労省医系技官となることは、必然だった。
一方、25年4月、様々な研究によって加熱式の害が明らかになりつつある中、18年改正健増法が20年に施行されて5年を経過し、同法附則第8条に定められた施行状況の検討をすべき年を迎える。厚労省は、原則屋内禁煙の実現を阻んだ議員たちと再び対峙できるだろうか。
しかし、加熱式の屋内喫煙継続の是非を検証するよう求める声が上がっても、厚労省、そして医系技官たちは、加熱式の蔓延を支援し、あるいは問題としない厚生族たちに配慮し、附則第8条の検討対象は受動喫煙防止に必要な環境の整備の状況などで、加熱式の屋内喫煙を継続する是非は対象に含まれていないという回答を用意して逃げ切ろうとするのではないか。
フィリップモリスに解雇された後の19年11月、私は、武見議員の会館事務所を訪ね、相談した。議員は、「そんなことをすれば解雇されるに決まっている。優秀な君にしては大きな間違いを犯したな」というコメントを述べただけだった。
武見議員は、日本の国際保健外交を推進してきたことを業績の一つとして、誇りにしている。
確かに13年秋、国連総会に向け、冒頭に述べた安倍総理のランセット投稿を私が準備した時、16年の伊勢志摩サミット準備過程とは違って、国際保健は武見議員の独壇場だった。私は、原稿を官邸に上げる前に、武見議員に見せた。投稿の表題は、「我が国の国際保健外交戦略-なぜ重要か」で、できるだけ多くの人が、できるだけ少ない費用で、できるだけ多くの疾病の治療を受けられるようユニバーサル・ヘルス・カバレッジを目指す必要があると説いた。
国際交流センターによる資金援助によって、議員は、国連総会に合わせニューヨークを訪問し、総会に合わせ開催される一連の国際保健関連会合に出席した。そして、総会のマージンで、安倍総理が国際保健の主要プレーヤーのゲイツ財団を率いるビル・ゲイツ氏と会談した際、同席も許された。ゲイツ氏は、安倍総理の写真が表紙になったランセットを胸に抱えて現れた。その後19年、武見議員は、WHOのユニバーサル・ヘルス・カバレッジ親善大使に就任する。
しかし、惨たらしいたばこ行政を許しているこの国が、国際保健外交という看板の下で、他の国に対し、日本の皆保険制度を見習い、保健システムを強化し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジを目指せと説教など垂れる資格はない。このままなら、その看板を外すべきだ。
13年秋、国連総会関連の業務が終わり、ニューヨークから東京に帰る前夜、有名なステーキ店で、国連代表部次席大使、外務省局長、課長、外務省が議員に配慮し案内役として出張させた係長たちが、武見議員を囲んだ。議員は終始機嫌が良かったと聞いている。そして、会計の時、「今回は、君たちのためにいろいろ働いたから、ここは君たちの奢りだな。」と言い、次席大使と局長が勘定を済ませた。別のレセプションの冒頭挨拶のため、私は参加しなかった。
経歴
1992年、東京大学医学部卒業。1994年から2年間、東京大学医学部付属病院研修医、1996年、外務省入省(外務公務員一種試験)。外務省では、G7・G8首脳会議、WTOや経済連携協定などの対外経済政策、国際保健を主に担当し、国連エボラ対応緊急ミッション、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に出向。2019年4月、フィリップモリスジャパンに就職、同年10月解雇。2021年4月、道南森ロイヤルケアセンター施設長。