医療ガバナンス学会 (2025年7月24日 08:00)
この原稿はAERA DIGITA(2025年5月28日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/articles/-/257429?page=1
内科医
山本佳奈
2025年7月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私の場合、巨大な何かに後ろから追いかけられているような感覚と、それに伴う気の遠くなるような、何とも言えない感覚に襲われます。それらの感覚がどんどん強くなるとともに、動悸と息苦しさを感じるようになるため、目を閉じて、意図的に深呼吸を繰り返します。そうすると、一連の症状は落ち着きます。自然と身につけた、発作に対する対処法です。
実はこの感覚は、もっと昔から経験していました。小学校6年生の頃、中学受験のために日々勉強漬けだった私は、ふとした瞬間になんとも言えない恐怖感に襲われることがありました。大きなゴジラのような存在が背後から迫ってくるような、言葉にできない焦燥感。でも、目を閉じて深呼吸をすると、不思議と落ち着いたのです。一心不乱に勉強していたこともあり、誰にも相談することはありませんでした。
●医学部の同級生から言われて気づいた
思い返すと、中間テストや期末テスト期間や、大学受験のとき、そして医学部での専門科目の試験がいくつも続いた時に、不定期ではあるものの、同様の感覚に襲われていたように思います。大学の医学部でポリクリ(臨床実習)をしていた頃、同級生にそんな話をしたところ、「それ、パニック発作なんじゃない?」と言われ、はっとしたのを覚えています。精神科の講義で学んだ症状に重ね合わせると、確かに思い当たる節が多く、ようやく自分の体験に名前がついたような気がしました。
私はこれまで、この症状で病院を受診したことも、薬を飲んだこともありません。発作が起きたときにどう対処するか、自分なりのやり過ごし方を身につけてきたからです。とくに移住直後のアメリカでは、日常の小さな緊張が積み重なり、頻回に発作が出てくることもありましたが、目を閉じて、ベッドに横たわってゆっくりと深呼吸を繰り返すことで、発作は自然と解消していったのです。
そんな私にとって印象的だったのが、2024年に発表されたサルク研究所の報告[※1] です。研究者たちは、パニック発作に関与する新たな脳内回路を発見しました。PACAPと呼ばれる神経ペプチドが恐怖やパニックの引き金になる可能性があることが示され、これまで恐怖の中心とされてきた扁桃体とは異なるメカニズムが明らかになったのです。
同じ年には、呼吸が不安に与える影響に関する研究[※2] も注目を集めました。呼吸をコントロールする脳の領域が不安と深く関わっていることがわかり、ヨガや瞑想などの呼吸法が科学的にも有効であることが裏づけられました。研究者たちは、将来的に「ヨガピル[※3] 」のような新しい抗不安薬が登場する可能性を示唆しています。近い将来、不安障害をより明確に標的とする、新しいタイプの治療薬が生まれるかもしれません。
●この2年ほどは発作に悩まされず
今、私は夫と犬とともに暮らし、日々の暮らしのなかに、安心できる居場所があります。もちろん、他人同士が同じ空間で生活していれば、すれ違いや小さな我慢が生まれることもあります。それでも、幸いなことに、ここ2年ほどは以前のような発作に悩まされることはありません。家族や住環境といった生活の土台が整ったことで、心もゆっくりと穏やかになっていったのだと感じています。症状の背景には、何かしらの「引き金」があり、そしてその影響を和らげてくれる「緩衝材」のような存在がある──それを、私は身をもって実感しています。
パニック発作は、多くの人にとって思いのほか身近なもの[※4] かもしれません。不安は、時に前触れもなくやってきて、自分の変化にすら気づけないこともあります。だからこそ、日常の中で自分の心の声に耳を澄ませること、そして身近な誰かの小さな揺らぎに目を向けることが、大切なのだと思います。
最新の研究は、私たちの心と身体の反応にはきちんとした理由があることを教えてくれます。もしあの頃の自分に声をかけられるなら、「ひとりで抱えなくていいんだよ」と、そう伝えてあげたいと思います。
【参照URL】
[※1]https://www.sciencedaily.com/releases/2024/01/240104122005.htm
[※2]https://www.nature.com/articles/s41593-024-01799-w
[※4]https://www.nimh.nih.gov/health/statistics/panic-disorder