医療ガバナンス学会 (2025年9月26日 08:00)
この原稿はAERA DIGITA(2025年9月15日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/articles/-/264791?page=1
ナビタスクリニック小児科
小林茉保
2025年9月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
しかし現在、たとえば電車の中で、ランドセルを背負った小学生の女の子たちがスマートフォンを覗き込みながら、「このファンデーション、毛穴が消えるらしいよ」などと話している場面を目にすることも珍しくありません。スマホの画面越しに流れる動画を目を輝かせて見つめる様子は、それがどれだけ魅力的かを物語っているようです。色とりどりのパッケージ、なめらかに広がるクリーム、きらめくハイライト。そのすべてが「自分もこうなれるかもしれない」という期待を抱かせます。
情報が瞬時に手に入る時代に生きる子どもたちにとって、スキンケアやメイクはもはや“年長者から教わって始めるもの”ではなく、自ら興味を持ち、自ら学び、実践する対象へと変わってきています。
筆者の12歳の娘も例外ではなく、スキンケア用品やコスメの知識は、今や筆者よりもはるかに豊富です。最近は、ブランドや最新の成分について、逆に彼女から教えてもらうほどです。「お母さん、こっちの日焼け止めは美白成分が豊富だけど、日焼け止めの効果としてはこっちのほうが高いんだって」と、得意げに語るその横顔には、自分で得た知識を人に伝える喜びがあふれていました。新しい製品について教えてくれることもあり、その知識量にはしばしば驚かされます。
周囲の“ママ友”たちも、「子どもに勧められた化粧品を使ってみたら、本当に良かった」なんて笑いながら話しますが、その裏には「その情報はどこから仕入れているのか?」「子どもが使って大丈夫な成分なのか?」と、親ならではの不安が見え隠れしています。
先日、米国Pediatrics誌に、シカゴにあるNorthwestern Universityが行った興味深い研究が掲載されました。近年TikTokをはじめとするSNSにおいて、幼い子どもたちが数々のスキンケア用品を使う動画が流行しています。この研究は、それらの動画の内容を明らかにして、子どもに本当に必要なスキンケアなのか、そして心理社会的なリスクはないのか、ということを評価し、子どもたちに適切な情報提供をすることを目的に行われました。
調査員はまず、13歳になりすまして新たにTikTokのアカウントを作成し、アルゴリズムによって「おすすめ」で上がってくる動画の情報を収集しました。そして、最終的に集められた100本の動画について分析を行ったところ、懸念すべき事実が次々と浮かび上がりました。
動画クリエイターの年齢は7歳から18歳におよび、31%が13歳以下という驚くべき結果であると同時に、各動画の平均視聴回数は110万回ほどで、若年層からの強い関心がうかがえました。動画内で紹介されるスキンケアルーチンでは、平均6個(2-14個)の製品が使用され、総額で平均168ドル(20-621ドル)にも上りました。これは日本円で約24,700円程度であり、物価の違いはあるものの、小・中学生が簡単に手を出せる金額ではないでしょう。
さらに非常に懸念されるのが、製品に含まれる成分についてです。最も視聴回数の多かった上位25本の動画に登場する製品では、平均11個(最大で21個)もの有効成分が含まれていました。たとえばAHA(アルファヒドロキシ酸;クエン酸、グリコール酸、乳酸など)はスキンケア用品でよくみられる有効成分であり、角質除去や美白効果が期待されます。
一方で皮膚への刺激や光線過敏症のリスクを高める可能性が指摘されており、肌の弱い人や、大人よりも肌がデリケートな子どもは充分な注意が必要です。米国食品医薬品局(FDA;Food and Drug Administration)はAHA等を使用する際には日焼け止めを同時に使うように推奨していますが、この研究では日焼け止めを使用していた動画はわずか26.2%にとどまりました。
また、製品に含まれる成分を分析したところ、主にアメリカで使用されている小児用ベースラインシリーズ(Pediatric Baseline Series;子どもたちに接触性のアレルギーを引き起こしやすい38のアレルゲンを特定するためのパッチテスト用試薬セット)に含まれる、20種類もの接触アレルゲンが特定されました。そのうち最も頻繁に使用されていたのは香料であり、製品全体の50%以上に添加されていました。これは、早期にアレルゲンに過剰に暴露されることによりアレルギー発症のリスクを高める可能性があるといえます。
子どものスキンケアについては米国小児科学会(AAP;American Academy of Pediatrics)や英国皮膚科学会(BAD;British Association of Dermatologists)が、「シンプルケア」「低刺激性製品」「保湿と紫外線対策の重要性」について提言しており、今回の研究で見受けられた子どもたちの最近のスキンケアは、まさにこの逆をいっていることになります。以上の結果から、TikTokで紹介されている小児向けスキンケア動画は、若年層の消費行動に影響を与え、不必要な製品の使用を促し、皮膚の健康を損なうリスクがあると述べられています。
同時に、本研究ではこれらの動画が心理的なリスクも孕んでいることが指摘されています。動画に登場する子どもたちは、色白でつやのある「非の打ち所のない肌」をしていることが多く、そこに映し出される“美しさ”の基準は、どこか一面的で、現実とは少しかけ離れているようです。そうした映像が繰り返し目に触れることで、「もっと明るく、もっと白く、もっときれいに」といった価値観が子どもたちの中に根づいていくことには、大人として心配を感じずにはいられません。
さらに、高額な商品を紹介することで、経済的な格差を認識させる可能性も示唆されました。この論文は、保護者や医療従事者は、SNSを通じて拡散されるスキンケア用品に対して批判的な視点をもち、子どもたちが安全なスキンケア習慣を身につけられるよう指導する必要があると結論づけています。
この夏、娘は欧州で開催された音楽アカデミーに参加しました。参加していたのは、さまざまな国から集まった、音楽に真剣に取り組む同世代の子どもたちです。連日、集中レッスンやコンクールが続くなか、合間の休憩時間には、スマートフォンを囲んでYouTubeショートやTikTokの動画を一緒に眺める姿が見られました。中には、スキンケアやメイクに関する動画をきっかけに、言葉の壁を越えて笑い合ったり、ちょっとした情報交換が始まったりする場面もありました。それは音楽という共通の目標に向かって全力を注ぐ日々の中で、ごく短い息抜きのひとときに交わされた、ささやかだけれど印象深い交流でした。
そのとき、娘がふと口にした言葉が、今も心に残っています。
「“子どものうちはそのままが一番かわいい”って言われても、私達には響かないよ。みんな、もっときれいになりたいし、かわいくなりたいって思っているんだよ」
軽く受け流すには、あまりに重みのある言葉でした。