医療ガバナンス学会 (2025年9月9日 08:00)
医療ガバナンス研究所 研究員
ノースカロライナ大学チャペルヒル校 公衆衛生大学院 生物統計学専攻
原 明美
2025年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私が医療ガバナンス研究所でのインターンを希望した理由は、2025年から米国留学を目指していたからだ。私は、以前から、全米でもトップクラスであるノースカロライナ大学(UNC)の生物統計学修士課程の進学を希望しており、その準備としてどうしても医学分野での研究経験を積みたいと考えていた。
学部では、私は数学を専門としていた。一方、医学のバックグラウンドはなく、日本で直接臨床データ解析に携わるのは極めて困難だと感じていた。そもそも臨床現場がデータ解析者を求めているかどうかの情報を得る術が乏しく、仮に機会があったとしても、専門外の私がどうすれば信頼を得られるのか見当もつかなかったのだ。
実際、その懸念を胸に東京理科大学データサイエンスセンターの先生に相談したときにも、「かなり厳しいだろう」と前置きされた。ただ、先生は続けてこのような助言をくれた。「神奈川県立がんセンターにいた、医療ガバナンス研究所の瀧田盛仁先生は私の友人です。彼なら、君のような情熱を持つ学生に道を開いてくれるかもしれない」。たとえ厳しい道であっても、この道を進みたいと心から思っていた私にとって、その言葉は一筋の光だった。私は迷わず、その挑戦を選ぶことにしたのだ。
医療ガバナンス研究所を訪問した当日、私は極度に緊張していた。もともと、母からは「よく見てから判断しなさい」と言われて育ってきた。加えて、新型コロナの影響で人と接する機会が減っていたこともあり、考えを言葉にすることが苦手になっていた。そのため、最初は自分の考えを胸にしまい込み、周囲に伝えることがほとんどできなかったのだ。
そんな中で支えになってくれたのが、医療ガバナンス研究所のスタッフであり、同じ上海出身の梁さんと朱さんだった。彼女達は私の研究の進捗を気にかけ、論文が掲載されるとすぐにメッセンジャーで「おめでとう」とメッセージを送ってくれた。時には「次はこういう方向に進んだ方がいいのでは」「このタイミングで準備しておいた方がいい」と具体的に助言してくれることもあった。
二人の存在は、孤独を感じがちな私にとって大きな支えであり、安心感を与えてくれた。やがて私は徐々に環境に馴染み、自分の意見を口にするようになった。ある日、上昌広先生から「君は最初に来たときと随分違うね」と声をかけていただいた。その言葉は、私にとって忘れられないものである。
・信頼を築く日々
上先生に紹介していただいた尾崎章彦先生は、福島県いわき市にあるときわ会常磐病院で長く勤務されている乳腺外科医であり、私にとって雲の上の存在だった。その尾崎先生から最初に与えられた課題は、「災害意識」と「LGBTQと乳がん検診の関連性」に関する研究であった。私はこれまで論文を書いた経験はあったが、査読を意識した本格的な学術論文執筆は初めてで、何度も修正を求められるたびに「やはり東大出身の先生方は厳しい」と痛感した。しかし同時に、修正を重ねるごとに論文が磨かれていくことに大きな喜びを覚えた。
その姿勢を評価していただいたのか、私は尾崎先生の研究グループに加わることになった。そこでは大阪大学の村上道夫先生、筑波大学の堀大介先生といった先生方から、厳しくも的確なフィードバックを受けることができた。初めは自分の力不足を痛感し、会議で言葉を失うこともあった。しかし、議論を重ね、少しずつ成果を示す中で「信頼」を築いていく感覚を味わった。研究の世界では、最初から評価されることはない。小さな積み重ねがやがて信頼につながり、その信頼がさらに新しいチャンスを生むのだと身をもって学んだ。
尾崎先生の紹介で出会ったイギリスノッティンガムの小寺康博教授からは、因子分析やSEMモデルといった心理学統計の手法の使用を依頼された。東京理科大学で学んだ理論はあくまで抽象的なものであったが、実際の研究の中でモデルを当てはめ、比較し、検証する過程は刺激的で、夜遅くまで作業を続けることも多かった。努力が徐々に形になり、研究グループの中でも役割を任されるようになるにつれ、私は「信頼を得るとはこういうことなのだ」と実感するようになった。
・広がる世界とこれから
一年の間に、私は41本の論文執筆や解析に携わり、そのうち12本がすでに掲載された。41本のうち20本は第一著者として、掲載論文のうち7本も第一著者論文であり、さらに2本は第二著者として名を連ねた。残りの論文も現在投稿中や査読中であり、研究の執筆は今も続いている。数字にすれば華やかに見えるかもしれないが、その背後には不安と試行錯誤を繰り返しながら、一歩一歩信頼を積み上げてきた日々がある。
その過程で、私は三つのフィールドに身を置くことになった。福島県立医科大学・甲状腺内分泌講座では研究員として基礎と臨床をつなぐ研究を行い、常磐病院臨床研究センターではインターンとして臨床現場に立ち、実際の医師や患者に近い形でデータ解析を学んだ。さらに神奈川県立がんセンターでは研究生として、がん医療の最前線で新しい課題に挑戦した。これらの機会はすべて上研を通じていただいたものであり、私にとって研究者としての視野を大きく広げる経験となった。周囲には医学部出身の同僚が多く、その知識や経験には日々圧倒された。
しかし共に活動する中で気づいたのは、医師だからといって特別に距離のある存在ではなく、ただひたむきに患者や研究に向き合う人々だということだった。その姿に触れるたびに深い尊敬を抱くと同時に、「この世界で信頼を築くには、肩書きや言葉ではなく、自分自身の成果と能力で示すしかない」と強く感じるようになった。融け込むことは決して容易ではなかったが、梁さんや朱さん、そして多くの仲間の支えを受けながら、私は少しずつ確かな足場を築いていった。
2025年8月にUNCへ渡ってからも、研究の歩みは止まっていない。非鉄欠乏性貧血の特徴に関する研究、LGBTQと前立腺がん検診の関連を探るプロジェクト、さらには尾崎先生と共著した統計論文コンペ向けの原稿など、複数のテーマを並行して進めている。授業や課題に追われる日々の中でも、時間を見つけてはパソコンを開き、研究に没頭してしまう自分がいる。研究はもはや義務ではなく、生活の一部であり、私を支える大切な軸になっているのだ。
さらにUNCでは幸いにもRA(Research Assistant)の職を得て、TBSS(Tract-Based Spatial Statistics)を用いた脳神経画像解析の研究に取り組んでいる。脳白質の構造を統計的に解析し、その変化を捉えようとするこの分野は、生物統計と神経科学を結ぶ最先端の領域である。こうした新たな研究に挑戦できているのも、上研で積み重ねてきた経験と信頼があったからだと実感している。
最後に、この一年を導いてくださった上先生、厳しくも温かく指導してくださった尾崎先生、瀧田先生、村上先生、小寺先生、坪倉先生、竹内先生、そして常に寄り添ってくれた西村さん、堀米さん、梁さん、朱さん、仲間たちに心から感謝を伝えたい。上研で過ごした時間は、私にとって「不安から信頼、そして自信へ」と変わるかけがえのない一年だった。