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Vol.25210 聖マタイの召命と製薬マネー:第20回現場からの医療改革推進協議会より

医療ガバナンス学会 (2025年11月4日 08:00)


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谷本哲也

2025年11月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2025年11月2日、「現場からの医療改革推進協議会 第20回シンポジウム」において、製薬企業や医療機器から医師へと流される製薬マネーに関するセッションが開催されました。当日の私のプレゼンテーションを元に内容をご紹介させていただきます。
http://medg.jp/mt/?p=13431

本稿ではまず、日本の医療費増加の現状を確認し、診療報酬の抑制と医療現場の赤字問題をご紹介します。次に医療費増加の要因の一つである、製薬企業の高収益構造に触れます。医療とお金の問題は日本だけでなく国際的に同時発生しており、最近ランセットに掲載された論文について取り上げます。最後に医療の「ミッション(使命)」をめぐる古典的な主題を、カラヴァッジョの絵画を手がかりに再確認したいと思います。

日本の医療費の現状
まず、医療費に関する基本的な事実を共有しておきましょう。2025年10月10日に厚生労働省が公表した「国民医療費の概況」によりますと、2023年度の国民医療費は48兆915億円となり、前年比で3%の増加となっています。人口1人当たりでは38万6700円で、こちらは前年比3.5%の増加です。GDP比では8.08%となっており、前年度とほぼ横ばいの水準を維持しています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/23/dl/R05kekka.pdf

主要国との比較で見ますと、医療費のGDP比はヨーロッパ先進国が概ね10%前後、アメリカは日本のほぼ2倍に当たる17%という水準で、日本の医療費はある程度は抑制されていると言えます。しかし、日本の人口高齢化に伴う医療費の右肩上がりのトレンドは確実に続くわけです。
https://www.oecd.org/en/data/indicators/health-spending.html

国民皆保険制度が設計されたのは第二次世界大戦後16年後の1961年(昭和36年)のことです。それから60年以上が経過し、人口構成、疾患構造、医療技術、費用水準のいずれも大きく変容しました。国民皆保険の持続は、困難度を増し続けているのです。

診療報酬の抑制がもたらす診療行動
国民皆保険のもと、公定価格として診療報酬は制度的に抑制されており、特にコロナ後に医療現場の赤字が一気に顕在化しています。ただし、日本の医療現場、特にプライマリーケアを行うクリニックなどでは、コロナ以前から薄利多売の診療が常態化しています。これは診療報酬の価格設定が医師の診療行動を規定するという、経済学的な帰結でもあります。

ここで、BMJ Open(2022年)に掲載された国際比較の論文をご紹介しましょう。この研究は、価格設定が診療行動をどう規定するかを明快に物語っています。
https://bmjopen.bmj.com/content/12/12/e064369

論文によると、日本の診察料は720円(研究実施時の再診療、現在では30円上がっています)で、最低時給との比率は0.8倍です。一方、アメリカの診察料は11,637円で、最低時給との比率は10.3倍となっています。仮に医師が1時間、検査などなしで診察のみを行うとしましょう。日本では最低時給を下回る報酬しか得られませんが、アメリカでは最低時給の10倍を超える報酬が支払われます。日本では医師の診察に対する値付けが驚くほど低いわけです。

この価格設定の違いは、実際の診療行動に如実に表れています。平均診察時間は日本が6分、アメリカが21分です。日本と近似の価格帯である韓国や台湾も5〜6分という短さです。診察料が高い欧米諸国では、これに比例して診察時間が長くなっており、データ上も相関関係が示されています。

つまり、価格(診察料)が提供行動(診察時間)を規定する傾向が国際比較で一貫して確認されるのです。クリニックなどで赤字を防ぐためには、日本などの価格設定では、短い時間でできるだけ沢山診察して、検査などで稼ぐしかない、という構造になっているわけです。

大病院でも顕在化する赤字と増加した医療費の流れ
この構造的な問題は、大学病院などの大病院でも例外ではありません。10月27日の国立大学病院長会議会長らの記者会見では、2025年度における国立大学病院42施設の収支見込みは400億円超の経常赤字に陥り、過去最大となる可能性があると発表されました。会見では「過去最大の危機」とのコメントが出されました。
https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/37057/report

高度先進医療を担う大病院でさえ、構造的な赤字に陥っています。これは、国民皆保険下の価格設定がもたらす収益モデルの脆弱性が、規模の大小を問わず露呈していることを示しています。

しかしここで、一つの疑問が浮かびます。医療機関は赤字に苦しんでいるのに、医療費総額は増加し続けているのです。では、そのお金はどこへ行っているのでしょうか。その行き先の一端を示すのが、製薬協『データブック2025』です。
https://www.jpma.or.jp/news_room/issue/databook/ja/eo4se30000005nw2-att/DATABOOK2025.pdf

営業利益率上位の製薬企業を見ますと20〜30%と非常に高水準になっており、純利益は1,000億円から1兆1,000億円以上に達する会社まであります。高収益を牽引しているのは、小野薬品工業のオプジーボのような免疫チェックポイント阻害薬、塩野義製薬の新型コロナ感染症薬など、抗がん剤や新興感染症薬、希少疾病薬といった高額な新薬です。

すなわち、医療費の伸びの一部は、医療現場ではなく、その周辺の製薬セクターの高収益として吸収されてしまっているのです。同様に医療Dxの名のもとで、医療現場ではなく医療機器メーカーや電子カルテメーカーなど周辺産業にお金に流れる現象が発生しています。

さらに注目すべきは、周辺産業から医療現場へと、製薬マネーが還流する状況です。病院長会議で経営危機を訴えたある病院長の例を見てみましょう。この方は年間40件の講演を行い、450万円を超える製薬マネーを受領していました。1回当たり約11万円という計算になります。
https://yenfordocs.jp

ここに、深刻なインセンティブの歪みが存在します。再診料750円でも医療現場で地道に診療に励むよりも、製薬会社の講演を1回行い、企業の広告塔になった方が10万円以上の非常に効率のよい収入になるわけです。この報酬構造が製薬マネーへの強い誘因を生み出しています。価格設計の歪みが、医療行為以外の活動を相対的に高収益化し、医師の労働力の配分にまで影響を及ぼしているのです。実際、製薬マネーの総額は、2021年には298億円となっていました。

世界でも問題となる医療とお金の論点
このような医療とお金をめぐる問題は日本だけの現象ではなく、21世紀の世界では同時発生しています。まず、10月25日に世界でもっとも影響力を持つ医学専門誌ランセットに掲載された論説を見てみましょう。英国における医薬品の薬価と医薬品開発の関係というテーマを扱っています。
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(25)02160-9/fulltext

事実として、2000年から2018年の製薬業界の総利益は約1,200兆円に達し、製薬業界は世界有数の高収益産業となっています。一方、英国ではトランプ政権の医薬品関税政策の影響により、製薬企業が薬価の低い英国から国外へ流出する懸念が問題となっています。しかし、この論説は重要な考察をしています。

製薬企業の投資先の選定は人材、税制、研究環境などに基づく合理的判断であり、薬価との相関はないというのです。つまり、薬価が高いから投資が集まるわけではないということです。さらに興味深いのは、製薬企業のビジネスモデルです。主要製薬企業の主力薬の約8割は、大学や中小バイオ企業の開発品を買収したものだったという研究に触れています。つまり、自社での創薬よりも、外部のイノベーションを取得して製品化するというモデルが主流になっているのです。

つまり、往々にして成功確率の低いイノベーションに投資することを理由に高額な新薬が正当化されていますが、それは事実ではないというのです。実際、21世紀以降、研究投資額は停滞し内部留保が急増しているのです。2000年から2018年にかけて、主要27社の資産は大幅に増加しました。つまり、利益は研究投資よりも株主還元に偏重し、「患者より株主」を指向するビジネスモデルが横行していると論説は指摘しています。

同じくランセットに10月21日の早版で掲載された米国に関する総説論文は、さらに身もフタも無いタイトルを掲げています。「Healthcare in the USA: Money Has Become the Mission(アメリカの医療は金儲けがミッション(使命)になってしまった)」。
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(25)01669-1/fulltext

キリスト教文化におけるミッションという言葉は、日本語の使命よりも強い語感を持っています。ラテン語の missio(送ること) に由来し、「神の意志に基づく」使命を含意しています。論文は、アメリカの医療はますます市場原理に支配され、保険会社や投資家が公的資金を梃子にして利潤を追求する構造へと変質したと痛烈に批判しています。

実際、営利化の波は病院、診療所、介護施設にまで波及し、その影響として医療の質と量は低下し、格差は拡大したことがデータでも実証されました。さらに第二期トランプ政権が、医療にもお得意のディールを持ち込み、社会保障の市場化を推進していることが状況を悪化させています。加えて、ケネディ・ジュニア氏らによる反ワクチン政策が、科学への信頼を大きく毀損しています。

そしてこの総説論文は核心的な命題を突きつけます。医療のミッションとは、収益の追求なのか、それとも患者の健康と生命の擁護なのか、という根本問題です。アメリカで起こった現象は、やや遅れて日本へ波及するのが通例ですから、日本でもこれから医療とお金の問題がさらに拡大してくるでしょう。

カラヴァッジョの『聖マタイの召命』が照らすミッション
医療に限らず、人間が生きる上でミッションが何かという主題は、決して新しい問題ではなく古典的なテーマです。昔から、医は仁術か算術か、というネタがある通りです。ここで、イタリアのバロック絵画の巨匠、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの名画『聖マタイの召命』(1599-1600年)をご覧いただきたいと思います。ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のコンタレッリ礼拝堂に掲げられている作品です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/聖マタイの召命

カラヴァッジョ特有のキアロスクーロ(明暗法)による劇的な照明のもと、弟子の聖ペテロを引き連れ右端でニンバス(光輪)をいただくイエス・キリストが、古代ユダヤ社会では罪人に等しかった徴税人マタイを敢えて弟子として招く劇的な瞬間が描かれています。マタイがどの人物かについては美術史上も議論がありますが、左側の集団中央のヒゲの中年男性、もしくは左端でうつむきながらお金を数える若い男だとされています。ヒゲの男が自分を指して「俺を選ぶの?」とするか、「え、こいつなの?」と隣の男を指しているのか、カラヴァッジョが敢えて曖昧に描いたとする説もあります。

いずれにせよ、この絵画が象徴するのは二者択一の命題です。「金勘定に生きるか」、それとも「世の人のために生きるのか」。聖マタイは最終的に、人々のために生きる道を選びました。しかし、現代への射程を考えると、皮肉な対比が見えてきます。欧米、すなわちキリスト教文化圏においてこそ、医療界で金勘定が重視される傾向がますます強まっているのです。

本稿でご紹介したように、製薬マネーは、医療制度の設計にも関わる倫理的かつ政策的な課題です。価格設計が現場の行動を規定し、それが制度下での収支を左右し、産業の収益構造を形成し、さらには株主還元か研究投資かといったガバナンスにまで影響を及ぼすという連鎖が、日本を含む世界中の臨床現場と医療産業の両面で表出しています。

医療とお金の望ましい関係に唯一の正解はなく、どうにもならない矛盾を抱えたまま人間は生きていくしかありません。共同幻想の産物でしかない「お金」に向き合う術は、紀元前から続く人類史的課題で今後も解決することはありませんが、継続的に議論を深めるべき核心的な命題であると言えるでしょう。

 

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