医療ガバナンス学会 (2025年7月11日 08:00)
医療ガバナンス研究所
小林秀美
2025年7月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●万博(国際博覧会)とは
1851年ロンドンにて第1回の万国博覧会が開催。
日本では 1970年3月15日~9月15日大阪千里丘陵で開催されました。アジア初の開催でテーマは『人類の進歩と調和』。期間中、約6500万人が訪れました。時代は高度成長期。1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトでした。
その後、日本では、4回もの万博が開催されました。
◇沖縄国際海洋博覧会 1975年7月20日~1976年1月18日(沖縄県国頭郡本部町)来場者349万人。テーマは「海 – その望ましい未来」
◇国際科学技術博覧会(つくば博)1985年3月17日~9月16日(茨城県・筑波研究学園都市)来場者2033万4727人。テーマは人間・居住・環境と科学技術
◇国際花と緑の博覧会(花博)1990年4月1日~9月30日(大阪鶴見緑地)来場者2312万6934名。テーマは自然と人間との共生
◇愛・地球博2005年3月25日 ~ 9月25日(愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)・豊田市・瀬戸市)来場者2,204万9,544人。テーマは自然の叡智
そして
◇大阪・関西万博2025年4月13日~10月13日(大阪府大阪市夢洲地区)目標来場者数2800万人。テーマはいのち輝く未来社会のデザイン
大阪生まれの私にとって万博は時代を超えても身近な存在であり、過去の万博も沖縄海洋博以外は全て訪れました。日本では1980年代後半からこのような大規模万博以外にもたくさんの地方博が開催されました。世はまさに博覧会ブームでした。
そのような中、東京都知事の青島幸男氏が公約通り、世界都市博覧会(せかいとしはくらんかい)1996年(平成8年)3月24日~10月13日を中止にしたことは衝撃的でした。工事はかなり進んでいたようです。
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●大阪・関西万博
★アクセス
万博には東ゲートと西ゲートがあります。
鉄道を利用する場合、新大阪、関西空港いずれからも最終目的地は地下鉄中央線の夢洲(ゆめしま)が最寄り駅。新大阪から約40分ほどです。こちらは東ゲートにつながります。
また、近隣主要駅や空港からはシャトルバス(要予約)が出ています。こちらは西ゲート付近の夢洲第一交通ターミナルに到着します。
★暑さ対策
平日の12時という遅いスタートで会場を訪れました。
地下鉄を降りて炎天下の中、かなり迂回。東ゲートに着くころにはすでにお疲れモード。待つこともなくスムーズに荷物検査を終えると会場内へ。(朝早い時間帯はこの段階でも待ち時間があるそうです。)
暑さ対策はかなり工夫していますが、それでも暑い!
椅子の数は比較的多く、日陰もあり。無料レンタルの日傘や無料給水スポットも完備。ミストゾーンも何ヶ所かあります。
私は凍らせた500㎖ペットを2本、冷感タオル(—5℃)、塩分タブレット、帽子にサングラスを持参。
何よりも空いているパビリオンに入って涼をとりましょう。椅子もあります。
★パビリオンと大屋根リング
有名どころのパビリオンは事前予約をするか、並ぶか・・・
予約を一切していない私は30分以上並ぶことはせず、入場できるパビリオンに入り、涼むということを繰り返しました。
結果、入場できたのは『大阪ヘルスケアパビリオン』『コモンズB』(アフリカやオセアニア、中南米などの国々が集まる“多国籍エリア”24か国)『ペルー』『フィリピン』のみ。
夕方になると心地良い海風も吹き、スムーズに入場できるパビリオンもありましたが、大屋根リングに上がってみることにしました。
大屋根リングは直径600メートル、全周2キロ。万博の広さを体感できました。対面に行くのはかなり時間がかかりそうです。
木のぬくもりも感じ、良いアイデアだと思います
すっかり夕闇。ドローンのショーも見て帰路に。こちらのスポンサーはケイリンでした。
またまた迂回。しかし地下鉄は2分に1回来ています。
★それぞれの万博
同行人は通期パスを購入しており、すでに10回も訪れていました。
大阪で『万博へ行ったよ!』と話をすると、すでに複数回行っている人がたくさんいました。『今度は孫と行く!』『次は夕方チケットで』『旦那や友人と行っても待ち合わせして好き勝手にしてる』楽しみ方いろいろです。若い人もどんどん出かけています。
偶然話した老人。『70年の時は松下館でFAXの係をしててん。今日は孫に連れられて4回目や。八尾から来てん。』
55年も前の万博。遠い昔のようで決して忘却のかなたではない。みんな元気。関西人(特に大阪人)はこういうお祭りが好きです、
できることなら子供たちや若い人にぜひ行って欲しい。ディズニーランドやUSJもいいけれど、万博でしか味わえない感動があります。たとえそれが暑かっただけだったとしてもずっと先に思い出すのです。そういえば2025年の万博の時に・・・。
そういう私も70年の時には外人を見かけては英語で話しかけてサインをもらっていました。普通の人からです。(笑)
★万博も時代とともに
今回の万博は体験型やAIが主流のようです。
70年の際には未来の機械やマルチビジョンなどの映像が印象に残っており、また85年や90年は大掛かりな予算を投じたライド系(乗り物に乗って館内を回る)がありました。
70年にも出展していて今回も出展していた日本企業は住友、電気事業連合会、パナソニック、日本ガス協会、三菱、NTT(前日本電信電話公社)。万博の出展効果や景気など世間は随分様変わりしたのだと思いました。
遠く離れた聞き覚えのない国にとっては観光誘致が目的でしょうか。
2024年パリオリンピック・女子100メートルで金メダルを取ったのは西インド諸島のセントルシアという小国のジュリアン・アルフレッドさん(当時23歳)。もちろんパビリオンではそれを大きくアピールしていました。
東京ではあまりなじみのない万博ですが、私は機会があればもう1回くらい行ってもいいと思います。