医療ガバナンス学会 (2025年8月29日 08:00)
この原稿はAERA DIGITA(2025年6月25日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/articles/-/259346
内科医
山本佳奈
2025年8月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
実は私は、目的地へ向かう飛行機の中で、ほんの三口のビールを飲んだだけで、突然、意識を失ってしまったことがあります。体質的にアルコールに弱いことは自覚していたものの、その日は「少しなら大丈夫」と油断してしまったのです。
普段、私はアルコールをほとんど口にしません。機会飲酒といっても、年に数回、ほんの数口。それ以上飲むと、顔が真っ赤になり、ひどい頭痛に襲われる体質なのです。だから、いつもなら飲み物を聞かれても、迷わず「水で」と答えています。
けれども、その日は違いました。日本からアメリカへの帰路、成田発サンディエゴ行きの国際線に乗り込んでいました。隣席の女性が、グラスに注がれたビールを美味しそうに飲んでいるのを見て、ふと、「私も飲みたい」と思ってしまったのです。たぶん、ここまでの疲労や緊張が、判断力を鈍らせていたのかもしれません。
「少しだけなら……」。そう思って受け取った小さな缶ビール。飲んだのは、わずか三口でした。
それからほどなくして、機内で配られた機内食を半分食べ終え、トイレで歯を磨いていたときのこと。ふと、ふらつきを感じ、「早く座らなきゃ」と通路を戻り始めたその瞬間、視界がくるくると回り出し、すっと意識が遠のいていきました。
気がつくと、機内後方のギャレーの床に倒れていました。倒れ方が幸いし大事には至りませんでしたが、肩や腕を強打し、立ち上がれないほどのめまいと吐き気に襲われました。
何度も飛行機に乗ったことのある私が、機内で突然失神するなど、まったく想定外の事態でした。しかし、後から冷静に振り返ると、その背景には「飛行機」という特殊な環境があると気づきました。
機内は、気圧が地上より低く、標高にしておよそ2000m相当の環境に設定されています。酸素分圧は通常より20%ほど下がり、血中の酸素飽和度も92~93%程度と軽度の低酸素状態になります。つまり、私たちの身体は見た目以上に「がんばっている」状態なのです。
そこにアルコールが加わるとどうなるか。血管拡張、脱水傾向、そして酔いの回りが早くなります。たとえ少量であっても、地上とは比べものにならない影響が出ることがあるのです。
最近の研究(Trammer et al., 2024, Thorax)では、飛行機と同程度の低気圧環境下(標高約2400m相当)で飲酒した若年健康者において、睡眠中の血中酸素飽和度(SpO₂)が平均85%台まで低下し、心拍数が上昇、深い睡眠(ノンレム睡眠第3期)やレム睡眠が著しく減少したことが報告されています。
当初は旅の疲れや寝不足のせいかと思っていましたが、私のようにふだんアルコールに弱い体質の人間が、時差や疲労を抱え、酸素濃度の低い機内で飲酒すること自体が、身体にとっては思った以上に大きな負荷だったのです。それが「たった三口」であっても。
旅先では、非日常感やワクワク感から、いつもと違う選択をしてしまいがちです。周囲の雰囲気に流されたり、少しの解放感から普段はしないことをしてしまったり。でも、そんな些細な選択が、自分の体にとっては“引き金”になることがある。自分の体質を十分知っていながら「少しなら大丈夫」と思ってしまったのは、やはり甘かったのだと痛感しました。
この経験を通して、私はその後、飛行機では一切のアルコールを控えています。機内では、水分補給をこまめに行い、体を休めることを最優先する――それが、自分の命を守るために必要な小さな決断だと思っています。
大切な旅を安心して楽しむためにも、自分の体に正直になること。それが何よりの「旅支度」なのかもしれません。
【参考文献】
Trammer et al. (2024). Effects of moderate alcohol consumption and hypobaric hypoxia: implications for passengers’ sleep, oxygen saturation and heart rate on long‑haul flights. Thorax