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Vol.25180 現場からの医療改革推進協議会第二十回シンポジウム 抄録から(2)

医療ガバナンス学会 (2025年10月2日 08:00)


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2025年10月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

現場からの医療改革推進協議会第二十回シンポジウム

11月1日(土)

【Session 01】 20年の振り返り 13:15 – 14:10 (司会:上昌広)

●小野俊介  東京大学大学院薬学系研究科准教授

医薬品行政の定点観測20年-兵(つわもの)どもが夢の跡-

日本の医薬品行政の流れは、何十年経っても変わらない。FDAのような組織をつくり、米国と同様の制度をつくる、というただそれだけのこと。お釈迦様(米国)の掌の上の孫悟空に許される程度の好き放題(抜け駆けというタダ乗りfree riding)はずっとしてきたが、最近のお釈迦様は「お前らが好き放題するのなら、私も好き放題してやる!」と明らかに錯乱しており、ちょっと困ったことになっている。

このシンポでは私も好き放題に私見を申し述べてきた。が、頑固な性格が災いして、どう努力しても、権力を持った人・エラい人・お金を持った人におもねった意見を吐くことができないのである。お追従・おべっかの一つも言えぬ自分が情けない。シンポ主催者の期待に背き続けた20年間で申し訳なく思う。

シンポでは様々な専門家のご高説を拝聴する機会に恵まれたが、そうしたセンセ―方の多くは既にシンポをご卒業されていることにふと気づいた。医療現場の最前線、利害と欲望が渦巻くテーマを取扱う過酷なシンポなので、戦線を離脱したくなる気持ちはよく分かる。特にアカデミアの方々の離脱の仕方は洗練されている。この手の「泥沼(quagmire)前線」に延々ととどまるか、あるいは、「氏素性の良い学術、学会・組織での出世、産業界との連携、政府審議会の委員、再就職、そして叙勲」という輝かしい本線を選ぶか。問うまでもないし、問うてはいけない。

もう一つ、日本には素晴らしい卒業促進ツールがある。定年という肩たたき。肩で風切る大センセーも問答無用で組織から追い出される。大センセーの「私も来年で定年だから……」という無念の表情は、特攻を「自発的に」志願させられた少年飛行兵のそれを連想させ、なんか怖い。むろん私自身もそのうちそうやって追い出されるのだから、ここ数年やる気なんぞ一ミリも出ない。

20年にわたり、役には立たぬ愚痴をこぼす機会を寛容に与えてくださった「現場からの医療改革推進協議会」と、よくもまぁこれほど頑固に「おエラいさんにはおもねらない(本当はおもねりたくて仕方ないのだけど)」を通してきた自分に、乾杯したい。
●大澤幸生  東京大学大学院工学系研究科教授、帝京大学客員教授

現場シンポ抄録集から探る「チャンス発見」

「現場からの医療改革推進協議会」の19回分の抄録集(2006~2024年)を頂いた。KeyGraphで可視化すると、「医療」「大学」「病院」「研究」などの語は毎回分布しているが、「患者」のように、年によっては現れない語もある。だが、現場の医療者は真摯に患者に向き合っており、患者が欠けるのは置き去りなのではなく、むしろ患者を大前提とした多様なステークホルダー間の議論を示すものだ。

ただし混沌とした環境で多様な命を守るには、客観的事実=データに基づく説得力あるシナリオ提示が必須である。データ由来のシナリオは、生成AI時代に強力な武器となり、パンデミックなど非常時には意識を患者リスクに立ち戻らせる力を持つ。この論点と密接に関連するのが私の提唱する「データ兵站学」である。

これは社会が非常時を生き抜くため、平穏期から必要なデータを適切に引き出せる仕組みを科学的に開発する学問である。例えば私の研究室は2024年、スマホGPSデータ(Agoop社提供)から地域の移動方向のばらつきを算出し、COVID-19拡大速度と強い相関を示すことを発表した。平時の移動データから「もし今ウィルスが侵入したら」というリスクを推定できるのである。だが国の研究プロジェクトですら、用いたデータの継続利用を保証する仕組みは乏しい。

個人情報やコストなど障壁は多いが、それ故に国がデータを買い上げ蓄積し、平時から信頼できる研究者に提供する体制が必要だ。それこそが押し寄せる危機から国を守る防衛力であり、本シンポジウムでこそ提案したい。

●平川知秀  株式会社en-gine代表、エンジニア

「皿を洗い、ゴミを捨てる」ということ。
僕が学生上がりで右も左もわからず人生に彷徨っていた時、なんのスキルも取り柄もない自分を上研が雇い入れて下さった。あまりにも人生の方向性が定まらず就職もしなかった僕を、学生時代からのよしみで心配して拾ってくださったのだ。

ド文系だった僕の社会人としての最初の肩書きは、「東京大学医科学研究所研究補助員」。何度「ただの下働きだよ」と説明しても、「ほんなこて肩書きがエエ!」と言いながら、僕の祖母は大層喜んでくれた。なんとなく孝行できた気がした。
初めての仕事の場となった上研でまず教わったのは、「一番下の人間はまず挨拶をし、ゴミを捨て、皿を洗え」という教えだった。実はこれはとても何気ないようでいて、その後の人生全てに透徹する教えとなった。
「コミュニティに認められるには何をしなければいけないのか」。これを社会人になりたての人間に、そのいろはからちゃんと教えてくれる場なんて、そうあるものじゃない。実際それ以降、なかった。

上研は当時から一流の先生たちやビジネスマン、学生たちが行き交い、思い思いに研究や活動を行い、たまに寝泊まりする不思議な場だった。その後は絶対に出会えないような立場の人たちとそこで出会い、交流させていただいたことは、これ以上ない財産となった。

場を作り、保ち続ける。そればかりか誰でも広く受け入れ、育てる。もっと大人になってから、上研のそれがいかに稀有なことだったか、思い知る。
僕がここを巣立って20年。ここには変わらず上先生がいて、優秀な志ある研究者と学生たちがいる。僕が福岡をメインに移してから、東京に戻った時も、また結婚した時も、「平川!よかったな!」と笑顔でいつも迎え入れてくれた。

上研に来るたびに時間がピン留めされているように感じる。僕の人生のいろんな折々のタイムラインへ、ここに来ると戻れる気がしている。
そんな魅力的な場とそれを作り上げる、広い心を持った上先生を尊敬している。
●加藤華  医療ガバナンス研究所 元インターン

医師はどのように育てられるのか:韓国の教育事情と医療倫理

大学4年の秋、私は医療ガバナンス研究所のインターンシップに参加し、上昌広医師や坪倉正治医師をはじめとする多くの先生方、そして職員の方々から貴重なご指導を賜った。卒業を目前に控え進路に迷いを抱えていた私にとって、現場での視察や先生方との対話は自身の将来を見つめ直す大きな契機となった。最終的に私は医師を志す道ではなく、結婚という道を選択をしたが、今日に至るまでその決断が最善であったと確信している。

韓国社会における教育熱の高さは広く知られている。とりわけソウル大学・高麗大学・延世大学の三大大学“SKY”、さらには医学部への進学は、多くの家庭にとって最大の目標とされている。競争は幼稚園以前から始まる。名門学習塾への入塾試験は「7歳児入試」と呼ばれ、そのための予備塾が乱立している。自国語の理解も未熟な4〜5歳の子どもが高校レベルの問題の暗記を強いられている現状は、決して正常とは言い難い。このような過熱した私教育は、単なる学力の向上だけでなく親の経済力や社会的マウンティングの手段でもある。

被害者は子どもたちである。最も競争が熾烈とされるソウル・カンナム区デチドンでは、小学校低学年の子どもたちが毎日のように何杯ものコーヒーやエナジードリンクを飲みながら、朝から晩まで塾通いを続けている。親たちは、わが子が勉強以外のことに関心を持たぬよう生活の隅々にまで介入し、あらゆる障壁を先回りして取り除いてしまう。 それほどまでの努力を重ねても、最終的にSKYや医学部に進学できるのは、ほんの一握りに過ぎない。

このような環境で育った若者が医師となったとき、果たしてどのような価値観や倫理観を持ち得るのか。韓国における教育の過熱は医療現場にまで影響を及ぼし、そのゆがみは国の医療制度全体に陰を落としている。これは単なる医療政策上の課題にとどまらず、教育観・家庭観・経済格差といった社会全体の構造的問題と複雑に絡み合った、多層的かつ根源的な課題である。
●古麗妃熱・吐爾遜  福島県立医科大学放射線健康管理学講座講座等研究員

新疆から日本へ、ある予防医学研究者の眼差し
私は新疆ウイグル自治区で生まれ育ったウイグル族の医学生です。これまでの歩みは、地域医療ネットワークから首都・北京の国家疾病予防管理センター、さらには医療ガバナンス研究所や東京大学と福島県立医科大学へとつながり、挑戦と発見に満ちたものでした。

多言語・多文化環境で育った私は、言語や宗教観、文化的習慣の違いが日常的に存在する中で、人と人の間にしばしば見えない壁が生まれることを体験しました。医療の現場でも同じで、母語が異なる患者と向き合うとき、その壁はさらに大きく立ちはだかります。しかし一方で、言葉や文化が異なっても、真心をもって接すれば、人の心は必ず通じ合うことも学びました。

新型コロナウイルス感染症の流行期、私は新疆の簡易病院で医学生として活動しました。物資不足や過重労働に直面しながら、患者の不安にどう寄り添うかが大きな課題でした。ウイグル語で声をかけたとき、不安げだった患者の表情が信頼に変わっていったことを、今でも鮮明に覚えています。言葉は単なる手段ではなく、信頼を結ぶ架け橋であると強く実感した瞬間でした。同時に、感染対策においては宗教的慣習や文化的要素も無視できず、科学と文化の間でいかに折り合いをつけるかという難しい課題に直面しました。この経験は、医療における「文化への配慮」の重要性を私に教えてくれました。

来日後、上先生率いる医療ガバナンス研究所や福島医科大学の坪倉先生のチームと出会い、研究や被災地での活動を通じて新しい視点を得ました。能登半島でのボランティア活動では、調査や研究の技術だけでなく、相手の立場に立って考える姿勢、言葉遣いや振る舞いの細やかな配慮を学びました。この一年間、日本語が一言も話せなかった私が、仲間や先輩方の温かい支えのもとで大きく成長できたことに感謝しています。

学術的な成長だけでなく、人としてどう他者に寄り添うか。その学びを胸に、いつか私も誰かの支えとなれる研究者に成長したいと願っています。ありがとうございました。

 

 

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