医療ガバナンス学会 (2025年7月1日 08:00)
―「では、会社側が出してくる紙に一切サインしないでください。最初のアドバイスです。」―
解雇が間近となった19年10月、夕焼けに染まる皇居を見下ろす部屋で、労働裁判専門の弁護士と会った。状況の説明を受け、弁護士は言った。
「あなたが解雇に同意しない場合、まず、労働審判に行く。しかし、あなたの業務評価に関わる東大や京大との研究、WHO総会での工作活動などについて、労働審判官に判断をすることは難しく、調停は成立しないでしょう。その結果、裁判で争うことになるが、私の担当業務状況から、たばこに関する広範な問題を全て正確に理解し、あなたのために裁判で争うことはできない。ただし、アドバイスを続けることはできる。あなたは争うつもりですか。」
「そのつもりです。解雇に同意すれば、不正を許したことになる。それはできません。」と、私は答えた。
「では、会社側が出してくる紙に一切サインしないでください。最初のアドバイスです。」
10月31日、私は会社側が用意した書類へのサインを拒否し、解雇通知を受け取った。
それから数年、感情の赴くままに争いに没頭し、私は身近な人全ての幸せを犠牲にしてきた。そして昨年夏、たばこ企業と日本の研究者の癒着が明らかになっても、日本のたばこ政策が望ましい方向へ動く気配はなかった。憤りを覚え、小文をブログなどで公表し、日本のたばこ政策の問題を世に問うべきと考えたこともあった。しかし、家族から、「もう何もしないで。アメリカがあの会社を捜査してると思っているのなら、それを信じて、結果を待つだけにして。」と言われていた。
Living well is the best revenge
優雅な生活が最高の復讐である。優雅な生活とは言えないが、北海道の医師として働いている今の静かな暮らしを続けるだけでよいと思った。また、私を解雇した関係者の処遇などを見れば、復讐も終わっている。
こうして心の片隅に迷いを感じながら過ごしていた昨年末、渡邊渚氏のことを報道で知った。
-私をPTSDにした人たちに、「私の言論を止められない」ということを訴えたかった-
渡邊氏の言論によって、日本の社会は変わり、これからも大きく変わっていくだろう。
私は、23年夏、ロンドンで取材を受けた時、「これは戦争だ。ケリをつけなければいけない。」と話したことを思い出した。まだ、ケリはついていない。通報しただけで、言論を止まらせてよいのかと思い、ささやかな記録に挑戦することにした。そして、これ以上、私にできることはない。
「透明を満たす」は、若者らしい、瑞々しく美しい響きの言葉だと思う。PTSDになるほど凄惨な経験の後、この言葉を見つけたことに感銘を受けるとともに、消え去ることのないその傷の重みを抱きしめて生きていく渡邊氏のこれからの日々が穏やかであってほしいと願う。
霞が関で過ごして、永田町と長く関わり、汚れてしまっている大人は、週末の卯酒の盃を傾けながら、記録を終えた心境を菜根譚に託したい。
雁 寒潭を渡る
雁 去りて 潭に影を留めず
【追記】
日本の政治家、官僚や報道機関対象とするこの記録を書き終えて間もなく、ジャパンタイムズからop-edの依頼があった。編集者が依頼した内容は、フィリップモリスについてだった。渡邊氏の勇気ある言論を知らなかったら、断っていただろう。しかし、今の私には、一瞬の躊躇もなかった。私が提出した拙い英語の初稿を、見事な文章に変えたジャパンタイムズ編集者に心から感謝する。そして、そのすべての法的責任は私にある。最後に、フィリップモリスにお礼。
Thanks to Philip Morris, I didn’t switch to the Heat-not-Burn and continue my guilty pleasure, smoking cigarettes. I didn’t Quit Ordinary Smoking.
1992年、東京大学医学部卒業。1994年から2年間、東京大学医学部付属病院研修医、1996年、外務省入省(外務公務員一種試験)。外務省では、G7・G8首脳会議、WTOや経済連携協定などの対外経済政策、国際保健を主に担当し、国連エボラ対応緊急ミッション、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に出向。2019年4月、フィリップモリスジャパンに就職、同年10月解雇。2021年4月、道南森ロイヤルケアセンター施設長。