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Vol.137 現場の頭脳と技術を結集して一刻も早くご遺体をご家族の元へ

医療ガバナンス学会 (2011年4月20日 14:00)


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東京大学医学部附属病院
原 一雄
2011年4月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●ご遺体の身元確認が限界に達している未曾有の事態
震災犠牲者のご遺体を引き渡し火葬に付された後でそれが別人であったことが分かったという4月13日の報道[1]を知ったのと、それに関連する様々な情報 に接して悲しみや疑問を感じましたので投稿します。別人を引き渡されたご遺族は別人に手を合わせていたことが分かって家族を失った悲しみに加えて更なる精 神的ダメージを受けてないであろうかと心配になると同時に、火葬された方の御遺族がご遺体を前に葬儀を行えるかどうかはDNA鑑定にかかっており、それが どのように行われているのかがとても気になったのです。今回の震災では、津波による損傷が激しくかつ身元確認の所持品がない多数のご遺体が極めて広い地域 にまたがって発見されていることです。4月5日の古いデータですが、岩手・宮城・福島の3県で12,231体のご遺体が検分され10,261体と約8割が ご遺族などに引き渡されましたが、残りの2,000体の少なくない部分はDNA鑑定しか打つ手がないと思われます。不明者の数を考えると更にその数は今後 も増え続けることは確実であり、膨大な数の御遺体を前に歯形の写真さえ撮れずに身元確認ができず、ご遺族の悲しみに触れて精神的なダメージを負う法医学者 や歯科医の話[2]にあるように、ご遺体の身元確認が限界に達しているという未曾有の事態なのです。

●米国における9・11の教訓
ここで思い出すのはあの9・11で廃墟となったワールドトレードセンター跡から、ご遺体の一部を丹念に拾い上げ可能な限り身元を特定してご遺族にお返しし たということです。それまでに誰もが経験したことのない未曾有の事態に直面して、米政府は捜査担当のDNA鑑定能力だけでは到底手に負えないと判断し、 DNA研究者の頭脳も結集した特別の委員会を立ち上げました[3]。その中で根本的な役割を果たしたのが現NIH長官でヒトゲノム計画の責任者 Francis Collinsです。彼らは当時で最新のDNA解析技術とIT技術を駆使し、組織横断的にひとつのチームに結集して、遺体の確認を最後まで遂行しました。 翻って今の日本の状況はどうでしょうか。身体的特徴や歯形で確認出来ないご遺体については科捜研単独でDNA鑑定を行っているそうです。

●現在のDNA鑑定では明らかに限界がある
ここでDNA鑑定の技術的側面について述べてみたいと思います。DNAは簡単に例えて言うとA,G,C,Tの4つのアルファベットで書かれたものであり、 DNAで出来ているヒトの設計図であるヒトゲノム)は30億文字分からなる暗号と考えると多少分かりやすいかも知れません。ヒトゲノムにはところどころ個 々人で異なっている箇所があり、「多型」と呼ばれています。「多型」にも種類がいくつかあり、CACACAなどCAという2文字が何回か繰り返されるよう な箇所がありマイクロサテライトマーカー(STR:short tandem repeatとも呼ばれる)と呼ばれています。繰り返しの回数(型)が個々人で異なっているので、いくつかのマーカーについて調べれば(タイピングする) 個人を特定出来るというのがDNA鑑定の原理をごく簡単に説明したものです。マイクロサテライトマーカー(STR)は犯罪捜査で利用されていて、ヒトゲノ ムの中にあるどのマーカーを利用したら個人を特定出来るかについてはキット化されています。犯罪現場から採取されたDNAについてマイクロサテライトマー カーのタイピングを行い、その型をデータベース化されていると思います。このように犯罪捜査の現場ではマイクロサテライトマーカーの利用は歴史があり実績 もあることもあり、科捜研がまずこれを使って鑑定を行うのも分かります。ところがマイクロサテライトマーカーを使ったDNA鑑定には弱点が多々あり、今回 問題となるのは、マイクロサテライトマーカーはある程度長いDNAがないと個々人の型が決定出来ないのです。ご遺体の損傷が進むとDNAも短く断片となっ ていくので、マイクロサテライトマーカーの型を判定することが遺体の損傷とともに困難になっていくことは必至です。

●DNA鑑定に最新の科学技術の進歩と現場の頭脳を
マイクロサテライトマーカーに対して、個々人でDNAの1文字分が違っている、一塩基多型(SNP:single nucleotide polymorphism)と呼ばれる多型がヒトゲノムでは1千万個~存在することが分かってきています。SNPのDNA鑑定における魅力的な点は、元の DNAが短くバラバラになっていても「型」を判定することが容易であるため、津波で損傷したご遺体でもDNA鑑定を行うことが可能であることを意味してい ます[4]。更にSNPについては、極めて多数のSNPの型を判定することやデータ解析の自動化が行いやすいなど、多数の御遺体について一刻も早く鑑定を 行わないといけない場合には、マイクロサテライトマーカーに比べて優れた特徴があります。もちろんSNP固有の弱点もあるのであるが、最近の技術革新のお かげで近年は特に問題にならなくなったため詳細は述べないことにします。特筆すべき点は、SNPに関する技術的革新がこの数年ですさまじいことで、現在で は250万個のSNPの型を一度に決定することや、数百人分のサンプルを一度に、マイクロサテライトマーカーに比べて短期間で正確にタイピングする技術が 確立されたといって良い点です。技術革新に伴ってSNPについての情報も爆発的に増加しており、人種毎にどのSNPの特定の型を持つ人の頻度がどのくらい かなどの詳細なデータが整備されてきているのも利点として強調されて良いと思います。今回の事態は、マイクロサテライトマーカーを使ったDNA鑑定の処理 能力を超えることが懸念されます。科捜研で特定しきれない例が出てきたら外部に委託するという話を聞いていますが、時間は刻々と過ぎており、ご遺族の心情 や復興に向けてスタートさせたいこの時期に本当に大丈夫かと思います。9・11の米国政府のように素早く特別チームを立ち上げ、理化学研究所など世界でも 有数のリソースと頭脳を結集してご遺体の鑑定に当たってはどうでしょうか。実際に理化学研究所のチームは、30万人分の人の血液からDNAを抽出して、ヒ トゲノムの50万から60万個のSNPについて大規模にタイピングを正確に判定し、データを解析してきた実績があります。また、多数のご遺体に関連する様 々な情報(どこで発見されたか、身体的特徴、ご遺体の部位などなど)、ご遺体から抽出されたDNA多型の情報を、候補となる近親者の情報やDNA多型の情 報、災害地域におけるDNA多型に関連した情報を全てデータベース化し、そこからご遺族とご遺体を正確にマッチさせるための情報技術が必須となります。今 回のような大規模災害では生成されるデータも膨大であり、大量データの管理や解析のノウハウを持っているエキスパートの参加が、一刻も早くご遺体をご遺族 の元にお返しするために不可欠と思います。

●DNA鑑定の限界と将来の課題
もちろんDNA鑑定だけで全てが解決する訳ではありません。歯ブラシや服についていた毛髪などから本人のDNAが抽出される場合にはDNA鑑定でほぼ 100%本人を特定出来ると思われます。配偶者と子供のDNAが提供可能な場合にも、本人であることが全く別人である確率に比べてどの程度確からしいかに ついての数字が計算され、他の情報も合わせることによって身元確認に非常に有用な情報が得られます。家族全員が犠牲になった場合には、DNAが提供出来る 親族の血縁関係も遠くなり、身元の特定は困難ですが、その場合にも、身元不明者の親戚で希望する方々についてもDNAの多型についてタイピングを行い、ご 遺体のDNA多型データベースの情報とマッチさせることによってある程度は有用な情報が得られると思われます。米国ではGoogleの創設者の家族が始め た23andmeという会社が、遠い親戚を探し出すrelative finderというサービスを提供するような時代が到来しているのです。
残された遺族の「せめて安らかに眠らせてあげたい」「復興に向けて気持ちを新たにしたい」という気持ちに報いるためにも、この分野の現場の専門家が垣根を 越えて頭脳と技術を提供しこの難局に対処する仕組みが必要と思います。原発問題を見ても、今の我が国に決定的に欠けていることであると思います。組織同士 で連携を持ちかけても動きにくいのであれば、しかるべき政府の機関が音頭をとって専門家のチームを結集させることは出来ないのでしょうか。また、将来的に は、誕生した時に毛髪をバンク化しておき、このような事態に際してDNAを抽出し遺体の確認を速やかに行うことが出来るような仕組みも検討に値すると思い ます。科学技術の進歩を人の役に立つことに使う、至極全うなことが今回の災害を期に進展することを強く望みます。

参考資料)
[1] 朝日新聞 別人の遺体を引き渡し 宮城県警、火葬後に判明 2011年4月13日
[2] 読売新聞「すべての遺体を家族の元へ」歯科医1500人使命感 2011年4月15日
[3] Lessons Learned From 9/11: DNA Identification in Mass Fatality Incidents: http://www.massfatality.dna.gov/
[4] Kayser M and Knijff P: Improving human forensics through advances in genetics, genomics and molecular biology. Nat

Genet 12: 179-192, 2011.

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