医療ガバナンス学会 (2025年10月22日 08:00)
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2025年10月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
11月2日(日)
【Session 12】 製薬マネーの20年、繰り返す不祥事、新展開 15:15 – 16:00 (司会:尾崎 章彦)
●谷本 哲也 医療法人社団鉄医会 理事長、社会福祉法人尚徳福祉会 理事
利益相反をどう捉えるか:インターサブジェクティブ・リアリティの視点から
現代医療における利益相反は、医師と企業の関係における倫理的課題だ。
ユヴァル・ノア・ハラリが一連の著作で繰り返し論じるように、金銭とは物理的実体を必要とせず、複数の人々がその価値を信じることでのみ成立する「インターサブジェクティブ・リアリティ(相互主観的現実)」である。この金銭の物語は、医学研究の資金配分や治療の選択、医療機関の運営、医療政策の優先順位付けなどにおいて、しばしば支配的な役割を果たす。そのとき、人間の尊厳や健康そのものが本来持つべき、非貨幣的な価値が見失われる危険がある。
とはいえ、問題は金銭の存在そのものではない。我々医療者が金銭を最優先の価値基準と見なしてしまう思考こそが、本質的な構造の歪みである。有効性が不十分な高額医薬品でなくても、たとえば低コストの生活習慣介入として、間欠的断食や高強度インターバルトレーニング、インターバル・ウォーキング、節酒・禁酒といった手法によって健康改善に有効であるし、認知症領域などでも運動、社会的交流、栄養療法といった非薬物療法によって、薬に頼らず生活の質を高める介入は数多い。
これらの方法は、健康を「購買するもの」ではなく「育むもの」として再定義する動きだ。しかし、金銭的価値を生みにくいが故に、高額医薬品などの最先端医療技術に比べ過小評価され、健康行動を支える環境整備と制度的支援も不足しがちとなる。
利益相反をめぐる真の課題は、情報開示や規制強化だけではなく、金銭という相互主観的現実の使い方、すなわち「どのような物語のためにお金を使うのか」を社会全体で問い直すことである。金銭は悪ではない。それは人類が共有する最大の物語であり、ゆえに再編集可能である。私たちは金銭の物語を、人間の健康・尊厳・つながりといった、非貨幣的価値を支える道具として再定義する選択肢を持っている。その選択こそが、真に倫理的で持続可能な医療の実現につながる道に繋がるのかもしれない。
●森下 正章 医薬経済社 医薬経済編集長
製薬マネーデータベースの価値
私が記者としてこの業界に足を踏み入れた時、高血圧、高脂血症、糖尿病は新薬ラッシュに沸いていた。製品を有する企業はMRの大量雇用(コントラクトMR含む)し、過当競争に入っていった。学会の重鎮や治験担当医への研究費を触媒に密接な関係を築き、現場で採用する医師への過剰接待は日常茶飯事となった。メディアを通じた事実上の広告戦略も激しかった。
一方、異常な医療界を糺そうとする医師もいた。ノバルティス問題を契機に、正常化への動きが活発化、製薬業界は自主的ガイドラインの策定に踏み切った。こうした正常化への動きに製薬マネーデータベースの構築・運営が果たした役割は大きく、現在でも監視機能としてこの業界になくてはならない存在だ。
●渡辺 周 Tansa 編集長
報道機関の機能不全、製薬マネー監視は誰が担うのか
製薬マネーデータベースの起源は、2014年に遡る。
その年の6月、私は朝日新聞特別報道部の記者としてサンフランシスコに出張した。探査報道(調査報道)を担う世界中の記者が集う会議「Investigative Reporters and Editors」(IRE)に参加するためだ。
IREで、アメリカの非営利の報道機関「プロパブリカ」が、製薬マネーデータベース「Dollars for Docs」について発表した。かかりつけ医が、製薬会社からいくら何の名目で金銭の提供を受けているか。患者たちがデータベースを利用しているという。
「これはいい!」と、共に会議に参加していた朝日の同僚と意気投合した。帰国後、私をキャップにして製薬マネーデータベース制作プロジェクトが始まった。膨大なデータ収集のため、リサーチャーも数人雇った。
ところが2014年9月、朝日新聞に暗雲が垂れ込める。福島第一原発事故の報道で批判された朝日新聞が、記事を取り消したのだ。
そこからはひたすら萎縮。2015年4月に製薬マネーに関する記事を大々的に報じたものの、営業サイドのクレームでキャンペーンは打ち切られた。「お前たちはパンドラの箱を開けてしまった」。当時の上司の言葉だ。
2016年に朝日新聞を退社し、Tansaの前身「ワセダクロニクル」を2017年に立ち上げて、製薬マネーデータベースに再挑戦した。ここで医療ガバナンス研究所の上昌広理事長に協力を求めたところ、快諾。2018年にデータベースをリリースできた。
朝日新聞だけではなく、新聞社やテレビ局といったマスメディアは経営難だ。新聞社は10年後に存在しているか見通せないほどだ。権力監視を担う報道機関としてはすでに機能不全。製薬会社や医師、政府に切り込むことはできない。
では誰が、患者の立場になって製薬会社や医師を監視するのか。
製薬マネーデータベースの制作を続ける医療ガバナンス研究所には頭が下がる。だが、より広範囲の取り組みが必要だ。データベースを公共財としつつ、それをもとにした分析や監視が社会で定着する方策を考える必要がある。
●秤谷 隼 エバーハルト・カール大学テュービンゲン・リサーチフェロー(ZOOM・ドイツより)
日本国内における売上上位50医薬品の追加的治療価値:HTAを用いた横断的研究
バイオ医薬品や遺伝子治療の台頭により、近年の創薬環境は大きく進展している。こうした革新的な技術を用いた医薬品には、高額な薬価がつく。そのため世界中で近年、医薬品の価格決定や改定・保険償還に関する意思決定において、「追加的治療価値(added therapeutic benefit)」の評価が重要視されている。薬剤費・医療費が高騰する社会背景の下、「医薬品の売上を正当化するに足る実質的な追加的治療価値を有しているか」という問いは重要な意味を持つ。
そこで演者らは、2021年における日本国内の売上上位医薬品を対象として、カナダ、フランス、ドイツの公的な医療技術評価(HTA)機関による評価指標を用いて、既存薬と比較した追加的治療価値を横断的に検証した。薬剤の特性および評価結果は、公的データベースならびに各国HTA機関の情報から取得し、既出の評価手法に則って記述統計的な分析手法を採用した。追加的治療価値は「高い」または「低い」の2段階に分類された。
特定された売上上位薬51品目のうち43品目(86%)が、加仏独のうち少なくとも一つのHTA機関から評価を受けていた。その約半数の20品目(47%)が「追加的治療価値が低い」と評価され、特に、低評価の多くは低分子化合物(20品目中15品目、75%)であった。高評価はバイオ医薬品に多く見られた(23品目中14品目、61%)。また、2011年以降に承認された薬剤のうち56%(9/16)が低評価であったのに対し、2011年以前に承認された薬剤では41%(11/27)と、最近承認された医薬品に低評価がつく傾向がみられた。HTA機関の間で評価にばらつきも見られ、評価の標準化の難しさも浮き彫りになった。
研究上の限界も多くあるものの、日本国内で売上上位を占める医薬品の多くが、他国のHTA評価において「追加的治療価値が低い」とされている実態が明らかにされた。新薬イノベーションを損なわずに医療制度を維持するために、価値に応じた価格設定を行うことも必要かもしれない。本研究で得られた知見が政策決定者にも届き、制度改善の一助となれば幸いである。
●尾崎 章彦 公益財団法人ときわ会常磐病院乳腺甲状腺センター長・臨床研究センター長、医療ガバナンス研究所 理事
製薬マネーの偏在、医療機器業界特有の不正リスクと、浮き彫りになる医療界全体の統治の脆弱性
医療ガバナンス研究所は2025年7月、製薬マネーデータベース「Yen for Docs」に2022年分を追加した。7年連続で新しいデータを公開してきたことになる。米国のProPublica「Dollars for Docs」と比べてみても、これほど長期的かつ網羅的な更新・公開は国際的にも稀である。7年の継続は、従来不透明だった製薬マネーの流れを明らかにし社会的関心を高め、製薬企業側における複数年分の一括公開やExcel形式での利用可能化など、開示体制の改善につながってきた。
しかし依然、製薬業界には課題が残る。私たちの研究では、製薬企業から医師への報酬総額は2017〜2019年に約273〜274億円で推移、2020年はコロナ禍で189億円に減少したが、2021年には298億円と急回復した。受領医師数が減少する一方、一人あたり受領額や年間100万円以上受け取る医師の割合は増加した。オンライン講演の普及により、限られた医師への企業側の依存傾向が強まり、処方の中立性や医療の信頼性を損なう懸念がある(Journal of Evaluation in Clinical Practice誌に発表)。
医療機器マネーの問題も顕在化している。2025年7月に2020年分を追加し、医療機器データベースは公開2年目を迎えた。製薬に比べ額は小さいが、整形外科インプラントのように性能差が小さい分野では営業戦略や人間関係が製品選定を左右しやすく、不正の温床となりやすい。実際、データベース公開と時を同じくして、佐久市立浅間総合病院の整形外科医が企業から現金を受領し収賄容疑で書類送検された。
私たちの研究では、主要18学会の理事399名において、2019〜2021年に93.5%が報酬を受領、総額は約21億円、中央値は約300万円であった。総額は製薬の5分の1にとどまるが、医療機器企業は外科系学会を中心に特定医師との結びつきを強めていた(Health Policy and Technology誌に発表)。
さらに2025年初頭には、医療マネーに絡む衝撃的事件が発覚した。東大医学部の皮膚科教授が日本化粧品協会に総額2,000万円の豪華接待や性的サービスを要求、2024年に報告されていたにもかかわらず大学や学会は対応を怠り、訴訟や刑事告発を経てようやく内部調査が始まった。この事件は個人の逸脱にとどまらず、大学や学会の統治機能不全を示し、仲間意識や年功序列が倫理的責任を凌駕する構造的問題を浮き彫りにした。
総じて、製薬マネーの偏在、医療機器業界特有の不正リスク、さらに医療界全体の統治の脆弱性は、日本の医療が直面する根本課題である。信頼回復には、透明性の確保と専門職倫理の再生、自己規制の機能回復が不可欠だ。
※パネルディスカッション形式