
医療ガバナンス学会 (2025年12月9日 08:00)
東京大学工学系研究科 教授
大澤幸生
2025年12月09日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
前日の28日、私は医療ガバナンス研究会のプラチナ勉強会に藤宮仁さん((株)ダイナコム会長)を、高度な専門的AI利用技能者として紹介していた。
AIが神話化する中で、地道な現場を踏んできた医学・生物学を中心にデータ解析者としての実績を経て、現在は私の知る限り最もスコープが広く過不足なく生成AIの本領を活かしている「健全なAI利用」者として、特に医療界の皆様に広く紹介したいとかねがね思ってきたからである。藤宮さんの講演を聞きながら、大きな画面に映される素晴らしい講演資料を隅々まで楽しみ、その後の懇親会でも右隣に腎臓高血圧内科医の小原まみ子先生、左には入れ替わり若い学生が座るのをこの目でしっかり捉えて歓談していた。今も残る情景の記憶である。ところが・・・
翌朝つまり11月29日、右目視野の下方に妙な黒い影が現れた。実は、このような黒い影はその前の週当たりに見ていたが、現れても消えるし、何十年も前から近眼のせいで眼球内の血管などが見える飛蚊症もあり、「いろんなものが見えるのだな」と軽く考えていた。しかし、今回の影は違った。視界の下部に蹲る熊のような形状で毛まで生えていて、私が部屋の中にいると不透明で黒く外の光をさえぎっていた。外に出ると、その部分は液体の入った小さな袋のように揺れて見え、透明のようでいてその先の景色が見えないという、得体の知れない視界の障害物であることが分かった。
すぐにまた消えるだろう・・・と考えた。しかし、その日はプールで泳いでも人に会っても影は消えなかった。夜は医療界や法曹界、政界の人たちが集まる忘年会に出かけたが、宴会中も影は大きくなり、終盤には右目の殆どを大きな黒熊が占拠していた。傍に眼科の専門医はおられず、私は不安を抱えて帰宅し、そして救急に連絡したところ、手術を要する可能性があるが救急の眼科医がいないとのことで、かねてから心配があれば受診していた淡路町眼科に月曜に行くことになった。
10年以上前、私が右目の視野に出る飛蚊に我慢ができず相談しても、多くの眼科医は「飛蚊症ですね、ときどきいますよ」。と軽く看過していた。しかし、淡路町眼科の由井あかり先生だけは、私が近眼であるせいで眼球が前後に伸びており、いつか網膜剥離に至るリスクを明快に説明してくれた。さらに異常が起きたら来なさいとのことであった。その異常が発生したのである。
さすがに、由井先生の診断は鮮やかだった。網膜に大裂孔、すなわち重度の網膜剥離である。裂孔は網膜の上部にあるため進展は速いだろうのこと。まさしく、私はその速さに恐れをなしていたのだから納得の説明である。ゆえに一刻も早く手術すべきだが、連携先の順天堂大学には密に連絡できるが手術ができるのは木曜か土曜になるとのこと。勤務先の東大、あるいは網膜では有力医師もいる日大などを選ぶかと選択を迫られた迷ったが、とにかく連携先の順天堂病院へと急いだ。道中でも信頼する医療関係者に相談したが、既に目薬の作用で瞳孔が開いており、スマホの画面を見ることさえ眩しく思うように相談できなかった。
幸い、順天堂病院医師の対応は速やかだった。診療カードの作成や診断の順番を長時間待ったが、16時ごろには「明日手術」と告げられた。実は、人生初の入院である。目を切り刻まれるのかという恐怖と不安もあったが、ただ手術を最速で受けられるという感謝で病院のベッドに眠りについた・・・おやすみなさい・・・。
いや、話はここから始まる。深夜、私は見えない右目で、図1(a)のような黒熊に赤・緑・青・黄色の4色の楕円の粒が多数現れるのを見た。カラフルな小楕円が星座のように瞬いていたともいえよう。下から中央までの黒い部分は全く光を通さない。それより少しだけ黒が薄い部分も、その先に何かが見えるわけではない。楕円は特に黒い(あるいは暗い)部分に多く、それぞれが長軸方向に移動していた。
特に青い楕円は動きが早く、黒い部分に青い点なので見えにくい。私は一度眠り、そして起きると、(a)の色の薄い部分はよく見ると(b)のようにヒビ割れしていて、黒熊の外側にもあった黒い部分の中には(c)のような穴があって色楕円がその周辺に集まっていた。この空間全体のどこかから、4色のうち同じ色(緑なら緑ばかり)の小楕円が5~10個の群れになって現れる。そんな湧き出し口が至るところに発生する。生まれた楕円は、やはり少しだけ大きなって長軸方向に移動してゆくのである。
推察として、これらは、網膜にあって神経と繋がる「錐体細胞」が、網膜が脳に至る神経から切断された際に、神経経由で脳に繋がったままとなり、外景とは無関係に色を感受して脳に送っているのではないか。本来は網膜にあって色の感受を担当する細胞が錐体細胞であり、赤に反応するL錐体、緑色に反応するM錐体、青色に反応するS錐体があるとされ、LとMは本来同じ錐体が進化したとも言われるが、両方に近いのが黄色の波長体である。
だから黄色楕円はLとMが接近しているのかも知れないが、私の眼には別に見えた。この推察が仮に正しいなら、健常の場合は外景の赤い色に刺激を受けて該当位置にあるL錐体が群れになって発火し、錐体が同じ色で群生するだろう。そして神経のネットワークで繋がっている他のL錐体をたたき起こしているのではないか。今は健常ではないから、外景と無関係に錐体の活動だけが見えているという仮説を私は持った。
この図1(a)~(c)は私が、右目で見た景色を左目を使ったPower Pointで写生したものであるが、これらの図を自分で見た後に目を瞑ると、右目の見る色楕円は急に増えた。残像かと思ったが、そもそも見たのは反対の左眼であるから説明が付きにくい。とすると私たちの中には、色を認知した目がどちらでも、左右両眼の該当色の錐体を発火させる機能が備わっているのではないか。
一方、手術後は図2(a)→(b)のように、個々の色は楕円ではなく三角形や棒状に変わり、湧き出しは白く明るい部分のみに変わった。色の移動は手術前よりは緩慢で、それぞれの細胞が担当の位置を持った上で動いているようにも見えた。それよりも大きな変化として、真っ黒な部分(黒熊)がなくなり、背景の白い部分は、図2にうまく描けていないが見慣れたスケールフリーネットワークのような構造に見えた。網膜と神経が繋がることによって、神経のネットワークの姿がより明瞭に見えるようになったのではないか。
今のところ、以上は私が見たままの景色を元に、推察も仮説もでたらめで学術著作どころか専門外の無責任なタワゴトである。実際、手術後の教授回診で眼科の教授にこの話をすると、「いろんなものが見えるようになるうちの一つで、特に(症状として)気にすることではない。錐体とか桿体という細胞が見えているわけではないと思う。」とのコメントを頂いた。私は、患者の心配ごととして暖かく対応いただけたことに有難く謝意の述べた。一方、Chat GPT5に「網膜剥離によって赤、青、緑、黄というような原色の斑点が多数見えるという報告はありませんか?」と尋ねると、
「結論から言うと、**赤・青・緑・黄など原色の斑点が大量に見える**という症状は、典型的な網膜剥離の症状としてはあまり報告されていません。ただし、似た状態は “別の眼内現象” として報告されています。」
との答えに、「似た状態」の説明が細かく続いた。追加質問で掘り下げても、私の見た景色に該当する報告を辿ることはできなかった。やはり、この現象は新発見なのかも知れない。
しかし、大発見ちゃうかという誇大妄想は脇に置いたとしても、特に色楕円の集簇は、神経と網膜が分離するというこの病気の数日間でしか見えない貴重な像であることに変わりはない。この話は、絶望的な状況を、人生で滅多に見えないものを見るチャンスととらえることで着想を得られるという話と思って頂いても良い。
しかし、発火した色が広がるネットワーク構造が学習されるならば、一部の箇所の色情報から全体を推測したり、移動する物体の次の見え方の予測を末端レベルで行うような新しいAI、さらにネットワークをセンサ(網膜)側と学習(脳神経)側に分け、知識に依る色の拡散を後者に担当させるなどのシステムに思いが及ぶ。いずれも有用な着想であるように思う。
そして、ここからの1段落が本稿の本題である。データとしても論文としても、公開どころか取得さえされていない経験が、本人の記憶からさえ一瞬で消えてゆく。だから、どうしても「いろんなものが見えるようになるうちの一つ」と括らざると得ない。しかし、診断にも治療にも直接役立たないように見える経験がきっかけとなって飛躍的発想をもたらし、その中には医療あるいは別分野の技術に発展をもたらすものもあるかもしれない。去り行く経験を普段から記録し、消えた記憶を掘り起こして利用する方法の開発を、人に関する科学の一端に加えておくことを提案したい。
最後に、この執筆をしている手術から二日後、右目の前においた手指の本数がはっきり見えるまで早くも回復している。的確なタイミングで適切に治療を促して下さった眼科医師の由井あかり先生、執刀医の順天堂大学・平形寿彬先生をはじめとする担当医師の皆様に深く感謝します。加えて、私の急な発症と療養のせいでIEEE Bigdata 2025のためのマカオ出張をキャンセルしたためご迷惑をおかけした皆様にお詫びと感謝を表し、励まし続けて下さった皆様に感謝します。その中で拙文執筆を薦めて下さった医療ガバナンス研究所長の上昌広先生、有難うございました。
http://expres.umin.jp/mric/mric_25233.pdf
図1 網膜剥離の発症中に右目が見た景色
図2 網膜剥離の手術後に右目が見た景色