医療ガバナンス学会 (2025年8月18日 08:00)
谷本哲也
2025年8月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
そのような中、私と同世代で1971年生まれの豊島圭介監督によるドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』は、単なる歴史資料を超えた、信念・対話・そして「相互主観的現実(intersubjective reality)」の脆さを問う重要な作品として、いま改めて注目すべき価値を持つだろう。
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2020年の劇場公開当時は見逃してしまったが、私は先日偶然ネット配信でこの作品に出会った。それでも、三島の生誕100年、すなわち昭和100年という節目の2025年に本作を観ることが出来たのは示唆に富む発見だった。一筋縄ではいかない複雑さを持つカリスマ、だが、時には意外なほどの優しさや包容力を見せるという三島の側面が丁寧に掘り起こされ、あの「市ヶ谷の割腹自殺」のイメージとは異なる人物像が立ち上がってくる。そして何よりもこの映画は、日本の未来をめぐり複数の価値観が激突した1969年の一日をとらえ、相互主観的現実がいかに脆く崩壊し得るかを鮮やかに映し出している。
「相互主観的現実」という人間の創造物
この作品の真の意義を理解するには、歴史家ユヴァル・ノア・ハラリが一連の著作で紹介している三層構造の「現実」概念を押さえておく必要がある。第一の「客観的現実(objective reality)」は、重力、DNA、放射線など人間の意識とは無関係に存在するものだ。第二の「主観的現実(subjective reality)」は、個人の内面にのみ存在する感情や欲望だ。
そしてその中間にあるのが「相互主観的現実(intersubjective reality)」だ。これは複数の人々が同じ物語や信念を共有することによってのみ成立する。たとえば、お金に価値があるのは皆がそう信じているからであり、国家や宗教、国境や民主主義といった制度、さらに言えば言葉そのものもまた、虚構・共同幻想に過ぎないが、皆が共同で現実のものとして認識し、それに沿った行動規範を取るからこそ成り立っている。
ハラリが指摘するように、人類の繁栄はこの相互主観的現実を創造・維持する能力にこそ支えられている。子育てをすると実感するが、ごっこ遊びのように、虚構を現実のものとして受け入れ、振る舞うことが出来るのは人類の生得的能力なのだ。だが同時に、それは極めて壊れやすいものでもある。共有された物語が信じられなくなったとき、社会は崩壊し、革命が起こり、新たな神話が必要となる。三島の最期の行動は、まさにそうした神話の創造を目指した試みだったのかもしれない。
1969年の真実──言葉はまだ通じるのか?
映画の中核をなすのは、1969年5月13日に東京大学駒場キャンパスで行われた、三島由紀夫と全学共闘会議(全共闘)の約1000人の学生たちによる2時間半に及ぶ討論のアーカイヴ映像だ。作中では、その中の約45分が丁寧に編集され、当時の参加者の証言や平野啓一郎、瀬戸内寂聴といった著名文化人らのコメントと組み合わされている。ここで描かれるのは、まさに日本の異なる相互主観的現実がぶつかり合った臨界点の瞬間だ。
画面に映る三島を観ると、軍服のように誂えた楯の会の制服を身に纏う一般に流布しているイメージとは異なり、柔らかくユーモアを交えて語る知性の持ち主であることがよく分かる。煙草をくゆらせながら、ときに演劇的に、ときに詩的に言葉を紡ぐその姿は、文学者というより知的交歓のサロンの場を統べる主役のようだ。
そして、冒頭の彼の言葉はすべてを象徴する。言葉の有効性を確かめに来たと三島は述べる。この発言は、ただのレトリックではない。言葉による対話がいまだ有効な手段たり得るのか、つまり、相互主観的現実が維持できるのかを問い直す、根源的な疑念の表明であり、まさに彼が生涯にわたり抱え続けたテーマだった。
戦後から高度成長期にかけての混乱と断絶
この討論の意義をさらに深く理解するには、私自身も生まれる前の1960年代末に、日本が置かれていた歴史的背景を押さえる必要がある。1969年、日本は高度経済成長の絶頂にありながら、戦後最大級の社会的動揺の最中にあった。同年初頭に勃発した東大安田講堂事件をはじめとする学生運動は、日米安全保障条約の再締結やベトナム戦争(1965-1975)への怒りと連動し、大学という知的空間そのものを揺るがしていた。
だが、学生たちは既に敗北を経験していた。全共闘運動は警察や大学当局によって鎮圧され、内部では派閥争いや理論的混乱が深刻化していた。マルクス主義という外来思想もまた、日本の文化的土壌に根ざした相互主観的現実たり得なかったのである。
三島はその真逆に位置していた。戦後の民主主義や平和主義に懐疑的だった彼は、「大和魂」や「天皇への忠誠」といった戦前的な価値観を美学として掲げていた。しかし、それは懐古趣味ではなく、戦後の意識をまとった新しい神話の提案でもあった。この討論会は、新世代の全共闘運動に関わるエリート学生と、旧世代のノーベル賞候補とも言われた大御所との間で、相反する世界観が議論された極めて貴重な邂逅だったのだ。
芥正彦との討論と新旧の断層
なかでも象徴的だったのが、全共闘きっての論客・芥正彦との対決だ。芥は当時、生まれたばかりの娘を抱きながら壇上で三島に迫る。その光景は、まさに未来と過去が対峙する瞬間であり、新旧の価値観の断層を象徴していた。
芥の議論スタイルは、現代のディベート型の論破王を彷彿とさせ、三島の文学的・観念的な表現を徹底的に現実の土俵に引きずり下ろす。彼の視線は鋭く、三島のパフォーマンスをある意味で見抜いていた。論戦中、三島の表情に一瞬だけ戸惑いの色が苦笑いとともに浮かぶ場面もある。完璧に演出された仮面の下に、人間としての脆さがのぞく。その刹那こそが、このドキュメンタリーの白眉であり、三島の敗北の瞬間だったのかもしれない。
映画を見て感銘を受けたのは、三島が学生たちに対して深い敬愛とも取れる対応を見せていたことだ。思想は相容れなくとも、「諸君の熱情だけは信じる」と本気で生きていることへの敬意を示し、これからの日本社会を背負うであろう若きエリートたちに自分の思いを伝えたいという愛情さえ感じさせる。それこそが彼にとっての誠であり、行動と信念の一致こそが真の価値だった。
学生たちは三島を言葉の人として批判した。なぜ本当に信じるなら行動に移さないのか。それは彼の作家としてのアイデンティティに対する根源的な問いだった。そして三島自身、その問いに揺らいでいた。三島の中で構築されていた美と行動の一致という物語が、学生たちによって突き崩されつつあったのだ。
言葉の限界と三島の自決
討論において、誰かが勝利したわけではない。学生たちは三島を変えられず、三島も学生を説得できなかった。むしろ、両者が言葉の限界を悟ったようにも見える。おそらく三島が最も打ちのめされたのは、理解されないことそのものだったのだろう。文学者としての彼は、言葉の力を信じていた。しかし、この討論ののち、彼は言葉では伝えられないという絶望に至ったのではないか。
さらに、三島の思想と行動には、戦後を生き延びてしまったことへの「生存者の罪悪感(survivor’s guilt)」が影を落としていることにも注目が必要だ。特攻隊の死や国家の敗北に対する内的葛藤は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に見られる罪悪感、自己否定の感情にも通じ、彼の文学と最期の選択に深く結び付いていた可能性がある。討論会の1年後、三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を決行したことは、衝動ではなく、用意周到に準備された行動だったろう。彼は、言葉ではなく行動で、もう一度、相互主観的現実を創造しようとしたのだ。だがそれは、あまりにも孤独な試みだった。
三島と学生との対話が投げかけるメッセージ
この映画が現代に投げかける最大のメッセージは、異なる立場で結局分かり合えなかったとしても、現実で対話する場を持つことの意義だ。いま、私たちはSNSによって分断された社会に生きている。アルゴリズムによって強化された偏見や敵意の中で、仮想のネット空間の中に浮遊し、異なる意見に耳を傾けることすら困難になっている。そんな今だからこそ、あの1969年の討論が放つ光は貴重だ。
三島も学生も、激しい思想対立を抱えながら、東大駒場キャンパスの900番教室というリアルな現場に密集し、真摯に向き合い激論を交わした。そこには、いま私たちが失いつつある誠実な不一致があった。三島の自決は、最終的には対話の放棄とも取れるが、同時にそれを取り戻したいという渇望の表明でもあったのかもしれない。彼が討論会で見せた知的誠実さは、私たちが再び相互主観的現実、言い換えれば、新たな物語を築くためのヒントを与えてくれるだろう。
言葉を信じられなくなったとき、三島は剣を選び、神話となった。その代償は、人間としての消滅だった。だが本作は、その失われた三島の人間像を丁寧に救い上げ蘇らせる。複雑で矛盾を抱えながらも、他者に耳を傾け、誠実に言葉を尽くす姿。そこにこそ、私たちがいま必要とする対話の原型がある。分断が進み、剣がふたたび求められる時代だからこそ、この作品は問いかける。「言葉を信じることができるのか」と。