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Vol.25236 第2部 腐敗した遺体に触れた日の手袋――私の原点の話

医療ガバナンス学会 (2025年12月12日 08:00)


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JA尾道総合病院/田辺クリニック/合同会社MONSHIN
田邊 輝真

2025年12月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

大学1年生の夏の夕方だった。家の電話が鳴り、父がひとしきり話した後、静かに受話器を置いた。「お前も一緒に来るか。医者を目指すなら、見ておいていい」。父は地方の開業医であり、警察協力医でもあった。幼い頃から、父が夜に警察署へ向かう姿を私は何度も見ていた。しかし「連れて行く」と言われたのは、その日が初めてだった。

警察署の遺体安置室。父は軽く頭を下げて言った。「せがれです。医者の卵なので、勉強のために連れてきました」。手袋を渡された私は、父の指示で、遺体の表面をゆっくり確認した。細かなポイントを意識しながら触れた腹部は膨満し、緑色に変色していた。濁った眼球、鼻を刺す腐敗臭。私は圧倒されながらも、目をそらすことはなかった。

その後の記憶は断片的だ。父の語り口、警察官の冷静さ、死というものの“重さ”は、当時の私にはあまりに強烈だった。大学の授業で「医療体験を絵に描く」という課題があったとき、私は迷わず遺体安置室の絵を描いた。最近、当時の親友に再会したとき、彼はその絵のことをはっきり覚えていた。「お前の絵だけ世界が違っていた。忘れられないよ」

あの体験は、私の中でずっと静かに根を張っていた。医師になり救急医療に進んだのも、死因究明に関心を持ったのも、結局ここに源流があったのだと思う。父は長きにわたり、警察協力医として多くの死体検案に携わってきた。兄もまた同じ道を歩んでいる。私たち家族は、「亡くなった方をどう見るか」という“まなざし”を共有していた。

時が経ち、私は現場で働く身となった。ある検視官が2年の任期を終えるとき、わざわざ救命センターに挨拶に来てくれたことがある。その人には夜中に3度、検視に来てもらったことがあった。私は短く声をかけた。「疲れましたね」。その言葉に、検視官はわずかに微笑んだ。沈黙が数秒流れた。だがその沈黙には、お互いの仕事の重さを知る者同士の、静かな連帯感があった。

法医学者との出会いもまた、私にとって大きかった。数少ない解剖医が孤独と責任の中で、病気と事件の境界線を読み解いている。その重圧は、言葉では語られなかったが、彼の背中から伝わり、深く長く胸に残った。

私の原体験は、単なる思い出ではなく、自分の生き方全体を方向づけていたのだと、医師になってようやく気づいた。

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