医療ガバナンス学会 (2025年7月17日 09:00)
医療ガバナンス研究所 理事
公益財団法人ときわ会常磐病院 乳腺甲状腺センター長・臨床研修センター長
尾崎章彦
2025年7月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
日本の医療機器市場は、薬剤と異なり価格が柔軟に設定される傾向にあります。とりわけ整形外科インプラントのような分野では、製品間の性能差が少なく、医師の「好み」や「営業担当者との人間関係」が使用製品の選定に大きな影響を与えます。製品の「医学的優位性」ではなく、「営業戦略」がシェアを左右しやすい、すなわち収賄が功を奏しやすい市場構造なのです。
ですから、今回の事件は氷山の一角にすぎません。一般に、今回のように、公立病院に勤務する医師は法的には「みなし公務員」として扱われるため、贈収賄事件として刑事罰の対象になり得ます。しかし、私立病院などでは立件が困難であり、制度的な監視や抑止力が十分に機能していないという課題もあります。
キャッシュバック構造は新しいものではない
実際、今回の「ポイント制キャッシュバック」は、医療機器業界における金銭供与の典型的手口のひとつです。過去にも同様の構造を持つ事件が相次いでいます。
●ゼオンメディカルと国立がん研究センター東病院(2023年)
今回の事件と類似するのが、ゼオンメディカルによる贈収賄です。医師に対し、ステント1件使用ごとに「PMS(市販後調査)協力費」として1万円を支払い、実際には調査を行わず、形式だけを整えたキックバックが150万円以上に及びました。さらに翌年、同社が実態のない調査や原稿執筆名目で、全国の病院や医師に5年間で総額1億円超を提供していたことを、業界団体が公表。元社長は贈賄罪で起訴され、公正取引協議会は「組織ぐるみの悪質行為」として厳重警告を出しました。
●日本光電工業と三重大学病院臨床麻酔学教室(2021年)
また、少し前になりますが、日本光電工業による三重大学病院での事例も、巧妙な贈収賄スキームの典型例です。同社は、臨床麻酔学教室の教授が運営する法人に200万円を寄附し、その見返りとして自社製品の導入を取り付けたとされます。具体的手法としては、製品を卸業者に大幅値引きで販売し、卸業者が病院に通常価格で納入することで得た差額を、寄附の形で教授側に還元していました。検察はこれを実質的な賄賂と認定し、有罪判決が下されました。このように価格操作を通じて金銭を還流させる手法は、医療機器業界特有の不透明な取引構造を象徴しています。
繰り返しになりますが、これらの事件が刑事立件に至ったのは、対象の医師が国立病院や大学病院など「公的機関」に所属し、法的にみなし公務員とされることが前提となっています。一方で、私立病院における金銭授受や、届出のない研究名目の資金提供などは摘発が困難で、表面化していない事例が多数あると考えられています。
なぜ歯止めがかからないのか
注目すべきは、贈収賄に関与した企業がいずれも上場企業のグループに属している点です。今回の日本エム・ディ・エム社は東証プライム市場の上場企業であり、日本光電工業も同様です。ゼオンメディカルの親会社である日本ゼオンもまたプライム上場企業です。こうした大手企業でさえ不正が繰り返されている現実は、医療機器業界におけるコンプライアンス体制の脆弱さを物語っています。
私たち医療ガバナンス研究所では、製薬企業から医師や医療機関への支払いを可視化する「製薬マネーデータベース」を運用し、2016年から2022年までの7年間のデータを公開してきました(https://yenfordocs.jp/)。製薬業界の透明性向上に一定の成果を上げてきたと自負しています。
2024年度からは医療機器業界のデータも分析と公開を開始しましたが、製薬業界と比べてコンプライアンスの取り組みは10年ほど遅れている印象があります。多くの企業がそもそもデータを公開しておらず、形式もまちまちで、極端に高額な支払いが確認されるケースもあります。こうした状況を改善すべく、2025年7月には医療機器メーカーによる支払い情報(2020年分)を初めて公開しました(https://yenfordocs.jp/me)。
今後、研究者や報道関係者、医療従事者に広く活用されることを期待しています。
医療の信頼性回復に向けて
医療機器の選定は、患者の安全と治療効果にも直結する問題です。医師の判断が経済的誘因によって歪められれば、患者にとって最善の医療が提供されなくなるおそれがあります。今回の事件を教訓とし、業界には倫理基準と透明性の徹底が求められます。
加えて、医師側にもモラルの問題が存在します。一般に医師は高収入とされていますが、実質賃金が伸び悩む中で、「営業担当者から得られる便宜で生活や研究費を補う」という考えが一部で根強く残っています。特に地方の公立病院などでは、企業との関係が資金的補填の手段となってしまう例も散見されます。
繰り返される贈収賄の連鎖を断ち切るには、単なる処罰にとどまらず、制度的改革と文化・風土変革の両輪が必要です。私たちは引き続き、情報公開と問題提起を通じて、医療の健全性を守る取り組みを続けていきます。