最新記事一覧

Vol.25144 カーボンナノチューブの欧州規制の背景と現状、今後の対応①

医療ガバナンス学会 (2025年8月4日 08:00)


■ 関連タグ

この原稿は長文のため4回に分けて配信いたします。
尚、こちらから全文お読みいただけます。( http://expres.umin.jp/mric/mric_25144-7.pdf )

日本ゼオン キャタリスト(ナノテクノロジー戦略領域)
阿多誠文

2025年8月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●CLP規則改定でMWCNTに何が要求されるのか

昨年2024年9月末、欧州委員会は従来のEUにおける化学品の分類、表示、包装に関する規則(CLP規則)を改定し、あらたに改定CLP規則 (EU) 2024/2564として公開しました。来年2026年6月に発効するこの改定CLP規則のなかに、多層カーボンナノチューブ(MWCNT)を含む多層グラファイトチューブが含まれています。欧州では2010年に欧州議会の環境委員会(ENVI)が、電気・電子機器における特定有害物質の使用を制限する指令(RoHS指令)の改定作業のなかで、MWCNTとナノ銀を制限物質とする提案を行っています。
これはゼロ閾値で提案されましたので、実質的には全面禁止案でした。その時は「まだ規制の枠組みを決める十分な有害性データが揃っていない」ことを理由に、年末の11月にこれらナノマテリアルの制限法案は取り下げられました。
注目すべきは当時のENVI委員会の委員長の、「きちんとデータが揃ってきたときには再度このナノマテリアル規制案を議論する」とのコメントです。それから15年が経過した今、このふたつのナノマテリアルは共に、発がん性区分1B(Carc.1B)物質、具体的には「ヒトへの発がん性が疑われる物質」としての法的とり扱いを受けることになります。また今回、特定の幾何学的領域のMWCNTは、特定標的臓器有害性反復暴露区分 1(STOT RE1)とハザードピクトグラム”GHS 08 Danger”の表示義務も負います。

CLP規則は化学品の分類、表示、包装に関する規則ですので、Carc.1Bと表示する義務を負うものの、MWCNTの欧州市場への上市が禁じられることはありません。ただ、だからと言って今後の産業展開に何も影響がないかというと、決して楽観できる状況でもありません。欧州委員会は一昨年あたりから、“One substance, one assessment”という政策方針のもと、工業製品から食品、医薬品や化粧品など様々な規制枠組みの簡素化と物質の取り扱いや管理の共通化を図ろうとしています。はじめてのナノマテリアルの規制である改定CLP規則のなかでのMWCNTのハザード分類が、他の規制の枠組みにどう反映されていくのか、大変気になるところです。
たとえば化学物質の登録、評価、認可、制限に関する規則(REACH規則)は、リスクベースの化学物質管理の基本方針を謳っています。しかし、REACH規則Art68.2の包括的リスク管理アプローチ(GRA)は、対象化学物質の有害性が想定される場合には自動的に予防的措置がとられることを許容しています。いわばGRAは、リスクベースの化学物質管理策のなかでハザードベースの管理策に基づく予防的措置を可能にするツールと言えます。GRAが適用されれば、REACH規則の枠組みのなかで、特定の産業や応用分野での利用を禁じる制限物質としての指定、あるいは上市に際して認可を必要とする高懸念物質(SVHC)の指定を受ける可能性もあります。
今回特定のMWCNTが発がん性区分1Bと指定されましたので、これはREACH規則の枠組みではいわゆる“発がん性、遺伝毒性、再生毒性のある物質”(CMR物質)になります。また、基本的に無機材料であるMWCNTには、活性汚泥法による生分解性が無いこともわかっています。したがって、MWCNTはCMR物質であり難分解性物質でもあることから、今後REACH規則のなかでSVHC指定の議論は必至とみておく必要があります。SVHCはREACH規則のA, すなわちAuthorization(認可)の対象になります。 現在REACH規則のSVHCで認可がとれているのは5%程度にかぎられますので、今後SVHC指定を受けるようなことになると欧州での上市が大変困難になることが予想されます。

●なぜ欧州規制対応が大事なのか

一般に欧州規制は厳しく、欧州規制が新しく施行されたり改定されるたびに日本の産業界では「また欧州が厳しい規制を強いてきた」という被虐的な声が聞かれます。規制の目的には市民の健康を守ることと共に、域内産業の国際競争力の維持向上を図ることの2面性があります。
特に正しく認識しておかなければならないことは、国際交易における規制の役割です。世界貿易機関(WTO)の設立協定の附則である“貿易の技術的障害に関する協定”(TBT協定)は、各国の強制規格や任意規格、適合性評価手続が非関税障壁として自由貿易の妨げにならないように、これらを国際規格を基に設定するように加盟国に求めています。
一般に国際規格は任意規格ですが、規制は法的に遵守が義務付けられている強制規格です。したがって規制が国際交易における非関税障壁とならないように、技術的な障害とならないように、どの国に対しても公正でなければならないはずです。その公正性を保つために、WTO加盟国やEUのような経済圏は、新しく規制措置を施行する際にはWTO事務局に連絡し、事務局から“TBT通達”として規制措置を公開し、加盟国から意見を求める仕組みがあります。では欧州規制の実態はどうなのでしょうか。

厳しい欧州規制の背景にはPorter仮説があります。一般に民間企業は、「環境規制への対応はコストの負担が大きく、企業の生産性や競争力を低下させる」と考えがちです。これに対してPorter仮説は、「適切に設計された環境規制は、費用低減・品質向上につながる技術革新を刺激し、その結果国内企業は国際市場において競争上の優位を獲得し、他方で産業の生産性も向上する可能性がある」 と説いています。
端的に言えば、「厳しい規制措置はイノベーションを刺激する」という考えです。もう伝説になってきた「マスキー法に対するHondaのCVCCエンジン開発」のような、このPorter仮説のサクセスストーリーもあります。Porter仮説を規制のベースにしていることに特に異論はないのですが、問題は具体的にどうやって規制を厳しくしているのかという点です。

CLP規則は有害な物質の情報を統一されたルールに従って表示することを義務付ける典型的なハザードベースの管理です。上述したとおり、リスクベースの規制を建前とするREACH規則でさえ、GRAのようにハザードベースの管理を可能にするようなツールが存在するのが欧州規制の特徴です。
一般にリスクはハザードとばく露の2次元指標で表します。ハザードは物質固有の有害性ですので、それが客観的に正しく評価されていればそれ以上変えようがありません。このハザードに対し、リスクはばく露をコントロールすることで低減することが可能で、これがリスク管理の基本です。このような両者の特徴から一般に、科学的なエビデンスが揃わなくても予防的な措置をとることのできるハザードベースの管理は、一定のばく露であれば許容するリスクベースの管理より厳しい管理策になります。

もし欧州の規制当局が、適切なばく露評価に基づくリスク管理を理念とする欧州規制に対して、単にその規制を厳しいものにしていくという目的で予防的措置を伴うハザードベースの管理を導入しているなら、それは本末転倒と言わざるを得ません。
またそのような管理策は、化学物質管理のトレンドとして長く国際的な枠組みで議論されてきたリスク管理に基づく“国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ”、いわゆるSAICMにもそぐわない措置です。さらに、欧州だけがハザードベースの厳しい管理策を敷くことが、欧州と比べて安全基準が低い国々へのリスクの流出という新たなリスクを生みだしていることも無視できない事実です。規制には健康や環境の保全という目標と、域内での社会経済的な発展という二つの目標があります。その二つの目標のバランスの取れた規制措置は欧州域内だけで機能するのではなく、グローバルに機能し調和していく必要があります。

欧州の規制は、枠組みや制定のプロセスも独特です。REACHやCLPのように欧州域内加盟国の国内法に優先して適用される“規則”(Regulation)、RoHSやELVといった域内加盟国の規制の統一を目的とする“指令”(Directive)、域内の特定の国や企業に対して適用される法律である“決定”(Decision)、法的拘束力や強制力は無いが加盟国内での法令制定・改正などを促すための“勧告”(Recommendation)、特定のテーマについて欧州委員会の見解を示す“意見”(Opinion)といった階層的な構造になっています。2011年以降公開され改定されてきたナノマテリアルやナノ形態の定義は、欧州委員会から勧告として発出されてきました。

また規制の成立と執行の過程も欧州は独特です。まず政策立案と執行権をもつ欧州委員会が法案作成を担います。欧州委員会は法案を欧州閣僚理事会と欧州議会に提案、両者の間で第1読会と呼ばれる協議や修正を経て、再度3者により合意案が示されます。この合意案が再度欧州閣僚理事会と欧州議会の第2読会を経て両者の合意のもとで法律として成立します。このような手続きを経て成立した法律は、欧州委員会により執行されます。多くの国が採用する議会の二院制のような制度はありません。

このような複雑な仕組みのなかで厳しさを訴求しながら策定されてくる欧州規制に対して、欧州と交易をおこなう国々は国際交易を支障なく進めるために欧州規制との調和を図る必要に迫られることになります。この欧州規制への調和対応は、**REACHや**RoHSと呼ばれる様々な国の規制枠組みに反映されています。2016年に故Lautenberg上院議員の功績をたたえたアメリカの化学物質管理法(TSCA)の改定が行われました。このTSCA改定もまた欧州規制枠組みとの調和を意識しています。
従来欧州規制には企業にリスクの挙証責任を求める“No Data, No Market”の原則がありますが、今日この考えは広く受け入れられてきています。欧州の厳しい環境規制はグローバルに影響を与えることを意識し、欧州規制の策定過程で欧州政策枠組みと公正な規制枠組み策定のための対話や議論を行うことは、グローバルな対応でもあるのです。日本の産業界はきちんとその事実に向き合い、そのことを正しく認識し行動していく必要があります。
つづく

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ