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Vol.138 被災地での医療のスタートはマイクロバスから!由布院プロジェクト ―石巻のお魚屋さんの目に入ったゴミをとるためには?―

医療ガバナンス学会 (2011年4月20日 14:00)


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自治医科大学眼科 国松志保
2011年4月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


仙台に自宅があり、新幹線通勤していた一眼科医である。地震発生時、4歳の娘は仙台の保育園、私は自治医大勤務、主人は東京出張から仙台に戻る新幹線車中で一家離散となった。幸い、たくさんの方に助けていただき、山形経由で仙台入りして、5日後には娘にも会えた。
今は、せっかく助かった命、対処が悪くて目が見えなくなったら大変!と、精いっぱい、東北大学眼科の災害医療チームの中澤徹・准教授の後方支援をしている。

家が流されたこと
薬も流されたこと
車も流されたこと

これが何を意味するのか?

それは、被災地では、薬がなくなっても、お医者さんにかかる足がない、ということを意味している。

1)震災直後の石巻
人口16万人と、宮城県第二の人口を擁する石巻市。眼科は、2つの総合病院と5つの眼科の診療所でその港町を支えてきた。津波もために、1つの病院と4つ の診療所が浸水し(この中の1つの診療所では、院長が、診療所を守るように亡くなられたという)、残った1つの病院と1つの診療所もライフラインが断たれ るなど、眼科医療が全くストップしてしまった。それをまず救ったのは、浸水した眼科医たち。残っている医薬品やコンタクトレンズを自分の車に積み込み、避 難所回りを始めた。追って、宮城県眼科医会の有志の先生や東北大学眼科の眼科医が、往診に加わった。(2011年4月3日・日本眼科医会代議員会議事録よ り、宮城県眼科医師会会長山形先生より報告)

2)震災から2週後・東北大眼科災害医療チーム
中澤徹准教授をリーダーとする東北大学眼科の災害医療チームは、地震発生直後に、現状視察に出かけ、津波で診療所が流され、眼科無医村になってしまった気 仙沼、女川、南三陸町での往診を始めていた。各自、お握り持参、給油のために何時間もガソリンスタンドに並び、そして、そのガソリン代もジバラである。時 々刻々とかわる現地の状況に合わせて、4月1日からは、東北大学病院として、女川・南三陸町の2ヶ所で、眼科・耳鼻科・皮膚科3科合同チームで、巡回診療 を行うこととなった。(この様子は4月1日のNHKニュースでも放映された)。

3)医者ではなく、人を動かすという発想
災害医療の現場では、高血圧や糖尿病といったいわゆる内科疾患では、患者が多いので、医師が各避難所を回ったり、仮の診療所を開設して、対応している。し かし、眼科・耳鼻科・皮膚科という専門性の高い診療科では、需要が高いものの、対応できる専門医も少ない。そこで、中澤准教授から、「医者を動かすのでは なく、患者を動かす」、というアイデアが飛び出した。各避難所を、無料マイクロバスが回り、中核となる避難所に患者さんを運び、そこに出向いた専門医が診 療にあたる、というシステムである。

4)大きな壁と「顔の見える」支援
さっそく、4月4日、マイクロバスの手配が済んだ。5台でうち2台は被災地地元の会社であり、ガソリン代だけでよいと破格の設定であった。しかし、まずは 5月末までの運行費用100万円をどうするか・・・本来は、行政が担当する分野なのかもしれないが、行政自体が被害を受けた地区でもあり、とてもすぐに対 応ができそうもない。その資金の調達法が大きな壁となった。
私は、なんとかしたい気持ちでいっぱいになり、たまたま安否を気遣い、電話をしてきた友人の桑野和泉氏(玉の湯社長、由布院温泉観光協会会長)に相談した。
桑野氏は、「眼科の災害医療では、お医者さんではなく、患者さんを動かす、ということが重要であることがよく分かった。そのためにはマイクロバスが必要。 わかりました、顔の見える支援として、ぜひ由布院で、支援させて下さい」と即答し、さっそく由布院で、「東北大学病院3科合同マイクロバス募金」を集め始 めた。この話を伝え聞いた中澤徹医師は「遠く離れた九州で、マイクロバス診療を支援してくれるとは…」と感激し、さらに前に進む決意をしたと、私に話して くれた。

5)石巻のお魚屋さん
私の仙台の自宅のすぐ近くに、『三陸おさかな倶楽部』という、石巻のお魚ばかり扱っているお魚屋さんがある。29歳のハンサムなお兄ちゃんが経営している が、ご両親が石巻の魚屋さん、津波の被害で1階天井まで水がきてしまった。4月14日に、お見舞いの電話をした。たまたま店番をしている、石巻の魚屋さん のおばちゃんがでた。大街道小学校に避難していたが、今は、仙台市内の娘さん宅に身を寄せて、毎週日曜日に店の片づけに、石巻に行っているそうだ。実は眼 科医であることを告げたら、すぐに、「もう、ひどいへどろとゴミで、みんな目を病んで、病んで…緑内障になるんじゃないかと、みんな怖がっている。石巻の 眼科にかかりたくても、ものすごく混んでいて、何時間も待たないとみてもらえない」と言った。お兄ちゃんは、東京や相模原に出かけて、100年分のゴミと 言われるがれきの除去を要請したり、職を失った人達を雇ってもらえるように交渉しに行っている、という。
ちなみに、目にゴミが入っても、緑内障にはならない。日本では、40才以上の20人に1人が緑内障、早期発見早期治療のために、私達が啓蒙活動をしている が、未受診率が90%であるという現実も、皮肉にも自覚した。しかし、何よりも、石巻のお魚屋さんの目に入ったゴミをとってあげたかった。

6)由布院の力で、マイクロバスを走らせよう
由布院では、依頼された桑野氏が歩き、となりの旅館、金鱗湖のまわりの「泉そば」のお兄ちゃん、いろいろな人が動き始めた。合言葉は「マイクロバスを走ら せよう」中澤徹医師のもとには、日本眼科学会から、被災者向けのパンフレットが届く。これは、日本緑内障学会・日本角膜学会・日本網膜硝子体学会・日本コ ンタクトレンズ学会が、被災地での患者向けに「こういう場合はあわてないで」「こういう場合は緊急事態です」と分かりやすく示したメッセージがつまってい る。往診に必要な診療機器も集まりつつある。14日には、米マイアミ大学Bascom
Palmer Eye Institueから、眼科検診ができる巨大なバスVision Vanも仙台空港へ到着、巡回診療をバックアップした(Vision Vanは4月17日毎日新聞に掲載された)。
診療レベルの向上した東北大眼科災害医療チームのもとへ、4月15日、5台の無料マイクロバスに乗った患者が集まった。女川では、眼科の患者が、前回の30名から80名にふくらんだという。

7)南三陸町の方の感想
マイクロバスに乗った南三陸町の方が書いて下さった感想の数々に胸をうたれた。
「病院が出来ても通院できなくて困っていました。これで皆助かります。」「元気でがんばります。どうもありがとうございます。」とあった。
家も薬も車も流されてしまった方への医療のスタート地点は、平和なときには当たり前の「お医者さんにかかる」ことができるように、マイクロバスが避難所を回り、患者さんを運ぶ、中澤徹医師の考えた医者ではなく人を動かす発想が大切なのではないか?
患者が集まれば、医者が必要になる。4月25日からは東北新幹線が仙台まで走るので、ボランティア医者が入ってサポートすればいい。そうすれば、さらに患 者を集めることができる。さらにマイクロバスが走り、例えば開業医や病院に走るようになればいい。バス会社も被災しているので、仕事が増えていい。100 人眼科医が集まれば、きっと、石巻の魚屋さんの目のゴミも取れると思う。がれきの山が片付き、目にゴミも入らなくなれば、次のフェーズに移る。その時に、 また、私達は、できることを探せばいい。

最後に。
東北3県では、それぞれに、巡回診療に奮闘している医師がいる。
このマイクロバス方式と、それを支援する輪が、由布院をモデルにさらに広がり、ひとりでも多くの被災者の方が「お医者さんの診察を受ける」という、日常生活を送るうえで、ごく当たり前のことができることを祈っている。

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