
医療ガバナンス学会 (2025年12月10日 08:00)
常磐病院初期研修医
金田侑大
2025年12月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
そんな一枚の回覧板が町を巡った数日後、南東北病院の救急外来には、柿の実を取ろうとして脚立から転落した人、庭で転んでしまった高齢者が次々と運ばれてきました。事実、2025年の福島県内でのツキノワグマの目撃件数は、11月時点で1103件を超え、過去最多を記録しており、9月11日から12月15日まで、会津・中通り地域に「ツキノワグマ出没警報」、浜通り地域に「ツキノワグマ出没注意報」が発令されています。
柿の実を放置しているとクマが来る、そんな背景が、思わぬ「転落事故の季節」を生んでいたのです。私は11月、その“季節の風物詩”とも言えるような怪我に向き合う、南東北病院の救急集中治療科に1か月間、研修医として加わりました。
総合南東北病院は、「すべては患者さんのために」というシンプルで力強い院是を掲げ、福島県県中地域の中核病院として高度急性期医療と救急医療を提供しています。病床数は約460床、脳神経外科・心臓血管外科・消化器外科・整形外科から、各種内科、リハビリテーション、がん治療部門まで幅広い診療科を備え、年間多数の手術・救急搬送に対応しています。敷地内には複数の病棟に加え、南東北医療クリニック、眼科クリニック、がん陽子線治療センターなどが集約されており、外来・健診から入院、先進放射線治療までワンストップで完結できるのが大きな強みです。
令和4~5年度のデータでは、総合南東北病院は年間6,000台前後の救急車搬送と1万5千~1万9千件規模の救急外来患者を受け入れており、令和6年6月時点でDPC特定病院群の医療機関別係数において全国248位、福島県内5位というハイボリューム・高機能病院であり、県内でDPC特定病院群に属するのは総合南東北病院といわき市医療センターのみです。普段私が勤務する常磐病院とはまるで違うスケールの医療が日々繰り広げられ、高度な設備・専門スタッフがそろった現場に立ち会いながら、自分の立ち位置を探る日々が始まりました。
外傷センターの先生方との当直は、その中でもかなり実践的でした。南東北病院では2015年4月、福島県内初となる外傷センターを開設しています。帝京大学医学部整形外科元主任教授で、帝京大学整形外科で日本初の大学病院内外傷センターを2009年に立ち上げた経歴も持つ松下隆医師をセンター長に迎え、“けがの専門医”として、救急医療からリハビリテーション、さらには骨折後の後遺障害の機能再建まで、外傷に関わるあらゆる段階を一貫して診療することを目的としています。
通常、日本の救急医療では一次~三次救急のいずれでも外傷症例は全体の2割程度とされ、従来の三次救命救急センターでは命を救うことが最優先で、外傷による運動機能の回復は後回しになりがちでした。南東北病院の外傷センターはそうした従来型救急の課題を補完する存在です。
そして搬送されてくる患者さんは、誰一人として同じ受傷ではありません。転倒、高所からの転落、交通事故… その全てが、違うサインを発していました。正直な話、研修を始めたばかりの頃の私は、画像にばかり頼っていました。
「とにかくレントゲン。何が写るか、にらめっこだ」
そんな自分に対して、指導医の先生は繰り返しこう言いました。
「まずは“その人にとっての自然な姿勢”を見てみて。そこにヒントがあるよ。次に、痛がる場所にそっと触れてみて」
一見すると当たり前のようですが、これができてくると、不思議と患者さんの持つ違和感や身体のサインが見えるようになってきます。例えば、高齢の方が自宅で転倒して搬送されてきた場面。患側の下肢が外旋して短縮して見える、そんな典型的な肢位を見ただけで、これは大腿骨の近位部が折れているかもしれない、と自然に頭が働くようになってきました。レントゲンの前に、そうやって仮説を立てられる自分が生まれてきたことは、大きな転機でした。
もう一つ、南東北病院で特に印象に残ったのが、「院内で専属的に活動する救急救命士(いわゆる病院救命士)」の存在です。私にとっては初めて見る役割でしたが、彼らはホットラインでの救急車要請への即応、到着時の初療補助、院内急変時の対応支援、さらには救急病棟への転棟調整まで幅広く担っており、病院内の緊急対応を支える屋台骨のような存在でした。
彼らに限らず、病棟でも救急外来でも、スタッフの充実ぶりには圧倒されました。南東北病院のような大規模病院では、診療科ごとに経験豊富な専門医が揃い、看護師や事務スタッフの連携もスムーズで、病院全体が一つのチームとして機能していると感じました。
しかしその一方で、研修医として痛感させられたのが、「打席に立つための姿勢」でした。
南東北病院のように症例数が豊富で、学べる機会にあふれている環境であっても、専攻医や研修医の人数も多く、誰がどの症例を担当するかは、ある種の“競争”のような雰囲気がありました。
「自分の番、全然回ってこないやん」
心の中で、そんな愚痴がこぼれることもありました。初めての環境ということもあり、何がどこにあるかもわからない、一緒に働いてる人の名前もわからない、正直、スピードが重視される救急の場面で、主体的に動くことはとても高いハードルでした。
以前、別の病院で救急対応に入ったとき、とある看護師さんに、「先生は威圧感があるから下がってろ」と言われた経験も尾を引いていたのかもしれません。自分に自信があるわけでもなく、チームの中で高いプレゼンスを出せていたとは到底言えず、気がつくと“暇をしている研修医”としてチームの外に立っていたこともありました。
そんな私の様子を見かねてか、ある日、仲良くなった1年目の病院救命士が声をかけてくれました。
「先生、エゴが強いですね。“ハト”力が足りないですよ」
――ハト力?
聞き返すと、彼はこう続けました。
「現場に一番最初に飛んできて、周りをウロウロする。何かあればすぐに動けるし、誰かに声もかけられる。まず“そこにいる”ことが大事なんですよ」
この言葉にはっとさせられました。確かに、自分は「出すぎて反感を買ってはいけない」と無意識に遠慮していたけれど、それは結局、自分の居場所を自分で遠ざけていただけだったのかもしれない。まずは、現場に“居る”こと。小さくても手伝えることを見つけて動いてみること。その積み重ねが、やがて大きなチャンスにつながると信じてみよう。そう思えた瞬間でした。
このエピソードを振り返ると、常磐病院と南東北病院での研修スタイルの違いが浮かび上がります。
常磐病院では人手が限られている分、自然と自分に多くの“打席”が回ってきます。救急搬送の初療から整復・穿刺、中心静脈カテーテルまで、黙っていても自分がやらなければ進まない場面の連続でした。大変だけれど、自分の成長にはつながるし、やりがいもあった。
一方、南東北病院のような大病院では、自分以外にも研修医がたくさんいるし、各診療科のスペシャリストも揃っている。自分が主役として動かなくても診療が成り立ってしまいます。その中で自分が何をするか。いかに見学で終わらず、学びの場に変えるか。ここでは「居方」そのものが問われていたみたいです。
どちらが良いという話ではありません。規模が違えば、研修医に求められる「居方」も「動き方」も違うというだけです。常磐病院では、人手が限られているからこそ「任される力」が求められ、南東北病院では、人が多いからこそ「気づく力」「寄り添う力」が問われました。どちらの環境にも、そこでしか得られない研修の醍醐味があり、医師としての自分の“型”を広げてくれるような感覚がありました。南東北病院での1か月間がくれた何よりの収穫だったと思います。
「まず、そこに居ること」と「身体のサインに気づくこと」
南東北病院での1か月は、外傷診療の現場で、患者さんの声なき訴えに耳を澄ます力と、ハトのように機を逃さず動く姿勢の大切さを教えてくれました。
どんな場所でも、自分の打席をつかみにいける医師であるために、大切な姿勢を学ばせていただいた1か月でした。ありがとうございました。
【金田侑大 略歴】
常磐病院1年目初期研修医。北海道大学医学部卒。災害医療、行動経済学、医学教育などの領域で100本以上のアウトプットを発表している“走りながら書くタイプ”の研修医。
半年前に突如 Facebook アカウントが乗っ取られるという未曽有の“個人的インシデント”に直面。目下、アカウントは絶賛行方不明のまま。Facebook経由で連絡が取れない皆さま、本当にごめんなさい。
趣味は、患者さんの声を論文化することと、SNSを乗っ取られても折れないメンタルの維持。次にFacebookアカウントをつくるときは、二段階認証を誰よりも丁寧に設定するように心に誓っている。