医療ガバナンス学会 (2025年8月15日 22:18)
本稿は、2025年7月16日に医療タイムスに掲載された記事を転載しました。
公益財団法人ときわ会常磐病院
乳腺甲状腺センター長・臨床研修センター長
尾崎章彦
2025年8月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
常磐病院乳腺甲状腺センターでは、Advanced Care Planning (ACP/人生会議)を積極的に実施してきました。
ACPは、患者さんが将来の医療やケアについて自らの希望や価値観を明確にし、家族や医療従事者と共有していくプロセスです。近年、医療の高度化や高齢化の進行に伴い、ACPの重要性が強く認識されるようになってきました。
特に、がん患者さんは診断直後から多くの治療選択や生活上の決断を迫られる場面があり、早期からの価値観の共有が、その後の医療方針決定やQOLの維持において非常に重要となります。
2022年度からは診療報酬上でもACPが評価対象となるなど、制度面での後押しも見られます。しかし実際の臨床現場では、ACPの実施率や質にはばらつきがあり、「いつ、どのように始めればよいか」「家族とどこまで話し合えばよいか」など、多くの課題が未解決のまま残されています。
特に日本では、患者さんとご家族の関係性が密接であるがゆえに、本人の意思決定がご家族の意向に左右される場面がしばしば見受けられます。その一方で、「家族にまかせているから安心」「話さなくても理解してくれているはず」といった思い込みのもと、実際には価値観の“ずれ”が存在していても見過ごされていることが少なくありません。
当院では、このような状況も念頭に入れながら、24年からACPが進められてきました。
■「意思決定支援委員会」による体制整備へ
当院には、もともと看護部主導の「緩和ケアチーム会」がありました。しかし、ACPの対応には限界がありました。さらに、医療者間でACPに対する認識に差があり、加えて緩和ケア専門医や精神科医も不在という課題がありました。
こうした状況を踏まえ、24年に多職種で構成される「意思決定支援委員会」を立ち上げました。院外の緩和ケア専門家などの助言も得て、現場で使いやすい質問紙を作成し、医療者間でACPに対する共通認識が持てるよう、体制を整備しました。
ACPという言葉への抵抗感を和らげるため、質問紙の冒頭では「自分にとって大切なことを考えるためのもの」という説明文を添えました。質問紙は全て外来中に医師が配布しました。
主な質問は3つで、1つ目は「あなたの大切にしたいことはどのようなことですか?」、2つ目は「もしもあなたが病気で重篤になり生きられる時間が限られているとしたら、どのような医療をどこで受けたいですか?」、3つ目は「もしもあなたが病気で重篤になり自分の気持ちや考えを伝えられなくなったとき、あなたの思いを代わりに伝えてくれる人がいれば教えてください」です。
3つ目の質問で代理意思決定者(家族)の指定がある場合には、後日、同様の質問紙をご家族にも記入してもらいました。
実際に質問紙を完成させ、配布を始めた際には、このような取り組みに対し患者さんサイドから前向きな声をいただいた一方、否定的な反応も少なくありませんでした。例えば、「家族で考えるよいきっかけになった」という声がある一方で、「治療が順調な今、なぜそんな話をしないといけないのか」といった反応もありました。
そのため、患者さんやご家族への声かけの際には、できる限り丁寧で慎重な説明を心がけ、安心して回答いただけるよう配慮して実施してきました。
■患者と家族の意識の“ずれ”が明確に
こうして24年8月から25年5月にかけて、当院の乳腺・甲状腺センター外来を受診した20歳以上の乳がん患者470人と、その家族324人を対象に、ACPに関する自記式質問紙調査が実施されました。
特筆すべき結果として、「痛みを和らげることと意識を保つことの優先度」「延命治療の希望」「家族への医療決定の委ね方」などの重要なACP項目において、患者さんとご家族の間に有意な差が見られました。
特に、患者さんが「意識を保ちたい」と考えていたにもかかわらず、ご家族は「痛みを取り除くことを優先すべき」と判断していたケースや、延命治療を拒否していた患者さんに対し、ご家族が「少しでも長く生きてほしい」と希望していたケースなど、両者の意向の“ずれ”が明確に可視化されました。
加えて、代理意思決定者として誰を選んだかによっても一致度に差があり、配偶者よりも子を選んだ場合のほうが整合性が高い傾向が見られました。この理由として、配偶者に比べて子のほうが、価値観の共有がすでにある程度なされており、大きな齟齬なく意思決定が進められる関係性が出来ているのではないかと考えられます。
これまで国内でもACPに関する質的研究やケーススタディは蓄積されつつありますが、患者と家族の“ずれ”を具体的に可視化・定量化した研究は極めて限られ、私たちの取り組みは、学術的にも臨床的にも新規性の高い試みであると自負しています。
また、これまでの結果は、ACPを単なる「話し合い」ではなく、「価値観の擦り合わせ」として丁寧に進める必要性を示唆しています。本研究の成果は、ACPの実践において、患者さんとご家族の潜在的な“ずれ”に気づき、それを踏まえた意思決定支援を行うことの重要性を明らかにするものであり、実臨床への示唆も大きいと考えています。
■「生き方」に焦点を当てた見直しも必要
改善点として、今回の質問紙では「死」を想起させる設問が多く、負担を感じる人もいらっしゃいました。そこで今後は趣味や人生の目標など「生き方」に寄せた表現への見直しを検討します。
また、回答後のフォローが未整備のため、患者さんとご家族の回答に大きな“ずれ”がある場合や代理意思決定者が未定の際には、医療者側から積極的に声をかける必要があります。継続的にACPを進めるには、「化学療法開始前」「治療評価時」など既存の診療プロセスに組み込むマニュアルとフローの整備が不可欠です。
今後も改善を重ね、人生の最終章に寄り添うACPを実現・実践し、患者さんに還元できるよう努力していく所存です。